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メシカ最後の王妃の恋  作者: 細波ゆらり
第二章 変わり果てた街 テノチティトラン
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22 コルテスの帰還と改宗


 カヌーで捕まった日から五年、クアウテモクの出発から二年の月日が経ち、コルテスは帰って来た。



 翌日、到着するという知らせを受け、馬隊が到着するとテクイチポたちは庭で出迎えた。


 白人たちが次々と入ってくる中、馬隊にクアウテモクの姿を探す。



 最後尾らしい馬が入って来ても、クアウテモクはいない。



 神官やアロたちと横並びで立っていると、コルテスがテクイチポの前で立ち止まる。



「お前の夫は、反逆罪で死刑にした。一年も前のことだがな」

 コルテスはゆっくりと告げた。



「いやぁぁぁ」

 テクイチポは反射的に叫んだ。身体中が震え、力が抜けるとその場に崩れ落ちる。泣き叫ぶことが不敬な態度だったからか、コルテスに顔を平手打ちされた。

 神官とアロに支えられたが、もうどうでもよかった。




 死んでしまいたい。この世界に一人で取り残されたくない。

 クアウテモクのいない世界で、何を支えに、何を喜びに生きていけばよいか、一つも思いつかなかった。


 いつも、テクイチポを、メシカの人々を明るい気持ちにさせ、前に進む勇気をくれた。聡明で強く優しく美しい夫。その喪失は受け入れられない。






 


「あなた方の信仰では、戦いの中で死ぬことは尊ばれる」


「しかし、今のあなたが死にたいと思うのは、戦死ではありません。夫を失った悲しみから逃げるための死です」


「私たちの教えでは、神に与えられた命を自ら断つことは許されません。神があなたと共にいる限り、絶望はなく、困難があっても、よい未来があるからです」


 神父はテクイチポの枕元にやってきて、毎日、同じことを語りかける。

 テクイチポが食事を拒み、語ることをやめて一週間だ。


 この間には、評議会の皆もやって来た。皆、涙を流し、クアウテモクの死を悼んだ。彼らからの話で、盟友テトレパンケツァルも同じ場所で処刑されたと聞いた。また、時を置かずして、コアナコッホも。


 クアウテモクと共に過ごした記憶を共有したかった二人の喪失は、テクイチポの悲しみに追い討ちをかけた。

 それは、テクイチポにとって、一つの世界が崩壊したことを意味した。


 一度だけ、テクイチポが口を開いたのは、クァクァウティンがやって来た時だった。クアウテモクの遺体を探し、埋葬するように命じた。たとえ、それが、一年も前のことだとしても。



「テクイチポ様、クアウテモク様は亡くなる前に洗礼を受けました。フェルナンド、と」

 神父の話は続く。


「神の御許に導かれ、新たな歩みを始められることでしょう。それが、あなたの心に少しでも安らぎをもたらすと良いのですが… 」

 言葉を発せず、瞳を開けないテクイチポの手の甲に触れると、神父は立ち上がった。



「洗礼を受けた彼はどうなると?」

 テクイチポが目を開けると、泣き腫らしたせいで、瞼が痛かった。

「神の御許で永遠の時を過ごします」

 神官はテクイチポに優しく微笑みかける。


「彼は、あなた方の神を受け入れたの?」

「そう聞いています」


「本当に?」

 神父に目を向ける。


「あの方の意思だと思います。この街で過ごした数年間、私は何度も彼と対話をしました。何度も洗礼を受けることを勧めました。私があなたにしているのと同じように。その時はいつも、明確に拒絶されました。そのような状況では、洗礼はしません。ですから、彼は受け入れたのだと、私は思います」


「… 」

 テクイチポは、馬車の中での会話を思い出す。


 ーー 信仰は、他人が外から押しつけるものでもないし、他人に覗かれたり、判断されるべきものでもない


 クアウテモクははっきりとそう言った。



 ーー もう、犠牲を出させない。それが私の意思だ


 クアウテモクが望んだのは、人々の安寧だ。そのために必要だとしたら、彼は信仰を変えることさえ受け入れたのかもしれない。

 テクイチポは、まだやるべきことがある。クアウテモクの遺志をテクイチポの他に継ぐべき人などいないのだ。




 神父が部屋から出ていくと、テクイチポは数日ぶりに寝台から起き上がった。

 窓の外を眺めると、テクイチポがクアウテモクが帰ってくると信じていた時と変わらない景色がある。



 生贄を止めても、太陽は昇る。太陽が昇れば、大地には実りがある。そして、そこには人々の生活がある。



 そこまで考えると、毎日、クアウテモクの帰りを楽しみにして手入れしていた花壇を何日も放っておいたことを思い出す。

 窓を開けて、身を乗り出すように、花壇を確かめた。


「テクイチポ様!」

 部屋にいたアロが心配して駆け寄り、テクイチポを後ろから抱きしめた。


 花壇は手入れしていた頃のまま、花々が美しく咲き誇っていた。



「花… 」

 テクイチポが呟く。



「あ… 水やりは欠かさずしています。それと、以前、神父を訪ねてきたフアン殿が、代わりにと言って、手入れをしに来てくださいました。テクイチポ様が触らないようにと仰っていたので、お止めしたのですが… 」


 大切にしているものを、一緒に守ってくれる人たちがいる。


 クアウテモクが大切にしていたものを守るのは、テクイチポだ。それは、他の誰にも譲れない役目だったはずだ。


 テクイチポの目から涙が溢れた。




 ーー 困難があっても、よい未来がある


 神父の言葉が蘇る。



 それから、数日後、テクイチポは、イザベル・モクテスマという新しい名を受け入れた。



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