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メシカ最後の王妃の恋  作者: 細波ゆらり
第一章 わたしの居場所 テノチティトラン
12/41

11 戦いの始まり



 クアウテモクの出発はそれから三日後だった。


 小規模の部隊を率いての陽動作戦だ。

 一部の将軍たちからは、クアウテモクが出る必要はない、と止められていたが、彼が率いることで兵士たちに与える影響を軽視できなかった。


 陽動作戦も、小競り合いも、市街戦も周辺の都市や集落で連日繰り返されている。兵士たちにも疲れが溜まる。士気を維持するのが難しい隊も出てきた。

 クアウテモクはメシカの軍神だった。そこにいるだけで、一人一人の力を何倍も引き出す。



 出発の日の朝、テクイチポはいつもより早く起きた。

 チャプルテペクに行った日から、クアウテモクはどんなに遅くなってもテクイチポの寝室に戻って来た。

 これまで広い寝台の端で掛布にくるまって眠っていたテクイチポだったが、今はクアウテモクの腕の中で目覚める。


 夫が目覚めるまで、幸せな微睡みを続けたいところだが、今朝はクアウテモクを起こさぬよう、そっと抜け出すつもりだ。

 腹の上に乗せられた重い腕を持ち上げ、身体を起こすとクアウテモクの頬に微かに唇をつける。


「… 早いな」

 クアウテモクは目を開ける。


「あ、起こすつもりでは… まだ休んでいて下さい」

「… ああ、どこへ行く?」


 テクイチポは答えに詰まる。

「… 今日の出発のために、昨晩、タマリの仕込みをしました。火を入れてこようかと… 」

 タマリは、日持ちはしないが携行食になる。厨房で将校に持たせるタマリを準備していたのに加わって、クアウテモクの出発前の食事をテクイチポが自ら作ったのだ。


「お前が作ったのか?」

「… ええ」


「では、それを蒸して持って来させたらいい。お前はまだここに」

 クアウテモクは起き上がったテクイチポを引き寄せて、腕の中に収める。


「… 私がやりたかったのです」

 テクイチポは答えたが、クアウテモクはすぐに寝息を立て、返事はなかった。








 クアウテモクが目覚めると、食事の支度が始まった。


 タマリは、とうもろこしを粗く挽いた粉と脂を混ぜて捏ねた生地に様々な具を入れ、とうもろこしの葉で包んで蒸した料理だ。

 テクイチポはテスココ湖のエビや魚、七面鳥や鴨とスパイスを織り込んだタマリを用意した。厨房で作っていたものより、豪勢な具材を選んだ。


「何種類作ったんだ?」

 運ばれてきたタマリを見て、クアウテモクが笑う。


「魚介、七面鳥、それと鴨です。蜂蜜とカカオを入れたものも」


 並んだ皿を指差しながら説明する。


「こんなに楽しい食事が出るなら、戦も悪くない」

「… 戦のない世の中なら、もっと良いです… 」


 メシカ人にとっては、戦いは日常だ。平和な時でさえ、戦力を保つために花戦争と呼ばれる模擬戦をしてきた。それは、メシカの神々への奉納のため、生贄を確保しなければならなかったからだ。


 父は、テノチティトランから遠く離れた都市まで征服した。そして、都市からの年貢で経済を回した。テノチティトランは、海に挟まれたこの地で最大の住民を抱えている。

 欲の強い人ではなかったが、メシカが戦いと生贄の信仰によって結束している以上、戦いを止めることは出来なかったし、父自身もそれを強く信仰していた。


 これまで三国同盟が仕掛けた戦いの殆どは、都市を服従させるためのもので、全滅させる戦いではない。しかし、この戦いは、白人たちがこの大陸を掌握するためのもので、彼らは金と土地を根こそぎ奪いにやって来た。戦いに生き残ったとしても、人々は奴隷にさせられるだけだ。

 戦いの種類が違う。



 考えていると、涙が頬を伝った。


「必ず勝って、帰って来る」

 クアウテモクはテクイチポの涙を拭う。



「この戦いが終わったら、子どもがたくさん欲しい。戦いと疫病でたくさん死んだ。たくさん産んで欲しい。他の女に産ませるのは嫌なのだろう?お前が産むんだ」


「… はい」

 拭われても、涙が止まらない。


「子どもは大事に育てよう。娘だって、どこかの部族にくれてやるような真似はせぬ。息子は、強く、人々に賞賛される男に育てよう」

 溢れるテクイチポの涙を拭いながら、クアウテモクが続ける。


「命のあり方を変えよう。国のあり方を変えよう。技術も進化させよう。やるべきことはたくさんある。二人で、幸せなメシカを作ろう」


 テクイチポはクアウテモクにしがみついた。


 知り合ってから、軍神の彼しか知らない。戦のない世で彼と生きたい。そうしたら、どんなに幸せな日々になるだろうか。



「泣き顔の見送りは困るな。美しい笑顔を見せてくれよ」

 クアウテモクはなだめるように、背中を撫でる。



 いつまでも、その腕の中にいたかった。


 しかし、時間はやって来て、彼の部隊は出発した。






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