23 四番目の夫
それから突然慌ただしくなった。
コルテスに呼び出されると、イザベルに、土地が正式に与えられた。場所は、テトレパンケツァルが守っていたトラコパンの肥沃で広大な領地だった。それは、本国王室から、イザベルへの持参金だった。
父、モクテスマ二世が、イザベルに与えるようにとコルテスに指示した場所だった。
思い出の詰まったトラコパンの屋敷に移れることは、この上ない喜びだった。
しかし、トラコパンを受け取るのは、アロンソ・デ・グラードというコルテスの部下との結婚が条件でもあった。それは、断れるものではなかった。
コルテスは、情緒不安定だった。クアウテモクとの戦いとそれに続く数年の二人の関係が彼を苦しめた。クアウテモクの崇高な精神に彼は怯えていた。物理的には彼はいつでも優位であったにも関わらず。
クアウテモクの処刑は、メヒコ市の上層部にも、本国の王室にもコルテスの失策だと非難された。メヒコ市を統べる上で最重要だった象徴を失ったからだ。
イザベルの目には、コルテスは存在しもしないクアウテモクの亡霊に取り憑かれたように見えた。
彼が選んだアロンソという男は、コルテスに忠実な部下だったが、残忍で、従軍中そして戦後の再統治体制の中にあっても、先住市民への虐待の疑いがあった。また、他の指揮官との対立行為によって何度も拘束されたというほどの問題人物だった。
結婚はしたものの、彼は諮問機関への呼び出しと拘束を繰り返し、同じ屋敷に住むこともなかった。コルテスはアロンソに対する厳しい批判を抑える目的からか最後の王妃たるイザベルと結婚させた。しかし、アロンソの進退は行き詰まっていた。
アロンソは間もなく、先住市民の権利を保護することを規定したブルゴス法が適正に運用されているかを巡視する官吏として、メヒコ市から旅立った。その役職は、彼に掛けられていた嫌疑の内容からすると、あまりに皮肉的で懲罰的な意味合いさえ感じさせた。
この間、彼の指示なのか、コルテスの指示であるのか、イザベルの農地と資産の管理のために、何人かの協力者が現れたが、必要な投資に対し、回収が追いつくには至らなかった。
すぐに居なくなる男をイザベルの夫にしたのは、コルテスの償いだったのかもしれない。
アロンソがいつ亡くなったのかは、正確にはわからない。彼がイザベルの持参金を元手に出発して暫く経った頃、巡視中に亡くなったとイザベル宛に通知がやって来ただけだった。
タクバと呼ばれるようになったトラコパンでの生活は、イザベルの心に平和をもたらした一方で、新たな悩みにもなった。
広大な領地を管理するには、イザベルの力は非力だった。渡された持参金は目減りしてゆく。
イザベルに協力的な神父や、住民貴族たちの助けを借りるが、それも互いの利益が必ずしも一致しているわけではない。イザベルに優しい顔をして近づいてくる者たちに、騙され、一層の窮地に追い込まれる事態にもなった。
与えられた領地は、一種の治外法権が認められていた。それは、かつてのメシカが人を使役する方法での管理が認められているということだ。
これに、イザベルは大いに頭を悩ませた。
イザベルの管理下にいる限り、メシカの奴隷の扱いは、奴隷と言っても、尊厳ある暮らしがそこにはある。職業の一つのようなものだった。そして、改宗も免除された。
タクバの住民は、古き良きメシカの暮らしを望む一方で、メヒコ市民が得られる権利も同じように享受することを望んだ。
実態として、市井で正しく与えられていたとは言えないが、貴族の荘園で暮らす市民には、法で定められた基準の住まいがあてがわれ、基準に満たない場合は、市民は荘園主にそれを求めることができる。
結果的に、タクバの住民は両方の良いとこ取りをすることになり、イザベルの領地管理費は膨れ上がった。
忙しい日々の中、イザベルはかつてのテトレパンケツァルの屋敷の庭を復元することを楽しみにしていた。かつて池のあった場所は、いつの間にか水源がなくなり、ただの沼になっていた。
イザベルの住民たちは、イザベルの小さな楽しみを手伝うことで、追加の手当てが出るため、空いた時間にはこぞってイザベルの屋敷を訪れた。
その日も、住民らと共に庭を手入れしていた。
「ドニャ・テクイチポ」
いつかと同じように、土いじりをしていると、手元に影が差す。
見上げると、神父を訪ねてきたあのフアンが立っていた。
「ああ… 」
イザベルは手の土を払い、立ち上がる。
「以前は、すみませんでした。あなたが、ドニャ・テクイチポだとは知らず、大変、失礼いたしました」
青年は丁寧な謝罪をした。ドニャと呼びながら、イザベルではなく、テクイチポと言うのは違和感だった。
「いえ… あの後、訪問下さったのにお構いもせず、こちらこそお詫びします。花壇の手入れもして下さったとか… お礼申し上げます」
あの後、フアンがかつて、コルテスの指揮下で戦いに加わっていた征服者の一人であり、今は白人らの評議会に籍を持つヴェチーノという職を持っているという話を神父から聞いていた。
この青年がイザベルに示す態度と、これまでの経歴や今の立場はイザベルを混乱させた。亡くなったアロンソや他の白人のように、イザベルを利用しているようにも思える。
「私は、今、イザベルと名乗っています。その呼び名はご遠慮下さい」
イザベルにとって、テクイチポという名は愛した夫とかつての生活全てを意味していた。その思い出を共有しない人にその名を呼ばれると、それを土足で踏みにじられる思いがするのだ。
「ごめんなさい。配慮が足りませんでした。ただ、初めてお会いした時に聞いた名前… あなたは正確にそうは名乗らなかったですが、そうお呼びする方が適切かと思ったのです。短絡的でした」
フアンは心の底からすまないと思っていると言った様子だ。
「あの、私のことをあなたに紹介させて下さい。名は、フアン・カノ・デ・サアベドラ。今はヴェチーノですが、本国では、貧しい地域の市長の息子でした。まだ、二十になる前にこの大陸に来て… 来ました。不本意ながら、コルテスの元で戦闘にも加わり、その後は、あちこちで荘園経営を手伝って、メヒコ市に来ました。前にお話した通り、私はあなた方に適切な… 」
彼はまた、早口で捲し立てる。
「だから、何です? そう言って私に取り入って、私から搾取する人にはうんざりです」
長くなりそうなフアン・カノの話を遮り、イザベルは立ち上がる。腰の低いカノに対し、イザベルは滅多にしないような高圧的な態度を取った。言い過ぎたようにも思うが、甘い顔をすれば付け上がるに違いない。
「いえ! そんなつもりは毛頭ありません… 今日はただ… 遅くなりましたが、お悔やみを伝えに来ただけです」
背後でフアンが言った。
「お悔やみ? 私にとって、アロンソ・デ・グラードの死は意味のあるものではありませんから、結構です」
イザベルは振り返ると、最後通牒のつもりでそう言った。
「いえ… あなたの王のお悔やみに… 」
それは、口に出されたくもない話だった。イザベルは言葉を返さず、屋敷に駆け戻った。




