表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
メシカ最後の王妃の恋  作者: 細波ゆらり
第三章 テノチティトランを離れて
26/41

25 五人目の夫、ペドロ



 しかし、イザベルはいつまでも心を閉ざし続けるわけにはいかなくなった。醜聞を恐れたコルテスによって、急拵えで別の結婚の準備が始められたのだ。

 イザベルの腹が膨らみ始める前に、と緘口令が敷かれた。



 コルテスは王室への弁明のために、本国へ戻ると言い、ペドロ・ガジェゴ・デ・アンドラーデをイザベルの夫に指名すると、慌ただしくメヒコ市を離れた。

 

 ペドロは、コルテスの部下だった。上司の子を妊娠しているイザベルを妻にすることを承諾するほど、コルテスを慕っていたのか、その対価が破格だったかはイザベルには分からなかった。



 しかし、顔を合わせてみると、ペドロは拍子抜けするほどの楽天家だった。他の白人たちとは違って髭は蓄えず、清潔感があり、背は高いが、細身の男だった。金色の髪も目を引いた。荒くれ者たちとは明らかに様相が違った。



「本当に、僕でいいんでしょうか?」

 管財人や神父など、結婚の手続きを担う人々が部屋から出て行くと、イザベルの屋敷の客間にペドロと二人になる。


「私には、決める権利がありませんから… 」

 彼は朗らかに、答え辛い質問をしてくる。


「でも、僕ですよ?」

 自嘲気味な声が返ってくる。


「僕は戦いが終わってから、この大陸に来て、メヒコ市に着くなり理事会理事(ヴェチーノ)です。南部への行軍は、テノチティトラン戦や、海岸部での功績のある人たちがするわけです。僕は、全く戦さ向きではないので、事務仕事か農園管理しかできません」

 彼が言うように、彼らの国からは、どんどん人がやって来た。戦闘員でない人々も増えていった。


「言ってしまえば、本国人の中でも目立たない存在です。本国でも私の生まれた地域は貧しい部類に入る地域です。私の生まれた街など、岩山ですよ。土も貧しい。だから、みな、この大陸に来る理由は、一攫千金です」

 イザベルは相槌さえ打たなかったが、彼は続ける。


「私財を投げ打って、私兵を集めて、船を用意して、王室のお墨付きを貰った誰かに便乗して、夢を求めて… ね。僕は、それが性に合っていたかはよくわからないですが… 自分で戦って得た訳でもないのに、広い土地を貰って… その上、美しくて、若い、一番高貴なお姫様を奥さんに… 冗談かな、と思ったぐらいです… 多分、この大陸に来た中で、一番の一攫千金は僕ですよ」


 ペドロは大きな口を開けて笑う。


「僕のちっぽけな野心は、もう達成しました。何の苦労もなく、です。あなたがしてきた苦労… 苦労なんて言葉ではないか… 苦難なんて、一欠片も僕は経験していない」


「あなたは、一国を治める王、戦いの神のような人の妻だったし、あなたにとって僕はつまらない夫ですよ? 比べるまでもなく… ね?」


 イザベルは、前夫たちと比較して卑屈になっているのだろうか、と眉根を寄せる。卑屈な人を慰めるのは、御免だった。そんな心のゆとりはない。



「でもね、戦いは終わったから。平和を維持して、生活を良くしていくには、僕みたいな男もあなたの役に立つかもしれない。これから、長い人生、一緒に暮らすのだから、ぼちぼちね。あなたは妊婦でもあるし」


 イザベルの口から、小さな乾いた笑い声が漏れる。

 今まで、周りにいた男たちとは全く違う。好戦的で、強力な統率力を持ち、全力で道を切り拓いて前に進むクアウテモク、テトレパンケツァル、コアナコッホが思い浮かぶ。


「笑わないでよ。これからは、銃とか、弓の時代じゃなく、ペンの時代だってことだよ。計算したり、報告したり、主張したり。そういうことなら、まあまあ役に立つよ? 僕は」


 イザベルの夫と仲間たちを思い出すと、涙が溢れる。彼らと別れて、四、五年になる。彼らの死は、今も実感が湧かない。


 ふらりと戻ってきて、ショコラトルを飲みながら話そうと言うんじゃないか、疲れたと言って、膝に頭を乗せて眠るのではないか、とそんな思いはなかなか消えない。

 イザベルの居場所は彼らのところだったのだ。


 いつの間にか、その居場所から遠く離れ、望まぬ子を宿し、自分が自分ではなくなった。誰の人生を歩んでいるのかわからない。クアウテモクを愛したテクイチポはどこにいるのだろう。

 断ることのできない結婚を何度繰り返すのだろう。


 前を向くために、名を変えた。

 しかし、未来に目を向けるはずだったイザベルの心はもう死んでいた。



「あ… 」

 イザベルの目からぽろぽろと溢れる涙に慌てたペドロがハンカチを差し出す。


「… 思い出させてしまったなら、ごめん… 」

 ペドロの渡すハンカチは清潔で、いい香りすらした。

 血の匂いも、汗の匂いもなかった。


「… 辛いのは、街が消えたことでも、改宗したことでも、乱暴されたことでもない。大切な人を失ったこと… 」

 口に出すと、どんどん涙が溢れた。


「… うん… 僕の国は七百年間、別の国から来た異教徒に街を乗っ取られていた。取り戻した今も、まだ反乱は続いている。僕の国を占領した奴らは、残虐でさ、皆殺し。女は犯された後に殺される。ここでは、僕たちが同じことをした… 学ばないよな… 」


「… これから学ぶしかないか… 」

 イザベルが落ち着くまで、ペドロは隣に座って、じっと待っていた。




「… この通り、戦いには向かないけれど、努力するよ… 」

 嗚咽が収まってきた頃、ペドロが呟く。



「さて… まずは、僕のお姫様に笑ってもらう努力をしないとね… あなたが笑うまで、僕はこの部屋から帰れないからな… 」

 自分の膝に突っ伏していたイザベルは、彼が帰るタイミングを奪っていたと気づいて、慌てて顔をあげる。

 少なくとも、血の匂いのしないこの青年に八つ当たりすべきではないと感じた。



「アロ! 姫の好きなお菓子と茶を持って来て! アロと僕の分もね」

 陽気で、お喋りで、穏やかなペドロはこうしてイザベルの家族に溶け込んでいった。


 





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ