残酷ですか?(前編)
『世界は残酷だ』
小説やマンガやドラマなんかでたま~に耳にする言葉が、ボクの頭の中になんとなくこびりついてるように感じてしまう今日この頃。
だけど、ボクにはその残酷って言葉の意味がイマイチわからなかったわけで。
朝…いやいやもう昼間近だろ? って時間に起きて、生理的な朝処理の行動…って、なんかこの言い方、中々嫌な感じで誤解を招きそうだけど。
まあ簡単に言えば、夜更かし→寝落ち→爆睡→昼前→尿意に耐えきれず起床→渋々布団から這い出す
という、ありがち鉄板ぐうたらコンボを発動後、世に生まれて二足歩行を始めた辺りから、もう何千回開け閉めしたか数えよう気もない自室のドアノブに手をかけるって事から一日が始まるのだということで。
二階の部屋から木製の階段を降りて、居間の向かいにあるトイレ…はちょっとばかしスルー。
いやいやトイレよりも、喉が激しく渇いてる事に気付いたから仕方ない。 先ずはそっちを早急に解決しなければと思い、台所へと歩いた。
平日昼前の我が家は、口喧しい両親も悪人極まりない鬼畜姉貴も皆仕事で出払い、素晴らしき静かな世界で。
天国じゃ! パラダイスじゃ! 束の間の優雅な城主タイムじゃ、むふふふふ。
束の間の一人に、舞を舞いそうなほどに浮かれてるボクはというと、ただ今絶賛春休み中。ぐうたらの限りを満喫している、そこらへんにうじゃうじゃごろごろいるであろう至って普通の十七の高校生だ。
住人不在の心地よい静けさを噛みしめつつ、台所にある観音開きのの大型冷蔵庫の扉を開けて、
「チッ…、またボクのジュースが無くなってる…」
ボクがわざわざ自分のお小遣いで買ってきて、マジックででかでかと名前まで書いて冷蔵庫の奥に隠していた大事なカフェオレを、当たり前のように探しあて、盗んで飲んでいる犯人――姉のニンマリ顔が瞬時に頭に浮かんだ。
「あんの鬼畜ババア…。道端で転けて、スカートめくれて恥ずかしい思いすればいいのに。上司にどっさり仕事押し付けられてネチネチいたぶられればいいのに。彼氏とケンカしろ。んでもってまた泥酔して電柱にケンカ売って通行人に生暖かく指さされて笑われろ…。てかリア充なんてしねばいいのに」
冷蔵庫に顔を突っ込み、ボクは「神様どうかクソ姉に天罰を…」小さな呪詛を吐き出し、一息ついて、渋々麦茶を飲む。
冷たく冷えた麦茶は、夏にはそりゃ~天にも昇る旨さ。だがしかしだまだまだ梅が咲いたばかりのこの時期には少々違和感があり、寒気が走るほどに体が冷えてしまう気がする。
それを渋々堪えて眉間にちょっとシワを寄せ身震いひとつ。そして急に思い出す。
「そうだ、トイレいこう」
まるで、思い付きの電車旅にでるかのようなボクのつぶやきに、誰も冷たくつっこまない、ふふふ。
…これもひとつの極楽だと思いたいふふふ。悲しくないよー、寂しくないよー、うふふふふぅう~ぅ!
「…はぁ」
またひとつ息をつき、ボクは台所に踵を返しトイレへと向かい歩いた。
……がしかし、居間付近でなにか言い表しようのない気配というか、気圧の変化のようなものを感じて、思わず息をつめて足を止めた。
昨晩の夕飯時、なんとなく聞いてた母の言葉を思い出す。
『この辺り、最近空き巣が多いらしいから、みんな戸締りには十分気を付けなさいよ』
(ま、まさかあ~?)
そんな、わが家に限ってまさか…。
そもそもこんなドケチで大したものなど無い家に入る空き巣なんて、どんな節穴な目をしたドンマイな空き巣なの?
そう思い、心の中で苦笑いしつつも、やっぱり怖くて、緊張して…ヤバい、すんげートイレ行きたい…。
(くそう! 麦茶めっ! 貴様のせいだ! いや違う! 元はといえばクソ姉のせいだ!!)
どこにもぶつけようのない怒りと、トイレに行きたいという精神的、肉体的拷問で、足踏みしたくなってきた! だけど空き巣がいたら怖いっ!!
台所の入り口で小さく悶絶しながら、居間の向かい側のドアノブを恨めしげに見つめると、
ガタン――
「ひっ!」
居間から物音がして、小さく声を発してしまい、慌てて自分の口を両手でふさいだ…がしかし、
「…なんだ、ガキがいたのか…」
「――っ!!」
後ろから男の低い声と同時に、ボクの視界の端には冷たくてよく切れそうで痛そうな我が家の包丁が。
…忘れていたよ、うちの居間と台所は扉一枚で繋がってるって事をね…。
(てか、母さんのバカ…また包丁しまい忘れたな)
万事休す。ボクは空き巣に見つかり、ガムテープで手を拘束されて、居間のソファーに放り投げられた。
(乱暴に扱うなっ!! 漏れちゃうだろっ!!)
思わず空き巣を憎々しく睨むと、
「…なんだ、ガキ。そのクソ生意気な目は…」
目深にかぶった黒いキャップの裾から見えるパサパサした茶髪。キツネっぽい目に無精髭がいかにも悪人らしい感じだな。歳は多分二十半ばくらいかそれより少し若いくらいか。
空き巣は薄い唇の端を歪ませただけの笑みとは言えないものをボクに向けながら歩み寄り、包丁を翳した。
「流石ゆとりだな。お前のヌルイ脳ミソじゃ、自分の置かれた状況もわからないってわけか?」
(いやいやボクはさとり世代だから。てかゆとり世代はお前じゃね?)
心の中でつっこみつつ、ボクは頬にあたる鉄の硬くて冷たい感触に(ほっぺ寒っ!)と小さく身震いした。
「なんの苦労もなく暢気にだらしない生活してる感じだもんな? こんな平日の昼前なのにそんなパジャマみたいな格好で。なんだ? お前は引きこもりのニートか?」
空き巣はボクを詰りながら、ニヤニヤと眺めてくる。
…なんか空き巣とかセコい事やって生きてる中途半端な犯罪者に引きニート呼ばわりされる事に納得がいかないんだけど。
「失礼な。ボクは引きニートじゃない。脅されようがそこは断じて認めないぞ」
空き巣野郎にそう言って抗議の表情を向けると、
「ぷっ、ボクだぁ? お前頭イカれてんのか? あぁ、なるほどあれか? 痛々しいアニメオタク的なやつか。ま、んな事あどーでもいいがな。さっさと金目のモノの在りかを吐けよ」
…ボクの事なんてどーでもいいとか、聞き捨てならぬ事を言いやがった。
「ちょっと待て。確かに頭は若干イカれてる。アニヲタも大いに認めよう。だがしかし引きニートは訂正しろ。ボクは普段はちゃんとお日様を浴びて勤勉に励むフリをして窓際で光合成しながら転た寝に励むステキな学生さんだ。そして今は春休み中だ羨ましかろう。どーだ参ったか」
ほらほらボクはニートじゃないだろ? ドヤ顔で空き巣を見てやったら、
「あー…、やれやれなあれだな。なんてか、お前の親がちょっとばかし気の毒になった」
引いた目をボクに向けて、ボクの両親に対して憐れみの念の色を滲ませた。
「気の毒? ボクの両親が?」
まさかあ~。気の毒だなんてそんな。
「またまたご冗談を。この家で一番気の毒なのはまぎれもなくこのボクだろ?」
こうなりゃ語ってやろうぞ。ボクがどれだけ気の毒な生活を強いられているか。
ボクは空き巣にやんわりと笑みを向けて、理不尽極まりないボクの気の毒な生活のほんの一部を聞かせてやろう口を開いた。
「毎日毎日夜更かしから成る睡魔と懸命に戦いながらも、雨風に負けず通学時間が自転車で片道一時間以上もかかる学校へとズル休みする事なく通い、教師の強力な睡眠魔法を唱えられる授業にうつらうつらと船をこぎながらも耐え、テストで赤点を量産して補習という屈辱的な拷問タイムにも耐え忍ぶ日々を送り、ようやく進級に漕ぎ着け、春休みという束の間の自由を勝ち獲たはずなのに。母ときたら掃除しろ洗濯ものを取り込みたため、ぐうたらしてないでたまにはご飯くらい作れとか、人を駒使いし、父に助けを求めたら、それくらいはいい加減やれるようにならなきゃお前の将来の為にならんとか母に加勢して説教するとか。
なんとか頑張って進級できたんだから美代ちゃん家みたいに二千円でいいから小遣い増やしてと言ったって、余所は余所、家は家。三年据え置きは変えませんとか、金が欲しけりゃバイトしろだとかなにかと時間がないボクに無理難題をおしつけて結局説教される羽目になったりとか…。毎月三千円。そんな雀の涙しかない小遣いで買ったささやかなボクの幸せを…ひとパック百八円もした大事な大事なカフェオーレをクソ姉に盗まれたこの気の毒極まりないボクの怒りや悲しみや苦しみなど空き巣ごときには到底理解できまい」
まだまだ言い足りないがしかし、空き巣が目を点にしてポカーンとしているのでこれくらいで勘弁してやろう。そう思ってひとつ息を吐くと、
「あー…、あの冷蔵庫のカフェオーレは…オレが飲んだ。すまんな」
「な、な、な、な、なんだってーーーーーッ!!」 「あ、いや、ちょっと喉が渇いてたから…」
「きっ、貴様ーッ! ふざけるな!!! 何故麦茶があるのにわざわざ冷蔵庫の奥に隠してあるカフェオーレに手を出しやがった!! お陰でボクは飲みたくもないクソ冷たい麦茶を飲まなければいけなくなり、体が冷えて冷えて身震いして――」
はっ!! 身震いで思い出したッ!
「…きたいんだ…」
「は?」
ボクの小さな呟きに、空き巣は聞こえなかったからもう一度ばかりに耳を傾けた。
「…行きたい…んだよ…」
くそうっ! なんでボクがこんな惨く恥晒しな仕打ちをうけなければいけないんだ…。そう思うと悔しくて目に涙が浮かんだ。
「行きたいだ? どこに?」
「貴 様 はどんだけデリカシーが無いんだよ!!」
「え…?」
「うぅ…、もうダメだ…。もう限界だ…」
「だ、だから…なにが?」
眉間にシワを寄せて、空き巣は冷や汗をかき出したボクに不安げに尋ねてきた。
「うわぁああああああああ~~~~んっ!! トイレに行きたいよぉおおお~~っ!! この歳でおみもらしなんて恥をかくならいっそ一思いにその包丁でグサッと殺っとくれよぉおおお~~~っ!!!」
泣き叫ぶボクに、空き巣は慌てて、
「さっさと行ってこい!!!」
ガムテープを包丁で切り外して解放してくれた。
「ありがと~う! 神様ほとけ様、空き巣様~っ!」
ボクは超ダッシュでトイレに駆け込み、十七歳でおもらしという暗黒の歴史を刻む寸前の危機をなんとか逃れる事ができた。
いやしかし、習慣というものは恐ろしいものだ。
苦渋悶絶の尿意から解放され、ボクの頭の中では大草原が広がり、爽やかさな春風に吹かれるような清々しい気分に包まれて、
「ふい~っ。スッキリした~っ」
普通にトイレから出てしまったではないか。
ボクのバカ。トイレに籠城して、空き巣が出て行くまで待っていれば命の危険は完璧に回避できただろうに。
…いや、今ならまだ戻れ…ないな。だって、空き巣はトイレの前で待っていて、ボクが出た途端手を捕まえて再度拘束すべく準備万端。
「あ、手洗ってないや」
「コラ! 手えくらい洗えよ!」
「いやいやこれも至って普通の日常の習慣だ。うむ、習慣とは恐ろしいものだな」
そう思って、はっ! と気付く。
「出すもの出したら、猛烈にお腹が空いてきた。あぁ…お腹空きすぎて目が回るうぅ…」
「いやいや! 手を洗うのが先だろ!」
「…あーた、空き巣とか大胆な事やる割には小さな事に一々細かいんだね。お腹が空いたら死ぬけど手なんか洗わなくても死ぬことはないだろ?」
「そ、そりゃそうだが…いやお前もこんなでも一応…」
「こんなでもなんでも関係ない。ボクは空腹を満たすという生物の基礎的本能に従うのみ。因みに言っとくがボクは料理なんか全く出来ないから、卵かけご飯をサラサラッとかっ込む五分だけ拘束は控えてくれよ」
「はあ? お前、目玉焼きすら出来ないのか?」
「あぁ。目玉焼きすら出来ない。ご飯を炊く仕組みも知らなければインスタントラーメンを作る事も、胡瓜一本すら切る事も不可能だ」
「…呆れたやつだな」
「どーだすごいだろ? 参ったか」
「あぁ参った。お前のそのとんでもないダメ人間っぷりに参った」
「空き巣なんぞにダメ人間とか言われたこの屈辱。とんでもなく心が傷付いたぞ。ああもう死のう…、早くボクを刺して殺せ」
「は? い、いや! なんでお前に命令されなきゃ――」
「なんだよ、元々ボクを殺す気だったんだろ?」
「大人しくしてりゃ危害は加えんと言っただろ!」
「あー…、そんな事言ったっけかねえ?」
「つーかお前…この状況でどんだけ暢気だよ」
「どんな状況でも、ボクはボクだ。それがボクの生き方だ」
「さっきカフェオーレごときで目一杯キレやがったくせに…」
「あ~っ! 思い出したっ! そうだよ! カフェオーレだよ! 盗みやがってんにゃろ~っ!! ボクの大事なカフェオーレ返せ返せ返せ~っ!!」
「いやいや! あの、オレ、空き巣だからね?」
「空き巣だったらカフェオーレとかセコい盗みなんかしないでうちのクソ姉貴がいつもボクに自慢して見せびらかす、彼氏に貰ったとかいうクソ高いバッグでも盗めよ! なんなら指輪もネックレスもぜーんぶ持ってけ! クソ姉貴、不幸にな~れっ」
腹立たしさ一杯で二階を指さし空き巣に説教したら、
「…そ、そんなに怒ることか…?」
「怒るよ! 怒るでしょ! ボクはお腹が空いてんだから通常の三倍は怒るよ! たとえそれが包丁持った空き巣相手でもね! そして、空腹を満たすべく行動をするよ! 卵かけご飯を食べるよ!」
ボクは逃げる事も抵抗もしない意志を空き巣に伝え、台所へと歩いた。




