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泪橋  作者: 篠川 翠
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暮谷沢の惨劇(4)

【主要登場人物】


<和田旗本衆~下向組>

一色図書亮……主人公。永享の乱で父を失い、二階堂家の須賀川下向に加わる。

忍藤兵衛……鎌倉出身。白川結城家にルーツを持ち、古くからの図書亮の知り合い。

倭文半内……鎌倉出身。鎌倉以来の知己。

宍草与一郎……播州出身。在京の将軍である足利義教を嫌い、鎌倉を経由して二階堂一団に加わる。

相生玄蕃……播州出身。後に、須田秀泰の家臣になる。


<四天王関係者>

須田美濃守秀一……四天王の一人。須田家の惣領であり、実質的な和田衆家臣団の代表者。和田地域を差配。

須田佐渡守秀泰……須田家次男。小作田・市之関を差配。

須田三郎兵衛尉秀房……須田家・三男。袋田を差配。

須田紀伊守秀幹……須田家四男。竜崎を差配。

須田源蔵秀顕……須田家五男。浜尾の一部及び江持・堤を差配。

安藤左馬助……須田家家老

箭部安房守義清……四天王の一人。箭部家の惣領であり、今泉を差配。

箭部下野守定清……安房守の弟であり、図書亮の妻りくの父親。狸森むじなもりを差配。

箭部紀伊守……りくの従兄弟。鹿嶋館に居住。

遠藤雅楽守……四天王の一人。山寺を差配。

守屋筑後守……四天王の一人。里守屋を差配。


<二階堂家>

二階堂為氏……二階堂家の惣領。十三歳で父の跡を継ぐために、鎌倉から須賀川に下向。

治部大輔……為氏の父の死後、代官として須賀川に派遣されていた。

民部大輔(北沢民部)……為氏の伯父。

二階堂山城守(保土原殿)……行村系の二階堂一族。


<女性陣>

三千代姫……治部大輔の娘。為氏の妻。

千歳御前……治部大輔の妹。民部大輔の妻。

りく……図書亮の妻。箭部定清の娘。


<その他>

明沢……謎の羽黒修験者。


「そなたたちが死んでも、何の益もないこと。そなたたちはそれぞれ命を全うし、須賀川へ戻って形見の物を父上や母上に捧げ、この有様を申し上げて、念仏の一篇でも回向してもらうことが、私への第一の忠孝です」

 その様子は、あの優しげで愛らしい姫ではなかった。紛れもなく二階堂の姫君の誇り高き姿であり、御仏のような気高さを感じさせた。

 そう告げると、姫は再び女輿の中へ戻った。姫の決意に、もう誰も彼女の死出を止めようとはしない。やがて、念仏が微かに聞こえてきたかと思うと、輿の中から呻き声が聞こえた。

「姫!」

 由比がたまらず輿の戸を引き開けると、小袖の胸元を寛げたために見えている彼女の真っ更な雪のような胸元は、真っ赤に染まっている。先ほどまで気丈に開かれていた目は閉じられており、既に呼吸は止まっていた。かつて、唐の西施のようだと讃えられた姫君は、目も当てられない有様である。乳母の由比を初め、お付きの女房たちは姫の亡骸に抱きつき声を惜しまず涙を流した。空はようやく雷雨が小止みになったが、両脇は切り立った崖のためか、鬱蒼として辺りは闇い。

「由比殿」

 藤内左衛門が、由比の袖を引いた。その手には、血飛沫が点々と残された短冊があった。

 

 思ひきや問わば岩間の泪橋ながさら暇くれやさわとは

(誰かに問われたのならば、私はこのように答えましょう。私の涙で、この岩間の泪橋が押し流すつもりはございません。ですが、それほど泣き暮れる思いです。この地が暮谷沢、すなわち人生の終焉の地というのは、皮肉なことです)


 限りある心の月の雲晴れて光とともに居る西の空

(この世を去ろうと心を決めれば、今まで思い悩んでいた心の曇りも晴れるというもの。西に沈む夕陽と同じ様に、私も西方の極楽浄土へ参ります)


 この辞世の歌を見て、一同は更に涙を流した。

 由比は、姫が両家の板挟みになっていたのを察していながら、何もできなかった自分を恥じた。

「藤内左衛門殿。姫を一人で逝かせるわけには参りませぬ」

 そう述べると、由比もまた辞世の歌を詠んだ。


 死出の山知るべもあらぬみちながらつれてやはれめ西へ行く月

(死出の山がどこにあるのか、またこの道がどこへ行くのかはわかりません。ですが、どうか私を連れて行ってくださいませ。西へ行く月よ)


 姫の仰るように、この世の最期を迎える地が「暮谷沢」というのは皮肉なものだと、由比はひっそりと皮肉な笑みを浮かべた。「人生の日の暮れ」というだけでなく、この地の名前は「糸を繰る」という縁語でもある。三千代姫と為氏公はあれほど想い合っていながらも、結局はこの世の縁が薄かったということなのだろう。

「では、皆様。お先に参ります」

 由比はそう述べると、自分の懐から自害用の脇差を取り出し、口の中に突き立てた。切っ先の痛みを感じたかと思う間に、急激に意識が遠のく。止める間もなく由比の自害の様子を見守っていた藤内左衛門は、脇差の柄が口に留まったままその切っ先が彼女の喉を突き破るのを、しばし呆然と見つめた。

「女の身でありながら、何と清々しい御心掛けか……」

 姫は生き延びよと申されたが、女の身である由比ですら、主の御伴を決意したのだ。どうして男に生まれた自分が、女に劣って良いものだろうか。

「岩桐様……」

 瀧尾が、涙ながらに訴えた。

「止めてくれるな」

 藤内左衛門は、首を横に振った。

「仮にここで命を永らえて須賀川の御城に立て籠もり、為氏公の軍勢に立ち向かって比類なき働きを見せたとしよう。万が一この先の戦で命を拾ったとしても、姫を死なせてしまったという汚名は生涯つきまとう。どのような面目があり、人に顔を向けることができようか」

「ですが……」

 尚も引き留めようとする女房の一人の手を、藤内左衛門は振り払った。

「たとえ人が何も言わなかったとしても、己が心は慚愧に堪えられぬだろう。また、発心もできないままに出家して入道するのも、見苦しい」

 そして、藤内左衛門は生真面目な表情を崩さずに、最期の言葉を述べた。

「今は浮世に思い残すことはない」

 身分はそれほど高くないものの、三千代姫が幼い頃から彼女の護衛を務めてきた、彼らしい言葉だった。そして体を西に向けると、声高に念仏を唱え始めた。

 念仏を唱え終わると、そのまま両肌を脱いで腹を広げ切腹の作法に則り、先ほど三千代姫から賜ったばかりの粟田口で腹を十文字に掻き破る。さらに、残る力を振り絞って鮮血の滴る傷口に手を突っ込んで内臓(はらわた)を掻き出すと、座ったまま絶命した。

 三千代姫や由比、藤内左衛門の立て続けの自害を止められなかった瀧尾は、涙を流しながら己も彼等の後を追いたい衝動に駆られた。

「瀧尾さま。せめて姫の御形見を須賀川の御城に届けませんと……。このままでは姫たちの御霊が、迷われましょう」

 上臈の一人である亀岡が、袂で目元を拭いながら泣く泣く申し出た。その懐には、姫から下賜された鏡が見え隠れしている。

「……そうじゃな」

 辺りには、出迎えに来たはずの須賀川衆の姿は見えなかった。だが、ここまで来れば須賀川の城はすぐである。

「姫様の御亡骸や、乳母殿、岩桐殿の回向をお頼み申し上げねば……」

 余りにも無惨な出来事に、その場に張り付いて動こうとしなかった足に、力を入れる。気力を振り絞って、右足を前へ踏み出す。

「和田の寄手が来ぬ内に、須賀川へ戻ろう」

 そう呟く瀧尾の声は、怒りに満ちていた。

(だから、あれほど須賀川へ戻ろうと申し上げたのに)

 今更ながら、力尽くでも姫を須賀川に連れ戻しておくのだったと、悔やまれる。できることならば姫らの体も須賀川の城へ持って帰りたいが、女の力では無理だった。

 残された五人の上臈たちは、風雨の合間を縫って愛宕山にある須賀川の城へ戻り、つぶさに姫らの自害の模様を伝えた。

 それを聞いた姫の母君やそのお付きの女房たちは、この惨状の知らせに堪えられず、気を失われたという――。


 図書亮らが泪橋に駆けつけたのは、五人の上臈たちが立ち去ってから程なくしてからのことだった。

 誰が、三千代姫の自害を予想していただろうか。

 須賀川の者の仕打ちも、あまりと言えばあまりである。治部大輔の姫君の行列と知っていながら、襲撃された。治部大輔にとって、姫の命はそれほど軽いものだったのか。いや、あの逢隈の出水のときの懇願を無視した治部大輔ならば、それくらいのことはやりかねない。

 そう思うと、図書亮の胸に怒りの炎が燃え広がった。

「雅楽守殿。これからどうされます」 

 いつの間に駆けつけていたのか、佐渡守秀泰が青ざめた顔を雅楽守に向けた。彼も、まさか姫が自害に追い込まれるとは思わなかったのだろう。

「……和田の者たちをまとめて、領内に戻り向後について話し合おう」

 雅楽守は振り絞るようにそう述べると、くるりと女輿に背を向けた。

 これはこれであまりの仕打ちではないか。怒りに任せるままに、図書亮は思わず雅楽守を引き止めた。

「御台の御身体は、どうされるのです?」

 仮にも、自分たちの主の妻であった女性である。そのまま野の獣の餌食とするには忍びなかった。既に死臭を嗅ぎつけたものか、どこからか鴉が姿を現し、不気味な鳴き声を発している。

 だが、雅楽守の返答はつれなかった。

「姫の御身体は、おっつけ須賀川の者が引き取りに参ろう」

 図書亮は言葉を失った。離縁したからには、和田とは関係ない。そう言いたげな雅楽守の言葉である。

 確かに、その通りではある。ここは須賀川から目と鼻の先だ。和田衆がこのままとどまっていれば、全滅する。

 和田勢も、引き上げるしかなかった。

 それでも図書亮の足元に鴉が寄ってきて翼を広げて威嚇するのを見ると、むかむかした。思わず、足で乱暴に払い除ける。

「図書亮。一旦和田へ戻ろう」

 やはり青い顔をした藤兵衛が、図書亮の怒りをなだめるように背を押した。

 援軍として暮谷沢に馳せ参じた和田衆も、帰り道への足取りは重かった。その一行の中には、担架に載せられた倭文半内や宍草与一郎の体もあった。

 三千代姫自害の知らせを為氏に告げたのは、雅楽守だった。日頃の好々爺の雰囲気は微塵もなく、ただ一言「姫は泪橋のたもとで、御胸を突かれてお亡くなりになられておりました」と、厳しい声色で為氏に告げた。

 為氏はその知らせを聞くなり、顔を青ざめさせ、今にも気を失うのではないかと思われた。

「御台が……」

 さすがの四天王も、掛ける言葉が見つからないようだった。

 やがて、為氏は絞り出すように小さなうめき声を発した。

「……御台を死に追いやったのは、私だ……」

 そう呟くと、御前会議を開かなければならないにも関わらず、為氏は岩間館へ駆け出した。その背を、四天王らは追おうともしなかった。

 そこへ戻っても、もう愛する者の姿はない。

 そのことを誰よりも痛感したのは、為氏自身だろう。

 やがて、暗闇の中、再び雨が降り出してきた――。

 


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