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旅ねこのうた

 朝一番の清々しい秋の匂いの風に吹かれて、一匹の真っ白な猫が名もない小さな村の外れの一本道を歩いていました。


 猫のトレードマークである、白と黒のしましまのマフラー、足にはぽってりとした黒いブーツをはいて、

麻布でできた小さなリュックを背負って、楽しげに歌を歌いながら村の入り口へと歩いていると、


「やあ、おはよう、ニコル。今日も朝から素敵な歌声だね」

 ミルク売りのおじさんが猫の名前を呼び、いつもと同じように笑顔で挨拶を交わします。


「おはよう、チャルおじさん。今日も気持ちのよい朝だね~♪ 毎朝お仕事ご苦労様です」



 ニコルは立ち止まり、ペコリとお辞儀をして、青く透き通る美しいガラスのような目を、三日月のように細めて笑顔を向けました。

「ああ、とても清々しい朝だね。…おや?ニコル、今日はどうしたんだい? リュックなんか背負って。どこかへお出かけかい?」


 チャルおじさんはニコルの背中のリュックを見つめて尋ねました。


「うん。チャルおじさん。僕はね、僕だけのとっておきの場所を探す旅に出る事に決めたんだ」

 ニコルは、肩から少しだけずり落ちるリュックをぴょんと背負い直して、チャルおじさんに笑いかけました。


「そうか…。この村で君の歌声が聴けなくなるのはとても残念だよ。だけど君がそう決めたなら、仕方がないな…」

 チャルおじさんは寂しげに小さく笑って、


「君の歌声が聞こえない村はきっと、とても寂しいだろうな。でも、君が望む旅ならば、笑顔で門出を祝いたい」


 チャルおじさんは、リアカーに積んである、採れたてのミルクのビンをひとつニコルに差し出し、


「餞別代わりといっちゃ、たいしたものでもないがね。さあ、どうぞ」

 淡い翡翠色の瞳をふうわりと緩ませて、おじさんはニコルの頭を優しく撫でました。


「わあっ! ありがとう! チャルおじさん」

 ニコルは、牛乳瓶を両手で抱えて受け取り、ごくごくとおいしそうに飲み干すと、


「じゃあ、行ってきます。村のみんなにも行ってきますと伝えて下さい」

 もう一度深くお辞儀をして、にっこりと笑って歩き出しました。


「必ず帰ってくるんだよ。みんな、君の帰りを楽しみに待っているから。また、君の素晴らしい歌声が聴ける日をいつまでも楽しみに待っているよ!」

 そう告げ、手を振るチャルおじさんに、ニコルはとっておきの歌声で応えました。


「 ~♪ ♪♪」


 その透き通る歌声は風に乗り、村中に響き渡りました。


「 ♪ ♪~♪」


 大好きな村のみんなに、行ってきますと心をこめて、ニコルは大きな声で歌い歩きました。



  ‡  ‡



 背の高い木が繁る森の一本道を抜けて、小川にかかる小さな橋を渡り歩いていくと、村より少し大きな町にたどり着きました。


 町の中央にある、煉瓦でできた小さな噴水の広場で足を止めて、初めての町に来た事に胸をワクワクさせながら、ニコルはもの珍しげに辺りを見渡すと、


「やあ、見かけない顔だね? リュックを背負っているところを見ると、旅の猫さんかな?」


 くたびれた麻のカバンを襷掛けした、黒髪が少し長めの絵描きの青年が、スケッチブックを片手に声をかけてきました。


「はい。僕の名前はニコルです。ここから東にある森の向こうの村から来ました。この町はとても賑やかですね」


 ニコルは美しく透き通るガラス玉のような目をキラキラと輝かせ、絵描きの青年に笑顔を向けました。


「僕の名前はモート。うん、この町が賑やかなのはね、今夜、年に一度の感謝祭があるからだよ」


 モートは、穏やかな笑顔を向けて、ニコルにそう話しました。

「へぇえ♪ 感謝祭かぁっ。楽しそうだなぁ~」


 そよぐ風にヒゲを揺らしながら、ニコルは声を弾ませました。


 そんなニコルとは反対に、モートは「そうだね…」と寂し気に俯き、小さくため息笑いをこぼしたのです。


「どうしたの? モートさん。何だか悲しそうな顔…」

 ニコルはモートを見上げて心配そうな顔を浮かべました。


「…実はね、僕にはとても大切な人がいるんだけど。今年の春にずっと西にある、ここよりうんと大きな街へドレス職人になる為に旅立ったんだ。感謝祭には必ず帰ると彼女は約束したくれたんだけどね…。ほんとに帰ってくるのか、不安でさ…」


 モートは小さなため息をひとつついて、スケッチブックを開いてニコルに一枚の絵を見せました。


「うわぁあ。なんて綺麗な人なんだろうっ♪」

 スケッチブックに描かれている水彩画を見て、ニコルは大きな瞳を更に大きく見開き、思わず歓喜のため息をこぼしました。


 その絵には、日の光に輝く亜麻色の髪を風にそよがせている、薄藍の優しい瞳の女性がどこまでも広がるたんぽぽの草原で笑っている姿が描かれていました。


 ニコルは、その光と愛に満ち溢れた水彩画を見て、

「大丈夫です、モートさん。彼女は必ず帰って来ますよ! だって、モートさんはこんなにも彼女を大切に思っているんだもの。

きっと、その思いは彼女に届いています。僕は二人の愛を信じますよ」


 モートにふうわりとした、しかし強くて優しい輝きを放つ瞳を向けてにっこりと笑いました。

「…ありがとう、ニコル」


 モートは、少し照れ臭そうにはにかみながら、ニコルの頭を優しく撫でました。

 そんなモートを見つめて、ニコルは嬉しそうに目を細めて、胸に息を吸い込み、歌を歌いだしました。


「 ♪ ~♪ ♪」


 モートは、静かに笑みを浮かべたまま目を閉じてニコルの歌声にしばし耳を傾けた後、噴水の煉瓦に腰を下ろし、スケッチブックに黙々と絵筆を走らせました。


「まあ、素敵な歌声」

「誰かが噴水の前で歌っているよ」 

「猫さんだ!」

「猫さんが歌っているよっ!」


 いつしか、広場には町の人々が集まり、ニコルの歌声に耳を傾け笑顔を浮かべて輪を作っていました。


 ニコルが歌い終わると、溢れんばかりの拍手が町に響き渡り、


「この町へようこそ、旅の猫さん。素晴らしい歌声をありがとう」

 雑貨屋の少女は、ニコルのマフラーに赤い花のブローチをそっとつけて、ニコルをぎゅっと抱きしめ、歓迎しました。


「お腹、空いてないかい? よかったら、これ、お食べよ。旅猫さん」

 パン屋の女将は、白くて柔らかい焼きたてのパンと、出来たてのチーズを紙袋に詰めて持ってきました。

「わあっ! 美味しそうっ! ありがとうございます、優しいマダム」

 ニコルは深々と頭を下げて、感謝の心を表しました。


「今日は年に一度の感謝祭。こんな日に素晴らしい歌声が聴けるなんて、まるで神様の思し召しのようだな」


 宿屋の主人は両手を組み合わせ目を閉じ、神様に感謝の祈りを捧げました。


「よし、描けたぞ」


 モートは、絵筆を水入れにさして、スケッチブックを一枚ピリピリと破り取ると、


「彼女を信じる勇気をくれた君に、僕からのささやかな贈り物だよ」


 ニコルを見つめて一枚の絵を差し出して見せました。

 そこに描かれていた絵は、色とりどりの花が咲き乱れる花畑を、青空を見上げて歌いながら元気に歩くニコルの姿でした。


「凄い! こんなに素敵な絵をありがとう! モートさん」

 美しいガラス玉のような瞳を少しだけ潤ませながら、ニコルは小さな胸にそっと絵を包み込み、幸せそうに笑いました。


 その時です。


「モート!!」


 人だかりの後ろの方から、秋空のように高く澄んだ女性の声が広場に響き渡りました。


「リー…ファ…?」

 その声を耳にしたモートは、視線を人だかりへと向けて名前を小さくつぶやいて立ち上がりました。


手からスケッチブックがぽとりと落ちるのも気に止めることができないほどに、モートは声の主の姿を探すように人だかりへと歩き出しました。


 その反対側から人だかりを掻き分けて、モートの元へと小走りに駆け寄る亜麻色の長い髪の女性は、モートの姿を見つけると輝く笑顔を放ち、まるで飛び付くようにしがみつき、


「ただいまぁあっ! モート! 私、約束通り、帰ってきたよっ」


 リーファはモートを見上げて、瞳から光の粒をぽろり、ぽろりとこぼし幸せそうに笑みを揺らしました。


「お帰り…。ありがとう、リーファ。約束、覚えていてくれて」

 モートは、胸の中の愛おしい暖かさを壊さないようにそっと包みこみ、震える声でリーファにささやきました。


「あなたとの大切な約束だもの。約束があったから私はあなたと離れていても、大変な毎日を一生懸命頑張れたんだから」


 リーファは、「私を信じて待っいてくれてありがとう」と、モートにとっておきの笑顔をそえて感謝の言葉を贈りました。



「今日は本当になんて素晴らしい日なんでしょう」

 町の人々はモートとリーファを祝福の眼差しで見つめ、感嘆しました。


「 ♪ ♪ ♪~」


 ニコルは、心をこめて、二人に、町の久々に優しい優しい愛の歌を贈りました。


『いつまでもお幸せに』


 そう、願いを込めて。




   ‡ ‡



 賑やかな夜の感謝祭を終えて、ニコルは町をそっと後にしました。

 リュックの中には、パン屋のマダムに貰ったパンにチーズと、お祭りで貰った紅茶のクッキーに桃色のキャンディーが5つ。


そしてモートから貰った絵を筒状に丸めて詰めて、針路を西へと取り歩き始めました。


「ありがとう、優しい町の皆さん。さよならを言うのは苦手だから、僕はこのまま、また旅を続ける為に歩きます。モートさん、リーファさん、末長くお幸せに」


 町外れの西側の出入口でペコリと頭を下げて、ニコルは、歩きだしました。


 自分だけの、


『とっておきの場所』


を見つける為に。




  ‡ ‡



 暗い夜道を小さなランプ片手に、ニコルは歩きます。

 小1時間程足を進めると、広い草原へとたどり着きました。

 立ち止まり見上げた夜空は、まるで宝石箱をひっくり返したようなまばゆい輝きを放つ満天の星空でした。

 ニコルは美しい星空と涼やかな秋の風に揺れる草の匂いに包まれて、ひとつ息をつき、


「よし、今日はここで休もう」

 リュックを下ろすと、草原に寝転び、星に語りかけました。


「僕もいつか、この空に輝く星のひとつになる日がくるんだろうね…」


 ニコルは、ほんの少し寂しそうに小さなため息をひとつついて、


「ねえ、お星様。僕があなた達の元へ向かういつかの日まで、僕はとっておきの場所を探しながら、これから出会うみんなの幸せを願って、精一杯歌を歌いたいんだ」


 そんなニコルの願いに応えるかのように、星がひとつキラリと流れて消えました。


「あ、流れ星だっ♪ 明日もたくさんの笑顔に会えますように…。そして、とっておきの場所が見つかりますように…」


 ニコルは祈るように小さくつぶやき、そっと目を閉じました。




  ‡  ‡



「ねぇ、…お兄ちゃん、…死んでるのかなぁ…?」


 眠っている頭の上からひそひそとした声が、まだ頭の覚束ないニコルの耳をくすぐりました。


「かわいそうにな…。行き倒れだよ。埋めてやるか」

 そんな言葉を耳にした後に、体がふうわりと宙に浮きあがり、


「う~ん…」


 ニコルはゆっくりと目を開けました。すると目の前には驚きに包まれた少年の顔がありました。


「……」

「……」


 お互いに顔を見合わせ言葉を失うこと僅かな時間の後に、


「なーんだ…、生きてんじゃん」


 少年はほっとした顔で、ニコルをそっと地面に立たせて「良かった…」と笑いました。


「…えーと?」

 少々戸惑いながらも笑みを向けたニコルに少年は、

「妹がさ、花摘みの途中で君を見つけて、猫さんが死んでるーっ! てさ、慌てて俺を呼びに来たんだよ」


 薄茶色のふかふかした短い髪を風にそよがせ、少年は照れくさそうにニカッと笑い、そう言いました。


 その後ろには、少年と同じ薄茶色のおさげ髪の少女が、花籠を持ち少年の陰に恥ずかしそうに身を隠しています。


「それはどうも、お騒がせを」


 ニコルはマフラーを巻き直して、ニコッと笑った。

「君、旅の猫かい?」

「ええ。ここからずっと東の村から来ました。僕の名前はニコル。君達は?」


 ニコルが少年に尋ねると、

「俺はマール。こっちは妹のニーチェだ」


 マールは後ろに隠れるニーチェの頭を撫でながら、ニコルに自己紹介をしました。


「マールに、ニーチェ。素敵な名前だね。二人共、朝から仲良くお散歩かな?」

 ニコルの問いかけにマールは、


「散歩なんてのんきな事はしてないさ。俺達は毎日ここで花摘みをして、あの西の山を越えた街でそれを売って二人で暮らしてるんだ」


 マールは少し膨れっ面をみせながら、そう答えました。


「あの…、つかぬ事をお聞きしても?」

 ニコルが少々申し訳なさ気にマールを見上げると、

「何?」

 ニコルに視線をむけました。

「あのぉ…ご両親は?」


「父さんはここからずっと北の鉱山で鉱夫として出稼ぎに行って留守なんだ。母さんは去年胸の病気で天国へ…」


 マールとニーチェは、焦げ茶色の瞳を悲しそうに揺らして俯いた。


「…そうだったのか。ごめんね、悲しい事を思い出させて…」

 ニコルは小さくつぶやいた。


「…ううん。悲しんでなんかいられないさ。悲しんだって、お腹は膨れないからね。父さんが帰ってくるまでは、少しでもたくさん花を売って、お金を稼がないと、ご飯が食べられないし」

 マールは鼻を擦り、へへっと笑いました。


「お兄ちゃん…お腹すいたよぅ…」

 ニーチェは今にも泣きだしそうな顔でマールのシャツの裾を引っ張るけれど、


「ごめんな、もう少しの辛抱だから。今日こそはたくさん花を売って、腹いっぱいごはんを食べようなっ」

 マールはニーチェの頭を撫でて、空元気を出してなだめました。けれども、


 ぐう~~っ。


 空腹に耐えられないお腹が催促をするかのように大きな音を鳴らしたので、マールは苦い笑みを浮かべて、


「ははは、実は俺達昨日の昼から何も食べてないんだ。花が思うように売れなくてさ…」

 大きなため息をひとつついてお腹を押さえて俯きました。


「そうだっ!」 ニコルは声を弾ませて、リュックの中から昨日パン屋の女将に貰ったパンとチーズが入った紙袋を取り出して、


「これ、二人でお食べよ」

 ニッコリと笑い二人に差し出しました。

 紙袋を受け取り中を覗いたマールとニーチェは、目を大きく見開き、キラキラと輝かせ、


「ほ、ほんとにいいのか? パンとチーズがこんなにたくさん…」

 マールは喉をひとつ鳴らしつつも、少し遠慮がちにニコルを見つめたが、


「いいんだよ。僕は昨日東の町でお腹いっぱい食べたから。さぁ、二人で召し上がれ」


 ニコルはお腹をぽんっと叩いて笑いました。


 二人のきょうだいは、


「ありがとう!ニコル!いただきま~す」



 お礼を言うと、むしゃむしゃと勢いよくパンとチーズをほおばり始めた。


「柔らかくておいしいパンだね! お兄ちゃん!」


「ニーチェ、このチーズもすごくうまいぞ! たくさん食べな」


 マールは自分より少し小さな妹を気遣い、たくさん食べなとパンとチーズの入った紙袋を渡しました。


「ありがとう! お兄ちゃんっ!」


 よほどお腹が空いていたのでしょう。二人はあっという間にパンとチーズを平らげて、幸せそうに笑いました。

 そんな二人を見つめて、ニコルは穏やかな笑みを浮かべて「笑顔になってよかった」と、幸せな気持ちに包まれました。


 それから、ニコルはきょうだいの花摘みを手伝い、一緒に西の街へ行く事にしました。


「♪♪ ♪♪♪ ♪~」



 ニコルは歌いながら歩きます。

 ニーチェも、ニコルの歌に合わせて小さく口ずさみ、にこにこと笑顔で歩いてゆきます。


そんなニーチェを見て、マールは思わず泣きだしたくなる程、嬉しさに胸を躍らせました。


(母さんが死んでから、あまり笑わなくなったニーチェが、こんなに楽しそうに歌いながら笑ってる)


 マールはニコルの暖かくて元気な歌声に心から感謝して、気付けばマール自身も鼻歌混じりにニコルの歌を真似して歩いていました。

「お兄ちゃん、うた、へったくそお~」

 マールの鼻歌を耳にして、甲高い笑い声をキャッキャとあげて、大きな口を開けて笑うニーチェに、


「へ、下手くそとはなんだよ~っ!」


 怒るそぶりを見せつつも、嬉しさで顔が綻ぶマールを見つめて、ニコルは「うふふっ♪」と幸せそうに笑いました。




 

  ‡  ‡



 色あざかやな花を花籠に詰めて、楽しく歌いながら歩き3人がたどり着いたのは、白い大きなお城がそびえ立つ華やかな街でした。


 広い道路を行き交う馬車。

 レースの日傘をさしてお付きと共に静々と歩くドレス姿の淑女や、黒い艶やかなシルクハットをかぶった巻きヒゲの紳士が、小洒落たカフェのオープンテラスで優雅なティータイムを満喫しています。


「はあ~。なんて大きな街なんだろう」

 ニコルは通りに立ち並ぶたくさんのお店や行き交う人々を見渡しながら、驚き目を見開いてつぶやきました。


「この街はお金持ちしか住めない街なんだ。俺達のような貧しい人間にはさ、手が届かない高価なものばかり売られてて。……全く神様ってのは不公平だよ。俺達だって一生懸命生きてるのに…」


 マールはため息をついて、洋服屋のショーウインドーを恨めしげに見つめました。

「ニーチェに…綺麗な洋服を着せてやりたいなぁ。ニーチェは明日5才の誕生日なんだ…。だけど今の暮らしじゃ、プレゼントも、お祝いもしてやれない。

それどころか、花が売れなきゃ、今日のご飯にもありつけやしない」



 マールは悔しげに唇を噛み締めて、ぎゅっと両の手を握りしめて、涙を堪えて俯きました。



「 ♪ ♪ ♪ ~」



 ニコルは、そんなマールの辛い気持ちをいたわるように、慈愛に満ちた歌を歌いました。


「♪ ~♪ ♪」



 その透き通る美しい歌声は街中に響き渡り、優雅に歩く紳士、淑女の足を止めました。


「なんて美しい歌声なのかしら」 

「なんて温かくて力強い歌なんだろう」


 気がつくと、この街にも沢山の人だかりができていました。


 歌い終えたニコルは、集まる人々に丁寧にお辞儀をして、にっこりと微笑みを浮かべました。


「まあ、猫よ! 猫が歌っていたのね!」

 胸に手をあて、感激する淑女達。


「素晴らしい歌だったよ! 是非もう一曲お聴かせ願いたい!」


 紳士達は、白いシルクの手袋を外し、ニコルに惜しみない拍手を送りました。

「では、僕が歌う代わりにこの花を買っては戴けませんか?」


 ニコルは、ニーチェの肩に手を置き、花籠に手を向けました。


「ああ、いいとも。まとめて全部買うよ。いくらだい?」

 胸元からお金を出す仕草を見せた紳士の言葉に、ニコルは、


「残念ですが、花はお一人様一輪しかお売りできません」

 ゆっくりと首を横にふり笑みを浮かべました。


「何故だい? 全部一度に売れたほうが──」

 訝しげに小首を傾げた紳士に、


「この花は、このきょうだいが、朝早くから何時間もかけて、一生懸命一輪一輪大切に摘んだ花です」


 ニコルは透き通る青い目を人々にしっかりと向けて、

「この花達だって、こんなに綺麗に咲くまでに長い間一生懸命に頑張ってきたんです」


 ニコルは、美しいガラスの瞳を穏やかに揺らし、真っ直ぐに紳士を見つめて話を続けます。


「たくさんのお金をだして、たくさんのものを買い持て余すよりも、本当に価値のある美しいものをひとつ大切に出来る心を持つほうが、ずっとずっと尊く、幸せな事だと思いませんか?」


 ニコルの言葉に紳士ははっとして、申し訳なさ気にシルクハットを取り、ニコルに小さく頭を下げると、

「綺麗なお花を一輪、戴けませんか?」


 優しい笑顔でマールを見つめた。

「あ、ありがとうございますっ!」

 マールは、花籠から青い花を一輪取り出し、紳士の背広の胸ポケットに挿しました。


「ありがとう」

 紳士は、微笑みながら内ポケットから銀貨を2枚取り出して、マールの手の平にそっと乗せた。


「――! 旦那様! こんな大金なんかもらえませんっ!」

 マールは驚き慌てた声をあげて紳士を見上げました。


「本当に価値のあるものに対する感謝の気持ちだよ」


 紳士は、マールの手の平に銀貨をそっと握らせて「一生懸命美しい花を摘んできてくれて、本当にありがとう」と頭を撫でた。

 マールは、今にも泣きだしそうな気持ちを堪えて、

「ありがとうございました!」


 紳士に深々と頭を下げました。


「流石は紳士です。青いお花、とてもよくお似合いですよ♪」

 ニコルはウインクしてキラキラとガラスのように澄んだ瞳を輝かせ微笑んだ。


「さあ! 紳士、淑女の皆々様! 帽子に、胸に、美しい一輪の花はいかがですか?」


 ニコルは人だかりを見渡し、とびきり弾む声と笑顔を向けました。


「私にもひとつ」

「私もよ!」


 瞬く間に花籠は空になり、紳士、淑女達の胸や髪や帽子には色とりどりの花が飾られた。

 そんな美しい花達に囲まれて、ニコルは歌いだしました。


「 ♪♪ ♪~♪」


 大切な心を伝える力強い歌を。


「 ♪♪ ~♪」


 人々の心に語りかけるような歌を。




  ‡  ‡



 花を売ったお金で、食料を少し買い、マール、ニーチェ、ニコルはささやかな夕食のテーブルを囲みました。


「なあニーチェ、ほんとによかったのか? 今日は沢山稼げたから、誕生日に綺麗な洋服のひとつでも買ってやりたかったのに…」


 マールはスプーンでスープの中のジャガ芋を突きながら、ニーチェを見つめて、小さくため息をつきました。


「いいのっ! 私はそんなのいらないのっ! 私はお兄ちゃんと一緒にいられるだけでとーってもうれしいんだもん」


 ニーチェはスプーンを握りしめて楽しそうに笑いながら、


「洋服なんかより、パンやスープのほうがおいしいから大好きっ!」

 ニーチェは、ライ麦パンをちぎりぱくっとほお張り、幸せそうに笑いました。


「せめて、焼き菓子のひとつでも買えば良かったなぁ…」

 マールはもう一度小さくため息をついて、スープをすくい喉に流しこんだ。


 そんなやり取りを見ていたニコルは立ち上がり、「そうだ、豪華な焼き菓子より、もっと素敵なものがある事をわすれてたよ」


 ニコルは、感謝祭で貰った紅茶のクッキーと、桃色の飴玉をニーチェの小さな手の平にのせて「1日早いけど、お誕生日おめでとう」と祝福の笑顔を贈った。


 ニーチェは瞳をキラキラ輝かせ、

「素敵っ♪ クッキーにキャンディーっ♪ ありがとうっ! ニコルっ」

 溢れんばかりの笑顔をこぼしました。そして、


「はいっ、お兄ちゃん」


 ニーチェは飴玉を2つとクッキー2枚をマールに差し出しました。


「いいんだよ、これはニーチェのなんだから、全部食べろよ」

 マールは、本当はのどから手がでそうな程欲しかったけれど、ニーチェに沢山食べさせたい…そう思い、お菓子を受け取りません。

 そんな優しい兄の気持ちを知っているのか、ニーチェはにっこりと笑って、


「仲良く分けて食べたほうが、いーっぱい、いーっぱい幸せで嬉しいんだよっ!」


 そう言って、クッキーとキャンディーを持つ両の手をぐいと、マールに差し出しました。


「ありがとう…ニーチェ。嬉しいよ」

 マールの焦げ茶色の瞳には、小さな小さな涙が光っていました。


 そんなきょうだいを見つめて、ニコルは思わず胸が熱くなり、

(嬉しいを分け合えるって、本当に素敵な事だな)


 心の中でそうつぶやきながら、小さく頷きました。


 ささやかで楽しい夕飯の後に、旅の話を聞きながら眠りについたニーチェの頭をそっと撫でたニコルは、


「さてと…、僕はもうそろそろ行くよ」


 マールに笑顔を向けて「楽しい時間と美味しいごはんをありがとう」とお礼を言ってぺこりと頭をさげました。


「お礼を言うのは俺のほうだよ…ほんとに、なんて言ったらいいか…」

 マールは俯き寂しそうに小さく笑いました。


「お礼なんていいんだよ。僕はニーチェの素敵な笑顔と優しさが見れた、それだけで十分だよ」


 ふうわりと笑い、


「もちろん君の笑顔と優しさもね♪」

 ニコルはウインクをひとつして、ニッコリと笑いました。


「じゃあねっ♪ いつかまた会える日を夢見て。

二人共、いつまでも仲良く元気でね」


 ニコルはそう告げてマールと別れると、ランプ片手に夜道を歩き出しました。



  ‡ ‡



 暗い山の一本道を登り、頂きにたどり着くと、広く開けた夜空には丸い大きな月が浮かび、辺りを蒼く静かに照らしていました。


 腰を下ろすのにちょうど良い、丸くて平たい石の上に座り、ニコルは月に語りかけました。


「ねぇ、お月様。この広い世界には、たくさんの『悲しい』が溢れているんだね…」


 そうつぶやくと、ニコルは透き通るガラスの瞳から、ぽろり…と一粒涙を落としました。


「たけど僕は信じたいんだ。

『辛い』は誰かの、何かの為ならば『強い』に、『強い』はやがて、『優しい心』に形を変えていくんだって事を」


 ニコルは誓うように、祈るように胸に手をあてて、目を閉じました。


「僕にとっての『とっておきの場所』は…きっともうすぐ見つかるよね?」


 静かな静かな月夜でした。

小さな小さなニコルのつぶやきは、秋風に運ばれて静かに溶けてゆきました。



   ‡  ‡



 はるか東の村を出て、幾月が流れたでしょう。


 季節は3度目の秋を迎える中、ニコルは歌いながら西へ西へと旅を続けていました。


 たくさんの町や村で、たくさんの人と出会い、歌い、笑い、そして別れを繰り返してたどり着いたのは、かすみ草が一面に揺れる小高い丘でした。


 ニコルは丘に立ち、青く澄み渡る空をぼんやりと見上げていました。

 旅を重ねたその体は随分と歳をとり、小さく、細くなっていました。


「結局、とっておきの場所はみつからないまま。一体、僕にとっておきの場所って何なんだろうね…」


 風にヒゲを揺らしながら、青空に語りかけました。


「 ♪ ♪ ♪」


 ニコルは空に向かい歌います。


「♪ ♪ ♪」


 幾度となく歌ってきた、誰かを励ます歌を、何故だか自分の為に歌ってあげたくなったのです。



 そんな歌声に合わせるかのように、どこからともなく弦楽器の音色が風に乗り、ニコルの耳に届きました。


「 ♪♪~♪」


 その音色は、ニコルの心を励ますかのように、だんだんと色濃く丘に響き渡ります。

 胸に響く弦楽器の優しさに、瞳を潤ませながら、ニコルは精一杯自分の為に歌いました。

 いつしか隣には、グレーのつばの大きな帽子を目深に被り、同じグレーのマントに身を包んだ旅の吟遊詩人が、腰を下ろし、弦楽器を奏でていました。


「やぁ、旅猫さん。君の歌は風に乗り、たくさんの人々の耳に届いて、たくさんの笑顔を生んでいるよ」

 演奏をやめて、詩人はニコルに微笑みかけました。


「そうですか。それはよかった」

 ニコルはガラスの瞳を優しく揺らし、詩人ににっこりと笑いかけたが、しかしその笑顔はとても弱々しいものでした。


「…どうしたんだい? 何だか元気がないようだけど」

 詩人がニコルに問い掛けると、


「僕は、とっておきの場所を探して、ずっと旅をしてきたんです。

でも、僕にとっての、とっておきの場所って、結局一体何なのかなぁ…と」

 疲れた顔で小さなため息をひとつついて、風に揺れるかすみ草を見つめているニコルを見て詩人は、目深に被った帽子をとり、ごろりと寝転び、


「綺麗な空だね」

 そうつぶやきました。


「ええ…、ほんとーに綺麗な空ですね」

 ニコルは詩人の隣にゆっくりと寝転び、小さくつぶやきました。


「夕方になれば、美しい夕焼け空。夜になれば、まばゆい程の満天の星空や輝きに満ちた美しい月夜…。勿論曇り空だって雨だってあって。時が進む毎に空は色々な姿を見せるよね?」


「ええ…」

 ニコルは空を見つめたまま、ひとつ返事を返した。


「僕はね、長い間旅を続けて気付いたんだよ。

美しいものを見て、素直に美しいと思える場所は、ぜーんぶ自分にとっての『とっておきの場所』なんじゃないかな? と…ね」


 詩人は空を見つめたまま、小さな笑みを浮かべた。


「君が見つめてきた、たくさんの景色も、たくさんの人の笑顔も、きっと、君にとってはみんな特別で、意味があり、価値のある尊いものだっただろ? 勿論逆もそうだ。君の歌を聴いて、君の優しさに触れた人々は、きっと君と言う『とっておき』を知り、心に大切な気持ちを息づかせた」


 詩人の言葉に、ニコルは小さな小さな涙をぽろぽろと零して、


「僕は精一杯頑張って生きられたでしょうか…?」


 小さくつぶやくように詩人に尋ねました。


「君は、君の歌は出会った人々の心に刻まれ、これからも歌い継がれてゆくだろう」


 詩人は、はっとして起き上がり、ニコルを見つめると、小さな頭をそっと撫でて、優しく諭しました。


「君は、精一杯生きたよ。たくさんの人に笑顔を、生きる喜びを、優しさを、歌声にのせてわけ与えたんだよ。君が歩いた道のどれもがとっておきだったのさ。だからね、安心して、ゆっくりとおやすみ…旅猫さん…」


 詩人の言葉を聞いて、ニコルはゆっくりと目を閉じました。


「ありがとう、嬉しいなぁ…」


 と小さくつぶやき…。






  ‡  ‡



 季節は春を迎え、小高い丘には一面、たんぽぽがまるで歌うように春風に体を揺らしています。

 その丘にひとつ、小さな小さな木で作られた墓標がひとつ。

 その木には、黒と白のしましまのマフラーが巻かれていて、気持ちよさそうに春風にそよいでいます。



 旅の吟遊詩人は、村や町、様々な場所を流れ流れて弦楽器で弾き語り続けるのでした。


 人々の幸せを願い、精一杯歌い生きた、透き通る美しい瞳を持つ、優しい、優しい旅猫の唄を。





こうちゃん、1歳の誕生日おめでとう!


2012,02/24



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