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メシカ最後の王妃の恋  作者: 細波ゆらり
第三章 テノチティトランを離れて
29/41

28 変調



 アロの言ったように、ペドロは随分と食が細くなっていた。

 産前産後の自分の体調の変化に精一杯だったが、注意して見てみれば、ペドロは体調を崩しているように見える。

 元々、細身ではあったが、前よりも痩せていた。


 具合の悪いところはないかと訊ねても、元気だという答えしか返って来ない。

 そう言われるほど、気になり、イザベルはペドロがメヒコ市へ行くときは同行したり、屋敷でも共に過ごす時間を増やしていった。




 ペドロが執務室で遅くまで仕事をしていたため、茶の準備をして訪ねた。


「お茶はどう?」

 部屋に入ると、ペドロは机に向かっていた。


「ああ、ありがとう。こんな時間まで起きてたの?」

 いつもの穏やかな口調だ。


 イザベルは近づくと、ペドロの口元が黒ずんでいるのに気がついた。

 ランプの灯りに照らされた夫の顔は、以前よりも痩けている。影が差しているからかと、その黒ずみにふと手を伸ばした。



「血?」

 イザベルが触れたことで、ペドロを驚かせたが、彼が左手に握りしめていた黒ずんだハンカチを隠そうとしたのは見逃さなかった。


「血を吐いたの?」

 いつもなら、冗談が返って来るところだが、ペドロは黙り込む。


「少しね」

「… 」

 イザベルは言葉を返せない。何故なら、ペドロの足下の屑入れに赤黒く染まった紙が丸めて捨てられていたからだ。少し(・・)などという量ではなかった。


「… 少しじゃないじゃない… 身体を休ませて… 」

「いや… 多分、治せるような病気じゃないんだ。僕の亡くなった叔父も同じような症状だったから、わかる… 」

 いつも通りの穏やかな笑みをたたえてペドロが答える。


「え… いつから具合が悪かったの? 私、全然、気づかないであなたに無理ばかりさせていた… 」


「あなたとの結婚の話が出た頃かな… 随分長いんだ。黙っていて悪かった。あの頃は、こんなにすぐ悪くなるなんて… 信じたくなくて。病気だと、あなたを僕の奥さんにできないと思って… 具合は悪くないって言い聞かせてた。ごめん。早死にする夫なんて、欲しくなかったでしょう?」


 ペドロに返す言葉が見つからない。

 ただ具合が悪いだけではない。死に至る病だという意味だった。


 彼がイザベルを思うほど、イザベルはペドロのことを考えて来なかった。甘えるばかりで、彼を思いやる気持ちに欠けていたのだ。

 彼から受け取った思いやりや愛情を少しでも真摯に受け止めていたら、今、彼が求める言葉を言えたのかもしれない。



「病気のことは、話すつもりはなかったんだ。でも、もう知られてしまったから、いくつか僕のお願いを聞いてくれない?」

 ペドロは、いつもの笑顔を見せる。


「勿論… 」

 彼は残された時間を知っているのだろうか。イザベルは、どこまで彼に踏み込んでいいのかさえわからなかった。


「あの… 私からも、一ついい?」

「いつでも、何でも」


「… 抱きしめて労ってもいい?」

 ペドロは椅子に腰掛けたまま、口を開けてイザベルを見上げる。


「だ、大歓迎… 」

「じゃあ、そのままで… 」

 イザベルはペドロに近づくと、少し屈んで彼を腕で包み込んだ。


「いい匂いがする… 」

 軽口を叩いているが、イザベルの肩に乗った夫の顔から溢れた涙が背中を伝った。


「して欲しいことがあったら、私に言って。今度は私の番だから… 」

「傍にいて。たまにこうして、あなたの温もりを感じさせて」


 イザベルは頷いた。








 それから、イザベルはいろいろな願いを叶えていった。


 まず、手始めに二人で馬に乗って、荘園中を回った。イザベルが馬に乗れると知らなかったペドロは驚いていたが、二人で畑を見たり、まだ開墾していない野山を駆けるのは楽しかった。



 二人でメヒコ市内で買い物もした。イザベルの体型が戻りつつあるため、贅沢だとイザベルが止めても、ペドロは何着もイザベルのために買った。



 そして、新しい料理人。それも、ペドロの故郷の料理を作れる料理人を探して雇った。ペドロの同郷人で船の調理員として大陸にやってきたのだが、本国の生活よりもここが気に入り、住み着いたというマルティンという男だ。料理人にしてはかなり高い賃金で雇った上に、店を出す時に出資をする約束までして、ペドロの荘園に連れて来た。

 マルティンに教えてもらいながら、イザベルとペドロは一緒に料理もした。



「前に、モロ人が南の大陸から来て、国を占領したって話をしたでしょう? その時、アロスって言う穀物を持って来たんだよ」

 二人で作った煮込み料理を食べながら、ペドロが話し始める。


「それを野うさぎと一緒に煮込んだ料理が美味しいんだ」

 ペドロはイザベルの半分ほどしか食べれず、いつもイザベルが食べ終わるまで、故郷の話をする。


「アロスはどんな物かわからないけれど、とうもろこしを代わりにする?」

「ちょっと違うな… アマランサスに近いけど、粒が大きくて煮ると柔らかい」


「チヌアのこと?」

「アロスがここにあるの?」


「チヌアは、粉にしてパンとして焼くわよ?」

「粉にする前のアロスは手に入るかな… 」


「… チヌアがアロスと同じかはわからないけど。どうかしら… 」

「市場で探してみよう。手に入ったら、同郷のヴェチーノを何人か呼んでもいい?」


「ええ、勿論」

 ペドロには友人がたくさんいたが、今まで屋敷に呼んだことはなかった。メヒコ市から遠いせいもあるが、イザベルが妊婦だったせいもある。

「僕のお姫様を皆に自慢しても?」


「自慢… になるの?」

「それはそれは、大層な自慢になる。あなたは、皆が憧れるお姫様なのだからね」

 テーブル越しにペドロはイザベルの手を握る。


「友人を呼ぶことは、あなたへのお願いの一つだったんだ」

「お願いは、出し惜しみしないで、どんどん言って」

 ペドロの願いは、小さなものばかりだ。改めてお願いされるようなものではない。彼の体調さえ良ければ、何だって叶えてあげたかった。



「最後の一つは、断ってくれても構わない」

「最後の一つ?」


 ペドロの体調は、良い時もあれば悪い時もある。良い時が続いていていたため、このまま治癒するのではとイザベルは思い始めたところだった。だから、"最後の一つ" という言い方に戸惑った。

 やっと、彼と向き合い始めたところなのだ。最後になんかしたくなかった。



「同じ… 寝台で僕と寝ませんか?」

 ペドロはいつになく丁寧な口調で、ふざけてもいなかった。





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