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春、空

 新しい制服。三年間着慣れたセーラー服からブレザーへと変わってひと月が経ったけどまだ全然着慣れてない。

 眩しい新緑の季節である五月の朝。

どこを見渡しても雲のない群青色の空を見上げたら、清々しすぎて逆に重いため息がでた。

かといって雨ならばきっと、余計にじめじめとした憂鬱な気持ちになり、どちらにせよため息をつくことになるだろうけど。


 見慣れた町並みを淡く輝かせる柔らかな日の光と、沈丁花だろうか? 甘い花のにおいが微かに混ざる風が、一昨日の土曜日に思いきって短く切った髪と、膝が少しだけ見える丈の長さの紺と黒のチェックのプリーツスカートの裾を微かに揺らした。

紺ハイは中学の時から履いてたけど黒いローファーはなんだか窮屈な感じがして好きじゃない。

履きなれたスニーカーがなんだか恋しくなった。


 風向きは追い風。今の私にはまるで、「立ち止まるな」と心を急かされてるように感じてまた大きなため息がでた。


 歩きながら周りを見渡せば、目に付くのは始まりからほんの少しだけ前進を感じる季節のものばかりで。

 行き交う誰もが、新生活に慣れて緊張がほぐれて余裕すら感じる笑顔で歩いてる。

中には欠伸混じりで「ダルイよね~…」「五月病とか?」なんて友達と笑い合いながら歩く人もいたり。

(へー、随分と楽しそうな五月病ですこと…)

 そんな中、私はひとり。きっとそんな季節に置いてきぼりのアウェイな空気を醸し出し、いつも通りの場違いな無表情になって歩いてると思うけどそんなことは気にしない、気にしない。


『環境が変われば、きっと上手くいくよ。友達作り頑張ってね』


 昔から人付き合いの苦手な私のたった一人の友人が、入学前にそんな慰めの言葉をくれたのをふと思い出す。

そんな友人はここよりずっと北にある有名な進学校へと通う事になって、離れ離れになってしまった。

学校や生活環境が変われば互いに連絡しあうこともだんだん減ってしまうわけで。

それでも時々来るメールによれば、彼女はもう新しい友達ができて、忙しくも毎日楽しくやってるみたいだしね…。


 私はきっとあの子の中ではもうどこか過去の人なんだろうな。うん。

 ひょっとしたら、私なんかと離れてせいせいしてたりして…。


 メールを読むとそんなひねくれた気持ちになって、彼女に返信するのもやめてたり。

だって、順調な彼女にエールを送る心のどこかで嫉んでどす黒いこと浮かべてるる自分を感じて気持ち悪かったから。

 

 頑張る…か。それは何をどうすればいいのか私にはいまださっぱりわからなくて。

「まあ…いいや。別にぼっちでもなんら困る事はないし」

 呟いたら小さく笑いがこみあげた。

はっは。どうせ無理だもん。こんな愛想なし、性格悪しの私なんかに友達なんて作れるわけないからね…。


 つーか。いいじゃん。別にひとりでも。

誰かに迷惑かけてるわけでもないし、ひとりが悪いなんて法律も規則もこの世にはないんだから。



 川沿いを歩くと、淡いピンクの集合体は何処へやら、濃い緑の葉の茂る桜の並木道。

その葉が風に揺れる音と、葉の隙間からきらきらと降り注ぐ木漏れ日。

頬をさらりと撫でるまだ少しだけ冷たさを感じる風と、


「きゃあーーーっ!!!」

え!? なに? 悲鳴??


さわやかな景色に似つかわしくない突然の叫声に驚き振り向くと、

「いやあーーーっ!!! 毛虫っっ!! 誰かあああっっ!!!」

右腕を伸ばして足踏みしながら半べそ状態で助けを求めてるのは、女子ではなく……。


(あいつ…ウチのクラスの…)


 私の斜め後ろの席のちょっと――いや、だいぶ変わった男子。名前は確か守谷だったっけ。

「ちょっと!! あんた!! ボサッと見てないで助けなさいよ!!!」

 守谷は、涙目になって私にむかって怒声を放った。

「は? …男のくせにうるせーな。たかが毛虫一匹でぎゃーぎゃーと…」

いや…こいつ、見た目は男だけど中身がね…。


「ちょっ!! いやアーーーっっ!!! 上ってきたっ!!」

 腕から顔を背け、足をジタバタと踏みながら、袖をゆっくりと這い登る毛虫に怯える守谷を見て(こいつは面白いや…)と思った。できればこのまま事の末路を楽しんで眺めてたいな。

「ちょっとおっ!!! 森崎めぐるっ!! なにニヤニヤして見てんのよっっ!!」

「…」

 今までこいつとは会話のひとつも交わした事ないのにもかかわらず、いきなりフルネームを呼ばれてちょっと驚いた。こいつなんで私の下の名前まで覚えてるの? しかも髪型まで変わってるのに…。

「ちょっと! 聞こえてんのっ!?」

守谷のキレ気味の問いかけに、私は、じと目をむけて、

「…人に助けを求める割には、随分とエラそうな…」

 厭味混じりにひとつ呟いて、足元に落ちてた木の枝を拾い、守谷に歩み寄り袖口の毛虫を枝で払い落とした。よほど怖かったのか、守谷は地面に落ちた毛虫から「ひぃぃいっ」とか変な声をあげて素早く遠ざかり、

「もうっ! 超怖かったあああっ!! だからこの時期の桜の木って大嫌いっ!!」

 そう言って私の腕にしがみついてきた。


「ちょっと! なに馴れ馴れしくくっついてんだよ。 …つーかさ、普通逆じゃね?」

 乱雑に腕を振りほどき、ひとつ鼻を鳴らして「勘弁して欲しいわ…」呟きとともに生暖かい笑みを守谷に向けた。

だって、男子が毛虫に怯えて女子にしがみついて怖がってるなんて端から見たら絶対おかしいでしょ?

そんな私をじっと見て守谷は、

「逆とかどうでもいいわよ! ていうか、しょうがないじゃん! か弱いあたしにはあんなキモい虫絶対無理だし」

 口を尖らせて、毛虫が這ってたブレザーの袖を振り「アー、気持ち悪かった!」と足をじたばたと踏み鳴らした。


 か弱いとか…あたしとか…。

 どうしようもなく冷ややかな笑みがこみ上げるのは仕方ないよね?



「やっぱ、アンタってオカマだったんだな?」

 オブラートに包む事を知らない私の直球に守谷は、

「お、オカマって…やだ。なにその古臭いオッサンみたいな言い方。今どきの娘なら、オネェって言って欲しいわ…」 

 やれやれとため息をつき、

「そーよ? あたし、体はこんなでも、心は立派な乙女ですがなにか?」

 なんの躊躇もなく堂々と言い放った。しかも真顔で。

乙女って…それもまた古臭い…まいいや、うん。

 それにしても、こいつもきっとオブラートってものを知らないんだなと納得した。

「つーか…、ま、入学当時からわかってたんだけどね。クラスの奴らのアンタに対する激しい引き具合とかね…」

 そういうの見たくないけどクラス内での出来事は、勝手に耳や視界に入ってくるわけで。

「別に引かれたってへこんでないわよ。だって、あたしは偽りないそのままのあたしなんだから」

まるで自分に念押しして言い聞かせるような、決意と不安が混ざったような顔だった。


そんな守谷を見て、

(何が偽りないあたしだ。くだらない)

と心の中で再度冷笑を浮かべた。


 要するに、こいつも種は違えど私と同じで『ぼっち』ってわけだ。


「…てか、あんた、女の子なのに超口が悪いわね。もっと女の子らしく話しなさいよ。そんなんじゃいつまでたっても友達できないわよ」

「はあ? アンタのみたいに残念なぼっちに言われたくないし。つーか、私は友達なんていらないから。アンタと違って作れないっじゃなくて、友達なんか作らないの。いらねーの! 全く激しく余計なお世話」

 私はこいつみたいに浮いて馴染めないではなく、自ら望んで馴染まない派ですから。


「まあ、なに? 友達いらないなんてその冷めた態度…。高校生活はまだ始まったばかりなのにもう全部あきらめちゃってんの?」 

「諦める? はっ? なにそれ、いみふ」

 なんだろう。守谷の言葉が小さな棘みたいに一々胸にチクリと刺さってきて、小さくイライラした。


「何をするにもひとりぼっち。はぁ…暗く寂しい青春よねぇ…。あんた女の子らしくないし性格悪そうだから彼氏も到底できそうにないし。残酷なリアルだわ…」

 可哀そうに…と目頭をぬぐうわざとらしい猿芝居を見せる守谷に、私は思わず、

「その言葉! まるっとそっくりアンタにお返しするからっっ!!!」


 苛立ちをぶつけるというより、それを通り越してなんだか猛烈にツッコミを入れたい気持ちを目一杯乗せて叫んでしまった私を見て、守谷は口元に手を添えてくすくすと笑い出し、

「ふふっ、ナイスツッコミじゃない。てかめぐるって、案外ノリがよくて面白い子なんだね。普段無口、無表情で何考えてるか全くわかんない不気味な子だと思ってたけど。…それに結構素直だし」

 不気味…。こいつ…、私のことそんな風に見てたなんて、屈辱。

だけど、素直だって言われるのは滅多ないことで、ちょっとだけ驚いたり。


「はあ? 素直って…、どこをどう見てそう思うのか全くわかんないんだけど! つーか、馴れ馴れしく名前呼び捨てとかヤメてくれませんかねー」

 どうせろくでもない会話を繋ぐ為の挨拶程度の持ち上げだろ…。

「それから、並んで歩くのもね! かなり迷惑なんですけどね!」

 さっきからやたら色物を見るような好奇な人の目がやたら苦になって仕方ない。

私は鼻をひとつ鳴らして歩く足をわざと速めた。


「いいじゃない、別に。クラスメートなんだし席だって斜めで近いんだから」

「よくない。だってアンタと一緒にいると私まで変な目で見られ――」

 しまった…。そういうことはたとえ相手が鬱陶しい存在でも言うべきじゃない事だ。

失言に気づいてあわてて言葉を切って下を向き歩くと、


「あんたってさぁ、変なとこ気を遣ったりちょっと優しかったりするんだね…?」

 少しだけ後ろに距離をとって歩く守谷は、驚くほど穏やかな声と笑顔で、

「不器用な子だなぁ…、まったくぅ…」 

 と、つぶやいた。

「別に…優しくないから」

「優しいよ。だって、さっき助けてくれたし」

「そ、それはアンタがギャーギャーうるさく喚くから…」

「それでも、あたしのことシカトせずにちゃんと助けてくれた」

 守谷は少し強い、はっきりとした口調で、


「ありがとう。めぐる。あんたは不器用だけど優しくていい子だよ」


 守谷の少し茶色がかった短めの髪が、撫でるように吹きそよぐ風に小さく揺れた。

踊るように降り注ぐ木漏れ日の中、なんなの? 男のくせに女の私よりもずっと可愛らしい笑顔がちょっとムカつくんだけど…。

 だけど…。今の褒め言葉は持ち上げではなく、守谷の本心からの言葉だと表情でわかったから何も言い返せなくなってしまった。


(なんか調子狂うな…)さっきまで結構な感じでイライラしてたはずなのに、今ちょっとにんまりと笑いたくなってる自分に気づいて、慌てて小さく咳払いした。


「あら? やだ。この子照れちゃってるぅ」

 ニヤニヤと流し目を向けて歩調を私に合わせる守谷に、

「は? だ、誰が! ふざけんな、ばーか!」

 私は顔を背けて鼻を鳴らした。


 

 それから学校へ到着するまでの十分弱、なんとなくの会話をしながら守谷と肩を並べて歩いた。

なんだかおかしな気分だ。

 私の隣にいるのは男子のはずなのに、段々とそんな感じがしなくなるような…。

それどころか、さっきはやたら気にしなってたはずの人目もさほど気にならなくなってて。

 これは守谷の発する空気がが意外と心地良いせいなのか?


 あまり深く考えるのはやめよう…うん。


 歩きながらの会話の内容はほんとに他愛ない事…というか、会話と言うよりは守谷が一方的に話して、時々私はめんどくさそうに相槌をうつ感じだけど、それでも守谷はとてもウキウキと楽しそうで。

どこの美容室に行ってるの? とか、普段どんな場所でショッピングするの? とか。

 あのアイドルグループはどうとか、駅横のコンビニの店員さんがイケメンだとか。


 ヘタな女子よりずっと女子らしい奴だな…。でも、実はこうした会話は嫌いじゃなく。

 気がつくと私は冷笑ではなく、小さくも素で笑ってた。


 でも、校門をくぐり、昇降口へ差し掛かると守谷はみるみるうちに萎れていき、

「あたしね、こうして女の子と並んでおしゃべりしながら登校することにずっと憧れてたんだよね」

教室へと続く廊下の手前で足を止め、

「でもこれ以上は…さ。めぐるに迷惑になるから」

 泣きそうな顔にも見える小さな笑顔で「他愛ない話ばかりなのに、聞いてくれてありがとね」と私に礼を述べて、先に行くようにと視線のみで私を促した。


『アンタと一緒にいると、私まで変な目で見られる』


 さっき放った自分の失言がまるで自分を責めるかのように頭の中で反響した。

「迷惑とか…」

 思ってないって言おうと思ったら同じクラスの女子が数人、昇降口から歩いてきた。

私は言葉を途中で飲み込んだ。

 すれ違う女子達は、私達を横目で見て冷ややかな笑みを浮かべて歩いてく。


 知らず知らずのうちに、私は息を詰めて両拳を堅く握り締めてた。


 友達なんかいらない。


 そう思うきっかけになったのは、ずっと昔にああして人の本質を見もせずに人を見下し冷笑を浮かべる奴らに嫌悪を抱いたからだ。

だけど私は嫌悪を抱くだけで何も発する事ができなくて。

 自分に被害が被らなければいいや…。

 そう思って何もかも知らないふり、見ないふりしてやり過ごしてきた。


 ほんとは、友達が欲しい…。


 だけど、自分を偽って、遣いたくもない気を遣い相手に同調をしたり、ご都合、日和見主義に振り回されるなんてもうまっぴらごめんだ。

互いに楽しく思いやる、時にはけんかもしたり、また仲直りしたり。そんな同等なはずの友達と言う関係が、いつの間にか主従関係になっても必死に繋ぎとめる為に私は私に嘘をついて笑って――


 そんな自分が大嫌いになったあの日の私が求める気持ちにいつだってブレーキをかける。


 どうせ、どいつもこいつも一緒。

 初々しい時期を過ぎれば汚い本性現すんでしょ?

 欲しいのは友達なんかじゃなくて、自分に都合がいい召使いなんでしょ?

 そう思って、私は望む私を諦める。


 結果は、過去に縛られて抜け出せないままの残念なひとりぼっちだ。



 じゃあ守谷はどうなの?  


『あたしは偽らないそのままのあたしなんだから』

 

 偽らない自分を掲げるってことは、今まで偽って生きてきたという事の裏返しだよね?

 体の性別と、心の性別が一致しない事の苦しさは抱える当人にしかわからないことだけど、自分を偽って生きなきゃいけない辛さは少しだけわかる。


 でも、たとえ自分に言い聞かせてるとしても、掲げた気持ちに不安な色が見え隠れしたとしても、言葉として発して伝える、そして自分なりに行動してる守谷のほうが、同じひとりぼっちのくせに人の目や顔色ばかり気にするくせに、何も発してない私なんかよりもずっと堂々として気持ちのいい奴だと思った。


『ありがとう、めぐる。あんたは不器用だけど、優しくていい子だよ』


 貰った言葉が嬉しいって気持ちに嘘つくのは嫌だ。

 話して楽しいって感じた気持ちをネガティブなトラウマで蓋をしてなかった事にするのも、どうせとか諦めて重いためを息つく、ひとりよがりな自分も、もう嫌だ。


 私は、目の前で申し訳なさそうに俯いてる守谷に、


「行こう」

 一言そう告げた。

驚きと戸惑いを隠せない顔を私に向けて、私の言葉の真意を探してるように見えた。


「並んで話して登校するだけじゃなくて、一緒に教室に行こう」

 今、私、どんな顔してるかな? 少なくとも無表情ではないよね?

「でも…」

「アンタは偽りないアンタなんだろ? 今の私も偽りない私だ」

 踏み出してみよう。人の目なんて関係ない。

お互いに自分が自分であることを好きになる為の一歩を。


「なろうよ。友達に」 

 きっと覚えてる限りでは生まれて初めて自分から言った言葉だ。

 伝わるだろうか…。


 守谷は、どんぐりみたいなまん丸い目を大きく見開いて、頬を紅潮させ、

「めぐる~っ!!」

 涙目で私の名前を呼んで腕にしがみついてきた。

「ちょ、くっつくなって…」

 急に気恥ずかしさがこみ上げてきて、思わず腕を振り払う。

「もうっ、照れちゃって、この子は~」

「べ、別に照れてないから!」 

 鼻を鳴らして歩き出すと、

「ちょ、待ってよ~っ!」 

 慌てて歩いてついてくる守谷を見て、私は小さくも素で笑った。


 長い廊下に並ぶ窓。校舎の上には少しだけ季節が進んだ群青色の清々しい五月の空。


 今はまだ追いつけなくてもいい。

 始まりを一歩踏み出せた喜びをかみしめたいから。



 


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