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メシカ最後の王妃の恋  作者: 細波ゆらり
第二章 変わり果てた街 テノチティトラン
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24 絶望



 クァクァウティンが戻った。

 イブラエスへの行軍路を辿り、クアウテモクが立ち寄った場所を調べて周ってきた。クアウテモクの遺体を埋葬するように依頼したのだ。



「テクイチポ様、こちらです」

 クァクァウティンは木箱を取り出した。



「一年も前のことで、時間が掛かり申し訳ありませんでした」

 その箱には、骨が入っていた。イザベルは静かに涙を流した。


「見聞きしたことを、詳しくお話ししますか?」

「今は… いいわ… 聞けば、辛くなる」


「はい。持ち帰りましたが、クアウテモク様だけでなく、テトレパンケツァル様とコアナコッホ様と思われるものも… 」


 箱に縋り付くようにイザベルは咽び泣く。

 アロとクァクァウティンは、両側からイザベルの肩を抱き、慰めた。



 その時、タキが部屋に駆け込んで来た。

「テクイチポ様! コルテス様がお越しです!」


 走って来たタキのすぐ後ろから、男たちが入って来た。

 アロは咄嗟に木箱に布を掛ける。


「おう、ドニャ・イザベル。久しぶりだな」

 コルテスは酩酊していた。


「夜更けに… 何のご用ですか?」

 涙を拭いながら、イザベルは気丈に答える。


「アロンソは死んだからな、お前を引き取りに来たのさ」

 酒臭い息を振り撒きながら、イザベルに近づいてくる。


 クァクァウティンは素早くイザベルの前に立ちはだかる。



「何だ… 男を招き入れているのか? お前も次々と夫を亡くして寂しいんだろ?」

 イザベルが目の前で侮辱され、クァクァウティンはコルテスに掴みかかると、一瞬でコルテスを床に組み伏せた。

 コルテスは酔っており、床に倒れたまま動かない。彼と共に入ってきた男たちをクァクァウティンは威嚇する。


「テクイチポ様、部屋を出ましょう… 」

 男たちが呆気に取られている間に、部屋を出ようとした時だった。

 大きな音がした。


 振り返ると、コルテスが立ち上がっており、代わりにクァクァウティンが倒れていた。コルテスの部下が馬乗りになり、クァクァウティンを床に叩きつけた。



 三人は絶叫した。

 クァクァウティンの頭部からみるみる内に血が流れる。男たちを押しのけると、女三人でクァクァウティンを守るように囲み、頭部に布を押し当てた。



 クァクァウティンの傷を押さえていると、イザベルは突然背後から押し倒される。


 コルテスだった。



「寂しいのだろう? 私の屋敷で仕事があるぞ」

 抵抗する間もなく、イザベルは抱え上げられると、部屋から運び出された。




   §



 コルテスが去り、ようやくタキは神父に助けを求めに行くことができた。

 しかし、クァクァウティンの失血は多すぎた。


 意識の混濁するクァクァウティンは、連れて行かれたイザベルがそこにいるかのように呟く。

「テクイチポ様、お守りできず、申し訳ございません… 」

 クァクァウティンが囁く。

「喋らないで。医師を呼んだから… 」

 タキとアロはクァクァウティンの傷を押さえながら、彼を止める。


「いいえ… 言わねばならないことが… 私は、球技場に行く前にテクイチポ様に助けられた女の兄です。妹を逃して頂いたご恩、返しきれず… 悔やんでも悔やみきれません… 」


 クァクァウティンはイザベルを本当の妹のように大切にした。イザベルが何度拒んでも、しつこい程、逃げ出そうと説得を試みた。

「… この後は、オセロメーに… 」

 医師が来る前に、クァクァウティンは息を引き取った。



 クァクァウティンはタクバの屋敷の裏、彼が連れ戻した三人の王と共に埋葬された。





   §





 イザベルはタクバからコルテスの屋敷に連れ戻された。アロとタキたちも間もなくやって来た。


 コルテスの本邸に部屋を与えられたが、これは断固として拒否をし、敷地内の別棟でアロたちと共に生活を始めた。

 しかし、時折、コルテスがやってきてはイザベルを慰めた(・・・)



 一度は、薄れた憎しみがイザベルの心に充満していた。怒り、憎しみ、悲しみ、負の感情に押し潰され、イザベルは与えられていた全ての仕事を放棄した。協議会の仕事さえ。



 そして、イザベルは妊娠した。コルテスの子だ。

 怒りと憎しみは増長する。



 イザベルの気持ちを無視し、コルテスはイザベルと結婚すると言って聞かない。神父が二人の間に入り、仲裁をするが平行線だった。


 コルテスは、モクテスマ二世の血統が喉から手が出るほど欲しかった。クアウテモクに植え付けられた劣等感を拭う好機だった。クアウテモクと比べれば卑賤と言わざるを得ない出自であり、征服欲と出世欲だけで何の大志もないと、言外に罵られてきた。


 クアウテモクが愛した女を寝取ったこと、そして子を成したことで、コルテスはようやくクアウテモクへの雪辱を晴らした気持ちになったに違いない。


 そんなコルテスの浅ましさが見え隠れし、イザベルは激しく彼を憎んだ。




 業を煮やしたコルテスは、妻にしてもいないイザベルを妊娠させたという醜聞を恐れ、イザベルに五人目の夫を選んだ。イザベルを妻にしさえすれば、クアウテモクに対しもっと優越感に浸れたのだろうが、その時のコルテスは王室に目をつけられていた。イザベルを妻にすること、イザベルに子を産ませることが、王室への反逆と捉えられる恐れが出たのだ。

 イザベルの持つ影響力をコルテスは低く見積もり過ぎていた。



 また、イザベルの立場も難しいものだった。住民貴族の社会も複雑になっていた。経済的にも政治的にも白人社会と共生を始めた一方で、コルテスへの憎悪が消えたとは言えない。

 イザベルがコルテスの子を産むことは、イザベルの信用を失うことにもなる。タキやアロは、子が流れると言われる薬草を街中を血眼で探した。しかし、結局、イザベルはそれを飲む決心をつけられなかった。



「ドニャ・イザベル、少し話をしましょう」

 部屋に閉じこもるイザベルを毎日、神父が訪ねてくる。


 その日も、窓辺の椅子に座り、外を見つめるイザベルに神父は語りかけた。



「今まで、私たちはこの件でたくさん話をしましたね。お二人の言い分は真逆です。あなたの立場に立って考えると、あなたの夫の処刑を命じた人との結婚も、子の妊娠も拒むのは当然のように思います。それに、彼に対する感情も… 」



「しかし、憎しみ続けることは、あなたにとって、少しも良いことはありません。苦難があっても、神がいる限り希望があるのだ、と度々お話しして来ました」


「今のあなたの憎しみは、あなたから希望を遠ざけます。あなたが憎しみを媒介にして、物を見ている限り、あなたは幸せの始まりを見逃してしまうことになる。それを、私は恐れているのです」


「辛い気持ちはいつでもお話し下さい」

 返事をしないイザベルに神父は一方的に毎日語りかけ、帰っていく。毎日来られても、気持ちを切り替える術がない以上、イザベルには無駄な時間だった。



 死にたかった。しかし、クアウテモクが命を賭けて守ったものを捨てることは出来ない。






 

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