春を待つ
立春をゆうに過ぎ二月も終わりを迎える今日。
しかし朝を迎えて間もなくの外は、吹きすさぶ風がまだまだ真冬のように冷たく、息を吸い込むと鼻がつんと痛んでどうもかなわんと、くしゃみをひとつし、ぶるぶると首をふるはめになる。
冷たさを和らげよう鼻を数度撫でて天を仰ぐと、そこには、今にも雪が舞い落ちるかのような低い曇天模様がどこまでも広がっていた。
(中々と春の匂いは遠いもんだねぇ…)
老猫は、平作りの一軒家の塀の花壇の隅に座り、やれやれと小さくひとつ息をつき、前足に顎を埋めて目を細めた。
コンクリートのブロックを数段積んだ低い花壇は、僅かながらではあれど風を凌いでくれるので、歳老いた体にはなんともありがたいものであった。
(どうれ、今日は…)
しばしの暖をとると老猫は、花壇に前足をかけてゆっくりと体を伸ばすと、主がこの花壇に植えたラッパスイセンの葉をを眺めた。
(おお、こんなに寒い日だとて、構いも無しにまたすくすくと伸びておる)
ゆっくりとではあるが、春に向かい毎日毎日葉を少し、また少しと伸ばす様子を伺い、老猫は嬉しくなり、まるで笑むかのように白いひげをひくりと揺らした。
北風に揺られるスイセンの葉をしばし眺め、老猫は鼻の冷たさにまたひとつくしゃみをすると、寒さを凌ぐ為にまた、花壇の隅に座り体を丸めて風をやり過ごす。
そうしながら近所の家を眺める事も、老猫の朝の日課となっていた。
老猫の目は薄く透き通る中黄。八の字に割れた顔の黒い毛は歳のせいであろう、白や灰色の毛が混じり、元々は真っ白であったろう体も、少しくすみを帯びた胡粉色。
がしかし、体はとても大きく中々と恰幅の良い猫であった。
そんな毎日の日課と同じく、老猫にはもうひとつの楽しみがあった。
毎朝斜め向かいの空き地に、学校へと向かう子供達が集まり、老猫を見つけると、まるで小花のような笑みを咲かせながら撫でに集まり来るのである。
「おはよう」
「今日は寒いね」
「今日もお前はほんとにいいこだね」
「ほんとにかわいいね」
気遣いや、沢山の誉れの言葉。そしてなにより、降り注ぐ木漏れ日のように温かい子供の手は、ほかほかと心地よく、老猫はぐるぐると喉を鳴らして暖を噛み締めるように目を閉じた。
ひとしきり撫でられると、子供達は団子になり学校へと歩き出す。
そんな子供達の後ろ姿を見つめて、老猫は、
(全く子供というのは元気なものだ)
少し乱れた毛を前足で繕い、さてさて…と満足気に平屋へと歩き帰った。
勝手口へと回り、ひとつふたつ鳴くと、扉がガチャリと開き、
「おかえり」
主である老女が笑みを浮かべて老猫を迎え入れた。老女は猫を抱くと、
「まあ、冷たい体をして! お前ももういい歳なのだから、無理をするではいけないよ」
心配そうな声色で温め擦るように老猫を撫でた。
(なあに、私はまだまた其処らの奴等には負けやしない丈夫ささ)
老猫は心地良さ気に耳を寝かせて、笑うようにぐるぐると喉を鳴らした。
それから、主の腕からトスリと降りると、いつも通り冷蔵庫の横へと歩き、主の用意してくれた食事と水を摂り、いつものように居間のストーブの前でうつらうつらと眠り始めた。
老猫は夢を見る。
塀の上で浴びる暖かい春の日差し。
春風にそよぐラッパスイセン。
(待ち遠しや、春…)
まるで、そう呟くかのように、老猫は喉を鳴らして寝息をたてた。
特に起伏もない、極々平凡な、小さなお話ですが、
私には結構大事な思い出の詰まったお話だったりします。
きっと自分でも読んで時々思い出す。
そんなお話を贈るのが好きだったり。
二歳のお誕生日おめでとう。
そして、新しい命の芽生え、本当におめでとう。
2月24日(sun)




