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泪橋  作者: 篠川 翠
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怨霊(6)

 遷宮の日になった。家臣一同、美濃守の計らいで和田館に集い、儀式が始まるのを待っている。この祭礼には、為氏も病を押して遷宮の行事に出席することになっていた。

 和田の土地には不釣り合いなほど立派な催しで、かつての金剛院開山のときの賑わいを思い起こさせた。あの時は、家臣らに黙って主夫妻が岩間館を抜け出し、図書亮とりくで岩間館へ連れ戻したのだった。その三千代姫は既にこの世の人ではなく、今、神となって祀られようとしている。

 神社の入口には注連縄が引かれ、この祭礼の導師である秀快・明観法印が朽葉色の法衣に金襴の袈裟、縹の帽子を纏ってしずしずと進んでいく。両法印は水晶の数珠や末広の金扇、白綾の襪を身に着けていた。前日は雨が降っていたが、この晴れの日を祝ぐかのように、今日は秋の空が澄み渡っている。法印らが草鞋を濡らしながら静かに歩み出て、その後に門徒や同門の僧侶らが数百人も続いた。素絹(そけん)の衣や黒衣を纏った僧侶らが鐃鉢を鳴らし、朗々と引声短声の声明が唄い上げられる。金襴錦の旗が天蓋神輿に差し掛けられていて、瓔珞が風にたなびいて鳴り合っている様子は、荘厳な美しさがあった。

 図書亮も神妙に僧侶らの唱える声明に耳を傾けていたが、ふと顔を上げると一人の僧侶の姿が目に止まった。

 あの明沢が、僧侶の一団にちゃっかり混じっているではないか。

(あの男……)

 どうやら明沢は、本人が言うように本物の僧侶でもあったようだ。にわかには信じ難いが、晴れの儀式への参列が認められているところを見ると、それなりの僧侶の位階も持っているに違いない。その一方で、間諜の役割もこなしている。だが、この目出度い場において敢えて騒ぐこともあるまいと、図書亮は思い直した。

 法印らの導きを受けて、立烏帽子を被り黒い浄衣を纏った神主が、(ぬさ)を捧げる。その前には、玉石と檜扇が祀られているのが目に入った。三宝に載せられた檜扇は、花の宴の折、三千代姫が手にしていた物だった。為氏が、姫の形見として寄贈したに違いない。

 折烏帽子を身に着けた神人や社司らが、桑の弓や蓬の矢を持ち、太刀を取って鉾を捧げる。その一団が、笛を吹いて鼓を打ち、鈴を振った。髪を結い上げた巫覡が身装鈴を持って遷宮の供奉を勤め、その後には八人の乙女、二十五人の神楽男、獅子田楽が続く。

 三千代姫は、信心深い姫だった。彼女がこの祭礼を見たらどれほど喜んだだろうか。

 こうして神輿遷宮の礼が終わり明観法印が諷誦文(ふじゅもん)を読み、秀快法印が説法して、諷経(ふぎん)が終わった。いよいよ、遷宮の行事も終盤である。

 社人らは音取りの笛を吹き出し、いとうの鼓を打ち、先程の八乙女らのように身を翻す。拍子を整えて神歌を唄い、爽やかに鈴を振りつつ五度袖を翻しながら舞うのを、一同は感嘆の眼差しで見つめていた。

 一連の神事が終わると、さあっと空から光が差した。その中で、乙女らが真っ白な袖を翻し、これと競うかのように楽人らの音が鳴り響いている。その光景は神女の降臨とも見えた。

 獅子田楽(ししでんがく)流鏑馬(やぶさめ)の神事も終わると、貴賤を問わず、見物客に赤飯や神酒が振る舞われた。その振る舞いは、この和田を治める須田一族が用意したものである。安藤左馬助と共に、樫村や相生兄弟、そして藤兵衛が立ち働いているのが見えた。皆、須田一族の郎党として働く者らである。

 明日にはまた、取木村に出向いて領民たちの慰撫に務めなければならない。取木村の者らは人は良いが、新しい領主に馴染んでくれるまでは、まだまだ時間がかかりそうであった。

「一色殿。お疲れのようですな」

 近頃流れている噂を気にして、何となく家臣団から離れていた図書亮に話しかけてきたのは、明沢だった。

「少し、人に当たっただけた」

 図書亮は、無理に笑顔を浮かべてみせた。華やかな催しに、多少の疲れを感じていたのは確かだ。

「一色殿にとっても、これで一区切りついたのではございませぬか」

 明沢はそう言うと、うっすらと笑みを浮かべた。どことなく挑戦的なその言葉に、図書亮は思わず腰に手を当てた。だが、今日はめでたい日である。この僧侶と張り合うのにも、そろそろ疲れてきた。

「御坊。いい加減に正体を明かしたらどうだ」

「某は、一介の僧に過ぎぬ」

「嘘を申せ。一介の僧が、都の情勢に通じているはずがなかろう。それに、和田の陣割についてもな。生臭坊主が、殺生までしおって」

 図書亮の言葉に、明沢は黙って笑っている。美濃守に新領のことで掛け合いに行った後、図書亮なりに考えてみたのだ。

 図書亮は、三千代姫の兄である行若を見逃した。それを知っていたのは、あの場にいた牛頭しかいない。牛頭はそれを美濃守に告げた。また、明沢はある日突然に、図書亮の眼の前に現れた。一介の僧が和田の陣割についての知見を早々と得ていたのも不思議だったが、明沢と牛頭が同一人物だとすれば、辻褄が合うのだ。

「ばれたか」

 秘密が露見したというのに、明沢には全く悪びれた様子がない。この明沢を使嗾していたのは、紛れもなく美濃守だろう。

「我が主の誉の為に申しておくが、美濃守殿は、お主を疎んじておるわけではないぞ」

 明沢の言葉に、図書亮は眉を上げた。

「どこがだ」

 新領のことで美濃守に掛け合いに行った際には、行若のことを持ち出して暗に脅された。てっきり取りなしてくれると思った安房守は、美濃守の判断を全面的に支持し、今の図書亮は冷や飯食いと言っても良い。そこへ、今回の怨霊騒動で図書亮を悪く言う者も出始めていた。人の噂も七十五日というが、いつまでも妻や娘をこの噂の渦中に晒すわけにはいかないではないか。

「まさか、あの噂までお主が流したわけではあるまいな」

 図書亮が凄むと、明沢は肩を竦めた。

「姫の怨霊が御屋形を悩まし奉るのは、誰もが予想外だった。よって、あの噂は我等が流言を流したものではない。お主は筋目も良く、そこそこ功も立てたろう。それを妬む者もいたということだ」

 そう言われると、黙るしかなかった。あの、山城守の挑戦的な眼差しを思い出したのだ。二階堂一族の内側でも、密かに新たな権力闘争が始まろうとしているのではないか。

 だが、そのために主を傷つけるのは、もう真っ平だった。

「美濃守殿のお考えは、儂にも読み切れぬところがある。だが、あの御仁は心底二階堂家の為に忠義を尽くされる御方だ。美濃守殿がお主についてどのように考えているかは、いずれ語り合われる機会もあろう。少なくとも、政の絵図の先読み能力については、安房守殿より一枚上手だな」

 明沢の言葉は、図書亮も納得できるものがあった。安房守は図書亮を婿として迎え入れたが、あくまでも箭部一族の一員としてしか扱わず、安房守自身も図書亮の能力を存分に活かしきれていないところがある。だが、美濃守は違う。明沢のような者を自在に扱い、都や鎌倉にも働きかけようと試みている。

 明沢の言葉が真実だとすれば、この先の身の振り方については、考え直さざるを得ない。美濃守が図書亮を二階堂家中から外に出したいとすれば、必ず何か目的があるはずだ。

「明沢。私も、加持祈祷を一つ頼んでも良いか」

 図書亮は、明沢に思い切って、一つ頼み事をすることにした。

「易いことだ。お主とは、この先も長い付き合いになりそうだしな」

 明沢はそう言うと、にやりと口端に笑みを浮かべた。

 これから待ち受ける未来を思うと、思わず身が震えた。明沢を全面的に信じるわけではないが、りくだけでなく、図書亮自身も、あの戦では死線をくぐり抜けることができた。ついでのようではあるが、この明沢は確かに図書亮の戦勝祈願の祈祷も行ってくれた。胡乱の者でありながら、法力も備わっているのだろう。このような者を使嗾する美濃守のことだ。今までの図書亮への処置も、何か考えがあってのことに違いない。


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