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メシカ最後の王妃の恋  作者: 細波ゆらり
第二章 変わり果てた街 テノチティトラン
20/41

19 二人の願い



 神官は相変わらず毎日やって来る。そして、タキと協力して、女たちに彼らの言葉を教えていった。神官は、他の白人らに隠れて、タキやアロに文字を教えた。テクイチポは隣でそれを眺めてはいたが、決して加わらなかった。

 読む必要があることは理解した。しかし、彼らの言葉と文字で自分を表現することへの抵抗感はまだ拭えない。


 また、彼らの信仰や歴史、技術など、神官は様々な話をした。タキとアロは覚えた言葉でメシカのことを神官に聞かせてもいた。神官は、興味深く聞き入り、その一部を書き留めていた。



 タキの息子、シューマが喋り始めた。彼の成長は、先の見えない不安な女たちの心を癒した。

 メシカの言葉を彼が口にすることで、自分たちの文化が続いていく希望を見出した。一方で、大人たちの使う言葉の中で、白人の言葉でしか表現できないものも増え、二つの言葉が混じり合ってもいた。


 頑なにそれを拒む者もいたが、白人らが持ち込んだ食材、道具、動物、料理方法、生活様式、病気などは、自分たちの言葉に置き換えられないため、融合はどんどん進んだ。


 元々、メシカは暗唱を重視して教育をしてきた。文字は、言葉を正確に書き留めるものではなく、記憶を呼び起こし、連想させるための筆記法だった。自然の事象や神話といった共通の知識を基盤に、文字が意味するものを、頭の中で再構築する。

 そのため、共通の知識を正確に記憶する必要があり、口誦でそれを学ぶため、人々は子どもの頃から聞いた言葉を正確に暗記する能力を鍛えられる。

 それは、人々が新しい言葉を覚えるために役立った。





    §





 そして、その日は突然やって来た。


「テクイチポツィン!」

 窓の外から、マサトルの声がする。テクイチポが窓を開けると、マサトルが小声で続ける。


「これが、部屋の鍵です。内側からこれで開くか試して下さい」

 鍵の束を渡される。

 マサトルからそれを受け取ると、テクイチポはすぐに扉に向かう。

 束の中から大きさの合う鍵を探し、音を立てないよう鍵を差し込み、回すと抵抗なく最後まで回り切る。


 テクイチポはまた窓に戻る。


「開いたわ」


「今日は昼過ぎまで誰も帰って来ません。王のところに案内できます。来ますか?」


 テクイチポが室内を見渡すと女たちは頷く。


「みんな、逃げたい?」

「テクイチポ様が行くのならば。王妃が残るなら、私たちは一緒に残ります」

 アロが答えると皆が頷く。


 クアウテモクが皆を残して逃げるとは思えない。

「戻ってくるから、待っていて。鍵は開けて行く。出て行きたければ、行っていい」


「いえ、鍵は全て掛け直して下さい。誰か戻って来た時に開いていたら騒ぎになります」

 タキは答えると、奴隷用のタキの着替えをテクイチポに被せる。


 皆に急かされるように、テクイチポは部屋を出ると、マサトルと共にクアウテモクのいる建物に走った。





 一際古いその建物に足を踏み入れると、異様な匂いがする。


「左側の一番奥の扉です。一階で待っています」

 地下に着くと、別の鍵をテクイチポに渡し、マサトルは一階に戻って行った。


 言われた部屋の前で立ち止まる。


「クアウテモク、いる?」

 扉の向こうにそっと声を掛ける。


 暫くの間の後、懐かしい夫の声が返ってきた。

「… いるぞ」


 テクイチポは震える手で鍵を開け、中に滑り込む。



 狭く、薄暗い部屋の奥に寝床らしい場所があり、そこにクアウテモクは壁に寄りかかって座っていた。

 頬はこけ、筋肉が落ちたからか一回り小さく見える。足と腕は白い布が巻きつけられている。


 愛しい夫。その痛ましい姿に胸が締め付けられたが、迷わずクアウテモクの胸にしがみつく。


「… これは夢か?」

 クアウテモクが恐る恐るテクイチポの背中に手を回す。


「いいえ。現です」

 そっと夫の肩を引き寄せる。ほんの少しの隙間も惜しかった。夫が無事に生きているその温もりを感じたい。

 

 クアウテモクは、テクイチポの首に顔を埋めて黙り込む。

 話したいことはたくさんあるが、それよりも抱きしめ合いたいという気持ちの方が勝った。



「クァクァウティンは戻ってきた。お前を守るためだ。オセロメーも、生きていれば、戻る。強く生きろ」


「逃げる?」

「私は無理だ。もう、この足では走ることもできない。私が話しているのは、お前の人生の話だ」

 クアウテモクの手がテクイチポの頬を撫でる。


「あなたがここにいる限り、私は逃げない」

「私も逃げないさ。逃げた王などと呼ばれたくない」

 クアウテモクが笑う。


「生き延びることと逃げることは違うわ」

「私にとっては、同じことだ。かつてのヒューイ・トラトアニ(三国の王)は、もはや戦えないのだから、返り咲くことはない」



「でも、こうして、お前に会えるなら、まだ暫く生きている… 私の最愛の妻、テクイチポ… 」

 埋めた顔から、涙が出ているのを感じたのか、クアウテモクはテクイチポの背中をさする。


「会わないうちに、大きくなった?」

「もう、背は伸びません… 最近、食事は取っているので、幾分、肉が戻りました」

 二年前のテノチティトラン戦の最後は、テクイチポも痩せ細っていた。その後も長く食欲は戻らなかったが、月日と共に身体つきは戻ってきた。


「だろうな… よく見せてくれ」

 クアウテモクは膝の上にテクイチポを抱き上げる。弱った身体のどこにそんな力があるのだろうか。アロが被せた服をクアウテモクは取り去った。

 テクイチポは、与えられた白人の女の服を自ら脱ぎ去る。


 顔、首、肩、そして背中、クアウテモクはゆっくりとテクイチポを眺めながら、手のひらで確かめる。


「今度こそ、私の願いを叶えて… 抱いて下さい。私にあなたの子を産ませて… 」

 テクイチポはクアウテモクに口づける。

「… それは、私の願いだ。もう、待てない」

 クアウテモクは初めて、テクイチポにその劣情を見せた。








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