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メシカ最後の王妃の恋  作者: 細波ゆらり
第三章 テノチティトランを離れて
28/41

27 出産



 オセロメーがやって来て間もなく、イザベルはペドロの屋敷で女児を産んだ。


「どうする?」

 生まれたばかりの赤子を別の部屋に連れて行くように指示すると、ペドロが訊ねてきた。


「… こればかりは、寛大になれない」

 イザベルには譲れない一線だった。


「王位は、一番高貴な妃の娘が嫁ぐことで受け継がれる。これが今までの私たちのやり方。だから、娘を認めることはしない。絶対に」


 産後の疲れ果てた身体のどこに力が残っていたのかわからないが、腹の底から思いを吐き出した。

 自分のお腹で育った娘に愛着はないのか、と問われれば上手く答えられないだろう。

 愛情を持ちたくないから、顔を見ることさえしなかった。見れば、愛してしまうに違いない。だから、早く娘のことは忘れてしまいたいのだ。



「… わかった。僕に任せて。あなたはゆっくり休んで。あなたの食べたいものを買ってくる。何がいい?」

 ペドロに狭量だと、前の慣習にとらわれるな、と叱責されるかと身構えたが、夫は汗に濡れたイザベルの額を手拭いで拭う。


「ポルボロン… 」

「そうだね。今こそ、ポルボロンだね。よく眠って」

 ペドロは、優しく微笑むと部屋を出て行った。




   §




 数日後の夜、ペドロが戻って来た。

 赤ん坊をコルテスの屋敷に連れて行き、その足でポルボロンを買って戻ってきた。


「今、食べる? 果物もある」

 寝台からイザベルが起きあがろうとすると、ペドロはそれを助けて背中に枕を当てがう。


「テーブルに行くわよ?」

「こんな時まで、行儀を気にしなくていいさ」


 出産までの間、互いの寝室にも入ったこともない。

 妊娠中にイザベルが歩くのを助ける時に腕に手を掛けたのが初めての触れ合いで、互いにその不自然さに笑ったほどだ。寝室で寝衣のまま会うことには、まだ少し抵抗がある。出産直後に会った時は、そんなことを気にする余裕もなかったが。



「僕が食べさせようか?」

「… 大丈夫」

 皿を受け取り、果物を口にする。


「… 生まれたばかりの命に圧倒された… きっと、自分の望んだ子なら… 物凄く感動するんだろうね… 」

 ペドロが呟く。


「… あの赤子の話ではなくてね… 気分を害さないで。単なる僕の感想だから… 」


「うん… きっとそうだと思う… 」

 イザベルの目頭が熱くなる。望んだ子ならどれだけ嬉しいことだっただろうか。すぐにでも抱き上げ、乳をふくませたいと思ったに違いない。そんな気持ちが湧き上がるのを必死に堪えたのだ。



「大変だったね… 労ってあげたいのだけれど… 」

 ペドロは寝台の横に腰掛けた。


「… ポルボロンで充分… 」

 イザベルの意を汲んで、早々に赤ん坊を連れ出して新たな引き取り手に預けてくれたことにも、心の底から感謝した。母親としての責任を放棄したことを責めもせずに、だ。

 しかし、イザベルは罪悪感で、それについての感謝を言葉にすることも出来なかった。



「… えっと… 食べ物のことではなくて… あなたの額に、口づけをして労ってもいいかな?」

 ペドロは微笑むと、イザベルの額を指で優しくつつく。


「労いにならないんだったら、やめておく」

 イザベルが答えに迷っていると、ペドロは続けて言った。


「… ありがとう」

 イザベルは額にかかる髪を手で押さえ、ペドロの方に額を差し出した。


 夫は、イザベルの身体には触れず、そっと唇だけを額に寄せた。



「わーお! お姫様への口づけだ」

 ペドロはわざとおどけて言う。


「… もう、お姫様じゃないって、何度も言っているのに… 」


「… あなたは… いろんな苦悩や葛藤があって、苦しんでいるけれど… 心の美しい素敵な女性で、この世界で一番の美女だよ… お姫様(・・・)だって、毎日自分に言い聞かせていないと、思わず僕は自分の妻に気安く触れてしまいそうになる… 」


 イザベルはまた、返事に戸惑う。


「独り言だから… あなたの夫があなたに恋しているってことも知っておいて。それも、あなたのたくさんの苦悩の中の一つに加えてよ… 」


 ペドロはお休みと言うと部屋を出て行った。




   §




 イザベルが起きて歩き回るようになると、いろいろな変化が起きていた。


 オセロメーは、彼の本来の名前、シウトリと呼ばれるようになり、シューマと共に言葉と文字を学び始めていた。メシカで一流の戦士だったシウトリは、知力にも優れていて、あっという間にシューマに追いついていた。


 シウトリが任務で離れていた期間、その間に何をしていたかは互いに話題にもしなかったが、白人らと話す機会があったようで、イザベルたちの知らない方言なのか、男同士の乱暴な表現なのか、ペドロが顔を顰めるような言葉も知っていた。


「シウトリ、変な言葉をシューマやイザベルに使わないで。僕のお姫様にそんな言葉を使って欲しくない」

 ペドロはあれ以来、荘園の皆の前でもイザベルへの好意を隠さなくなった。



「最近、ちょっとあからさまではない?」

 イザベルはアロをつかまえて、訊ねてみた。


「そうですか? 初めからですよ? イザベル様が気がつかなかっただけで、皆知っています」

 アロはにやりと笑う。


「でも、だからと言って、ご主人様の気持ちが報われるべきだ、なんて私たちは思っていません。男性が、イザベル様に恋するのは仕方のないことです」

 前半の言葉にほっとしつつ、後半のおべっか部分は賛同できない。


 慌ててアロが付け足した。

「それから… ペドロ様、このところ、お食事の量が少なくなりました。イザベル様のお食事もそろそろ寝室ではなく、食堂に用意させて頂いてもよろしいですか? きっと、イザベル様がいらっしゃらなくて、寂しいのでしょう」

 確かに、出産前からイザベルはペドロと食事をしていなかった。



「じゃあ、今晩からお願いね」

 アロはそれなら献立も変えさせなくてはと言って、調理場に向かった。





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