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メシカ最後の王妃の恋  作者: 細波ゆらり
第一章 わたしの居場所 テノチティトラン
10/41

10 チャプルテペクの丘



 テクイチポの乗馬はすぐに上達した。

 空いた時間があれば、馬に乗りに行った。むしろ、そのために無理に時間を作りもした。忙しいクアウテモクに代わってクァクァウティンに教えて貰ったが、その教え方も良かった。


 護衛を従え、クアウテモクと共に近隣領主を訪れ、戦いへの協力と当面の納税の免除を伝える。先日の会議の後、タラスコと接触する前に、近隣領主に対して誠意を示し、これ以上の離反を防ぐことを優先することにしたのだ。



「わざわざ、王妃を伴って来るとはな!」

 トラコパンの王、テトレパンケツァルは彼の館で明るく二人を出迎えた。テクイチポが生まれる前、父王の時代からトラコパンを治めている老練の統治者だ。

 二人は会うなり、肩を組む。


「あなたの顔を見ると、戦いを忘れるからな。気分転換だ」

 クアウテモクも軽口を叩いて返す。


「王妃、パンケツァリストリの祭祀以来ですね、ようこそ」

 テトレパンケツァルは人懐こく、快活な王である。戦士であるとは見えない。引退してもおかしくない歳であろうが、戦いの前線にも出ているというから驚きだ。

 パンケツァリストリの頃はまだクアウテモクを信用していなかったし、クアウテモクの家臣や近隣の盟主たちとも距離があり、会話するような仲ではなかった。



「茶と… 何か果物でも出して欲しい。馬で来たから、テクイチポは疲れている」

 クアウテモクがそう言うと、テトレパンケツァルは中庭のテントに向かう。


「ここに用意してるさ」

 庭には池があり、池の周りにテントを張り、テーブルが置かれていた。


「相変わらず、安穏としてるな」

 クアウテモクは敷布の上に腰掛けると、テクイチポを隣に呼ぶ。

「先に仕事を片付けよう。他の都市と部族たちの動向だったか?」


 クアウテモクにつつかれ、テクイチポが書いた地図と星取表を取り出す。


「王妃が書いた?」

 地図には、都市と部族ごとに印をつけて、協議の結果を書き入れている。


「簡単なものですが… 」

 クアウテモクは横で黙っている。テクイチポに説明しろということらしい。


 結果と、離反の可能性、併せて白人の軍の進路予想、離反した勢力が白人の軍と合流した場合に守りが脆弱になる場所を説明した。


「わかりやすい説明をありがとう。じゃあ、俺の部隊はここらを補強しておくか… 」

 テトレパンケツァルは地図を指差しながらニヤりとする。


「しかし… すっかり部下だな… 」

 テクイチポに遠慮して、小声でテトレパンケツァルが言う。


「おい!」

 部下のように扱うな、と話していたばかりで、クアウテモクは気まずそうな顔をする。

「おやおや、ヒューイ・トラトアニ(三国の王)が、妻に気を遣う優男だったとは!」

 テトレパンケツァルはますます面白そうに揶揄う。


「余計なことを言うなら、そこで水浴びでもしてろ」

 クアウテモクが池を指差す。


「はっは! クアウテモクは、幼い頃ここに来ると水浴びをしていたんですよ。大人の話にすぐに割って入ろうとするから、邪魔をして欲しくない時に私たちは、水浴びでもしていなさい、と、彼を追いやっていたのです」

 テトレパンケツァルはテクイチポに説明した。


 二人の関係は奇妙だった。年齢では、テトレパンケツァルが歳上であるが、今は同盟上、クアウテモクがテトレパンケツァルを上回る地位にある。歳の差を感じさせない友人関係のようでありながら、クアウテモクへの敬意は確固としている。


 

 二人は揶揄い合っていたが、いつの間にか地図に話を戻し、時折、テクイチポに書き込みをさせながら、必要なことを決めていった。








 トラコパンからの帰り道、チャプルテペクの丘に寄り道した。広がる森の中に丘があり、丘の上には神殿がある。神殿からの眺めは素晴らしいが、神殿に行けば、息抜きに寄ったはずが仕事を増やすだけになるに違いない。


 草地で馬を降り、丘の斜面に並んで腰掛けた。


「テトレパンケツァルは信頼できる人ですね」

 先ほど訪れたトラコパンの王について触れた。


「盟友だ。わざわざ訪ねる必要はなかったが、ゆっくりお前と話をさせておこうと思ってな」

 クアウテモクはぼんやりと森を見つめながら答える。




「テトレパンケツァルとも話していたが、あと数日もしたら、私も出陣する」

 白人勢はテスココ湖を目指して西進し始めた。先日、顔を合わせた将軍の何人かは既にテスココ湖の東の街を守るために出発している。



「戦地への見送りは嫌い… 」

 クアウテモクの妻になってから、初めての見送りだ。これまでも、父や他の王族の見送りには立ち会ったが、夫を見送るのは初めてなのだ。

「嫌なら無理にとは言わないが… 顔は見たいぞ?」

 クアウテモクはまだ森を見つめている。


「え?」

「王妃の見送りは士気を上げる」

 自分の王妃としての役割は、言われなくともわかっている。嫌だという気持ちで、見送らないと言っているわけではない。当然、見送りはするが、嫌なのだ。


「… あなたも、私の顔を見たい?」

「勿論だ」

 間髪入れずに返事がある。上の空で返事したようにも見える。テクイチポの方を見るでもなく、依然として森を見つめている。


 何を考えているのだろうか。

 戦いのこと、同盟者のこと、離反者のこと、クアウテモクはテノチティトランを守ることに全身全霊を掛けている。それができるから、人々は彼に全幅の信頼を寄せる。



 テクイチポは身を乗り出し、クアウテモクの左頬に口づけた。

「聞いていた?」


 驚いたクアウテモクは、やっと森から目を離す。

「聞いている。… 早く大人になれ」

 そう言って、テクイチポの肩を抱く。


 早く大人になったら、何だと言うのか。今だって充分大人のつもりだ。

 離宮で初めて会った日にクアウテモクと交わした約束を反故にしてもいいとテクイチポは思い始めている。彼もそう思っているのだろうか。



「もう大人です」

「待つから、気にするな」

 抱かれた肩が揺さぶられる。


 クアウテモクもそう思っている、とテクイチポが信じてもいいような手応えはある。

 一緒に過ごす間に、信頼関係以上のものが芽生えているように感じるのだ。彼の優しさは、テクイチポを幸せな気持ちにさせる。それは、誰にでも与えるような種類の優しさではない。



「あなたが私を待つ間… 寝床に帰らないあなたを待つのは私よ?」

 同じ寝室で眠るようになって以来、ほぼ毎日クアウテモクはテクイチポの隣で眠っている。しかし、たまに帰らない晩もある。


「… なんだ、妬くのか?」

 面白いものを見るかのように、テクイチポに視線が注がれる。やっと彼の頭の中から、別の心配ごとを追い出せた。


「いけないことですか?」

「子ども扱いするな、ということは理解した」


「はい」

「妬かれるのは悪くないが… 大人になってから言え」


「だから、もう大人だと!」

「… お前は、私の一番の妻だ。それは、地位の話ではない… しかし、妻は一人ではない。お前を妻にする前から妻も子どももいたのだ。諦めろ。蔑ろにはできない。それがわからないから、子どもなのだ」


 耳に届く言葉の強さとは裏腹にクアウテモクの眼差しは優しい。

 揶揄うようにテクイチポが膨らませた頬を指で突く。



 テクイチポにだってわかっている。

 しかし、戦乱の世なのだ。一度戦地に赴けば、何が起こるかわからない。




 拒絶するつもりでいた三人目の夫に恋をした。



 

 優しく、気高く、勇敢で、賢く、美しい、誰からも愛される夫を独り占めしたい。第一の妻であるのに、彼を手に入れていないし、彼のものにもなっていない。




 テクイチポはいつか見たウィツィロポチトリを思い出す。



 隣に座る夫の膝の上に跨ると、その美しい唇に口づけをした。


「… 地位じゃないなら、何が一番か教えて… 」

 唇を離し、そう告げると、クアウテモクから唇を寄せてくる。


 テクイチポが差し出した愛を彼が受け入れ、彼も愛を返してくれた。クアウテモクの腕の中は、テクイチポが今まで感じたことのない、安らぎに満ちていた。







 読んでいただきありがとうございます。


 先が気になるな、と思われたら、ブックマーク、星マーク、いいね、などリアクションいただけたら幸いです。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 動乱の世に翻弄されるテクイチポが、ただ流されるだけの弱い少女ではなく、かといって女傑たろうとするのではなく、飲み込まれまいと必死に生きる等身大の姿に、すっかり惹き込まれました。 丁寧な…
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