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泪橋  作者: 篠川 翠
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鎌倉へ(3)

「私がこの地に下向してきたときに、治部との和解を持ってきたのは、そなただけだったろう」

 言われてみれば、その通りである。もっとも、たまたま伊藤左近が持ってきた話を持ち込んだだけだが。

「その時から、美濃守はお主を見込んでいたらしい。あの時の我らに、治部と最後まで戦う力はなかった。あの時の話を蒸し返す者もいるようだが、あれが愚策だったとは、私は思えぬ。三千代姫を娶り、三年の猶予が与えられたからこそ、我らも結束を固め、余力を蓄えられた」

 為氏の話からすると、どうやら美濃守は、図書亮の政治的な嗅覚を見込んで鎌倉に赴かせたいようだった。図書亮の行動は、不思議と後から良い結果をもたらすことが多いのだと、美濃守も言い添えた。

 だがそれでも、主を不幸にしたのだという罪悪感は、澱のように残っていた。さらに、為氏が言葉を続ける。

「三千代と過ごした日々は、私にとってもかけがえのないものだった。決して不幸だったわけではないぞ」

 そう言うと、為氏はちらりと美濃守を見た。

「美濃守。ここには我等三人しかおらぬ。せめて図書亮には、本当のことを話したらどうだ?」

 主の言葉に、美濃守は気まずそうに視線を逸らせた。好機であるとばかりに、図書亮は美濃守に問いかけた。

「美濃守様は、三千代姫様をどのように思われていたのです?」

 すると、返ってきたのは意外な言葉だった。

「……儂も、あの姫が嫌いではなかった」

 美濃守の思いがけない言葉だった。彼女を追い詰め、和田から追い出す音頭を取っていたのは、他ならぬ美濃守自身ではないか。思わず、図書亮は美濃守を睨みそうになるが、御前である。辛うじてその衝動をこらえた。

 ぼそぼそと、美濃守が言葉を続けた。

 三千代姫を一個人として見れば、確かに教養にあふれる姫君であり、機知にも富んでいた。家来から(かしず)かれるのみの為氏にとっては、同じ目線で物事を語り本音で話し合える、かけがえのない伴侶だっただろう。それは、美濃守も重々承知していた。

 だが、須賀川の治部大輔の娘という立場を考慮すれば、三千代姫は為氏の子を生むことに専念するだけで十分だった。和田の民を思う心がけは殊勝だが、それは男が担うべき役割であり、為氏の北の方が表立って口にすることではない。それが和田衆・須賀川衆双方の神経を逆撫でていた。須賀川衆の不満を抑えることも出来ず、和田の者に対しても馴染みきれなかった。皮肉にも、素晴らしい姫君だったからこそ、自分で自分の首を締めていることに気づかなかった……。

「御屋形が一介の武人であれば、内助の功、妻の鑑として素直に皆から讃えられたであろうがな……。御屋形個人のお幸せと二階堂一族の幸福とを、儂は天秤に掛けた」

 美濃守の言葉に、束の間、沈黙が流れる。結局美濃守は後者を取り、あの惨劇へつながった。

「それは、私も同じこと。姫を須賀川に戻す命を下したのは、私だ。私が姫を死に追いやったのは間違いない」

 苦しげに、だがきっぱりと、為氏も言い切った。

「それで、和田にこの宮を?」 

 図書亮の言葉に、美濃守が頷いた。

「この地は、御屋形と三千代姫様がかけがえのない時を過ごされた場所だ。我が手で姫を死に追いやったからには、須田の長として、せめてこれくらいのことはして進ぜよう」

 美濃守がこの地に姫宮神社を建立させたのは、そのような思いがあったのか。

 たとえ二階堂一族が須賀川に移り住んだとしても、美濃守の一族は、己が主の手を汚したことの責任を取り、主一族に代わって三千代姫の御霊を慰め続ける。その悠久の流れに、思いを馳せずにはいられなかった。


 思ひきや問わば岩間の泪橋ながさら暇くれやさわとは

 

 姫の御霊が残していった辞世の歌には、「岩間」という言葉が詠み込まれていた。姫が自害した場所の名でもあるが、三千代姫と為氏が結婚生活を送った、岩間館の名前でもある。死を目の前にして、為氏と過ごしたその日々を、姫は愛おしんだのだろうか。

「お主と御屋形は、よく似ておられる」

 口元に微かに笑みを浮かべながら、美濃守が言葉を続けた。

「妻を大切にするところも、情に脆いところも。その一方で、武勇を惜しむことがない。時として、情の脆さが己の首を締めることもあるかもしれぬ。だが、それもまた、政の世界では吉と出ることもあろう。少なくとも、治部大輔のように己が目的を達するためのみに、人を動かそうとする過ちは侵さなくて済む。亡き三千代姫も、それをご存知だったに違いない」

 そうかもしれない。四天王らに養育されて随分と強かさを身に着けたが、主の為氏の根本は優しい人間だ。三千代姫はそのような夫を愛し、夫の為に殉じたのだろう。そして図書亮の妻であるりくも、同じような強さを持っている。

 二階堂家の女達は、見事としか言いようがない。

 しばし沈黙が続いた後、為氏がためらいながら図書亮に尋ねた。

「図書亮。三千代が子を身籠っていたという話だが……。お主は信じるか?」

 家臣たちから怪談として一笑に付されながらも、ずっと、為氏の心の中で引っかかっていたのだろう。図書亮は、即座に頷いた。

「妻が、姫の口から直接伺ったそうです。我が子と、我々の子が乳兄弟になれたらどれほど良かったか、と」

 その言葉に、為氏が一筋の涙を流した。主がどうしても知りたかった答えは、りくを通じて図書亮が知っていた。見ると、美濃守の目の縁にもうっすらと水っぽいものが溜まっている。

「御屋形に申し上げるべきでした。私も、金徳寺の尼らから『あの頃姫は、どうもご懐妊されていたようだ』と聞いたことを」

 金徳寺の尼と聞いて、図書亮はぴんと来た。怨霊騒動の折に、真っ先にあの手の話を否定しそうな美濃守は、為氏の話を聞くだけに留めていた。金徳寺の尼僧たちは、三千代姫のかつての上臈たちである。彼女らは須賀川城に戻って姫の遺品を届けた後に、そのまま髪を下ろして三千代姫や乳母の由比、岩桐らの菩提を弔う道を選んでいたのだった。姫の遺言に忠実だったために、須賀川と和田の決戦の戦火も逃れ、生き延びられたとも言える。

 仮に三千代姫が妊娠を打ち明けていなかったとしても、彼女らは薄々姫の懐妊に気づいていたのかもしれない。為氏の言葉を聞いた美濃守は、主の為に、独自にその可能性を探っていたのだろう。

「誠に、三千代姫は見事な姫君でした」

 万感の思いを込めて図書亮がそう述べると、残る二人も頷いた。


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