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Hello


『離れてても俺達は絶対大丈夫だよ』


 そんな彼の言葉をずっと信じて頑張ってきた。

付き合って2年。その半分は彼の転勤で遠距離恋愛。

 離れている距離はメールや電話を重ねてもやっぱり寂しいを拭えない日々だった。


 急に襲われる独りきりの心細さや会いたさで、泣き出した夜だって数えきれないほどあった。


 でも私は信じてた。


 愛しいは寂しいなんかに絶対に負けないって。

 私達はきっと寂しいを乗り越えて、二人で幸せを迎える日が絶対来るんだって。


 


 信じた結果は電話一本で終わってしまうほどあっけない破局だった。


 理由は、彼に好きな人ができたからだ。

 いつも傍にいて自分を支えてくれる人を好きになってしまったって。

 

本当にありきたりな理由だった。


「愛しいは寂しいには勝てなかったよ…」って彼は電話口で私に告げた。


 どんなにメールを重ねても、どんなに電話での言葉を重ねても、埋まらないものがあるって。


 あたしの愛してるは、信じてる気持ちは、寂しいに負けちゃったんだ…。


  ◇


 ふと見上げた12月の朝の空は、思わずため息が出る位に澄み渡るコバルトだった。

時折頬に刺さるような冷たい風を受けて、マフラーに潜り込むように首をすくめつつも出勤の為駅に向かい歩く足は、その一歩一歩がとても重くて憂鬱だった。


 昨日も結局全然眠れなかった。

もう二度と鳴る事はないとわかっている特別な着信音。

 だけど私は習慣のようにそれを待っている事が嫌でたまらくて、でもやめられなくて…。


 彼から別れを告げられてもう3日が経ったのに、何がいけなかったんだろう…? どこをどうすれば良かったんだろう…ってことばかりで頭の中がいっぱいで。


 鳴らない携帯を見つめて敗北の原因を考えながら朝を迎える。その答えはきっと回答を貰う相手のいない独りきりの私では出すことはできないとわかっていた。

けど、考えることはやめられなかった。


 

 いつもの駅に着いた。

無人改札の機械に定期券を通して、いつものように上り列車に乗る為に、段の少ないコンクリート製の幅広い階段を上がる。


 狭いプラットホームと自販機がひとつだけの小さな駅には、一時間に2本だけしか列車が停車しない。


 慌ただしい朝なのに、各駅停車の普通列車しか停まらない寂れた田舎の駅。  私と同じように通勤、或いは通学の為電車を待つ人はラッシュ皆無でまばらだ。


 誰もが皆、互いに無関心な待ち時間。

 携帯の画面を見つめる人や折り畳んだ新聞を見つめる人。文庫本に視線を落とす人にゲーム機に添えた指を忙しなく動かす人。


 皆、短い待ち時間の間に自分だけの世界を展開させている。

 そんな中、私は寒さでかじかむ両手を口元で握りしめて、上目遣いで空をぼんやりと見ていた。

 

 プラットホームの屋根の上には、憎々しさすら込み上げてきそうな、だけど思わず吸い込まれそうになる程に澄んだ青い空があった。


 そんな綺麗な空を見てたら、目頭が寝不足とは違う何かでチクチクと小さく痛んだ。いうことをきかない涙腺が緩み、みるみるうちに視界が水を纏い、ぼんやりと霞んでいく。

 零れ落ちそうになった涙に、はっと我に返って、慌てて俯き込み上げるものを無理やり押し込めた。

 

(悲しいと寂しいは、どっちが強いんだろう)

 ふとそんな事を考えた。

 今の私は悲しいが勝ってるのかな?

 それとも寂しいのほうかな…。

 

(別にどっちでも関係ないか)

 我ながら馬鹿な事を考えたなと、地面に自嘲の笑みをひとつ落とした。



 ◇



 携帯を開き時間を見ると、あと5分もしないうちに列車が来るだろう時刻が表示されていた。


(会社…行きたくないな…)

 何だか頭も痛くなってきた。立って電車を待っていることさえも辛くなってきた。

 けれど私には会社をサボる勇気などない。

 行くしかない。やるしかない…。


 我慢するしかない。


 幾度となく繰り返したその言葉は、私を確実に深く傷つけた。


 自分でそうだと思って心の中で呟いたはずなのに、何故だか赤の他人に言われるよりも酷く悲しくなってしまった。


 そんな事を考えたら頭痛だけじゃなく目眩までしてしまった。

(なんだろ…すごく気持ち悪い…)


 数秒後に列車が到着する事を告げるアナウンスが流れ、踏切が甲高く規則正しい音を鳴らした。

 保とうとする私の意志と反して身体がグラリと揺れ、膝の力が抜けた。

(ああ…ヤバいな…このままじゃ…)

 ホームから落ちる。そう思った瞬間――


「危ないっ!!」

 

 私の身体は後ろに引かれて、背中が誰かに支えられた。

 うまく働かない頭でぼんやりと私を引き寄せた人を見ると、スーツ姿の男の人だった。


 声の主は「大丈夫…?」と私を支えながら、ゆっくりベンチへと誘導し、

「座れる?」

 と尋ねてきた。私は頷きながら腰を下ろして目眩をやり過ごす為に目を閉じた。


 電車が来た。そして扉が開閉し、発車のブザーが鳴り、ゆっくりと動き出した。

 私はそれを他人事のようにぼんやり眺めるだけで動けなかった。

 そんな私の前にしゃがみ、心配そうな顔を見せながら男の人は、

「あ、乗り遅れた…」

 小さく苦笑いを浮かべた。

(あれ……)


 なんでだろう、涙が止まらないや。


「……」

 彼は少し驚いた顔を見せた後、無言で立ち上がり、私から少し離れた場所へと歩いた。

 知らない人に泣き顔を見られるなんてみっともないと思いつつも、私は涙を止めることができなかった。

 不思議な涙だった。

(悲しい涙じゃない…寂しいでもない…)


 なんだろう。



  ◇



「…落ち着いた?」


 遠慮がちにも見える小さな笑みを携え、彼が私に渡してくれたのは自動販売機で買った温かいミルクティーだった。


「すみませんでした…あの…」

 缶を受け取ったら、冷え固まった両手がじわりじわりと温かさに包まれ、気恥ずかしさと一緒に安堵が込み上げた。


「…遅刻…ですよね? ご迷惑を――」

「いいんだよ。会社なんて本音はあわよくばいつだってサボりたいって場所だしね」

 私の言葉を遮るように彼はそう言って笑った。

 清潔感のある短い黒髪。縁の細い銀フレームの眼鏡の奥、細めだけど黒目の割合が多いような一重の瞳が優しく弧を描いてる。

歳は私とさほど変わらない位かな…。


「…人が持つ感情で一番負けないものって何だと思いますか…?」


 急に尋ねたくなる気持ちを抑えられなかった。


「…負けない感情…?」


 いきなりそんな事を言われて、困惑気味な苦笑を浮かべた彼は、数秒考えた後、


「そもそも感情に勝ち負けなんてあるのかな?」

 彼は下り方面のプラットホームを見つめて小さな笑みを浮かべた。


「感情は勝ち負けなんかで優位を表すような、そんな安っぽいものじゃないと思うよ」


 そんな言葉を耳にして、私は思わず俯いた顔を上げて彼をじっと見つめてしまった。


「…感じた時時がどんな気持ちであっても、それはどれもが自分にとって欠くことのできない大切な感情だって思えたらいいね」


 彼は愁いとも取れるような小さな笑みをひとつ私に向けて、缶コーヒーを飲んだ。


「…私はずっと負けたと思ってたんです…」


 見ず知らずの人に何を話してるんだろう…。

そう思いつつも、私は話しを止めることができなかった。


「たとえ今は離れて暮らしてても、好きな気持ちは、相手を信じる気持ちは、寂しい気持ちになんて負けるはずないって…」


 反対側のプラットホームのベルが鳴り、踏み切りが鳴った。

 通過する列車が冷たい風をホームに運んだ。私はほんのりと温かい缶を両手で握り締めて、マフラーに潜るように首をすくめた。

 数秒で静寂が戻り、私は話しを続けた。


「…でも、彼は寂しいには勝てなかったって。だから…いつも傍にいてくれる人を好きになったって」


 あの日の電話口の彼の申し訳なさげな声を思い出した。


「毎晩ずっと考えてました。私のどこがいけなかったんだろうって」


「あなたは何も悪くないと思うよ」


 隣からはっきりとした声が聞こえた。


「あなたは何も悪くない」

 再度彼は力強く私にそう告げた。


「俯いて考えるだけ考えたら、泣くだけ泣いたら…次は前を見ようよ」


 穏やかだけど、胸に強く響く声だった。


「前を…見る」

 そうつぶやいて彼を見つめたら、「うん」とひとつ頷き照れくさそうに笑ってた。


「ほんの少しだけでも前を見て歩けばきっと、その先はささやかな幸せに繋がってるんだって思えたら、なんとかなりそうな気分にならないかな?」


 彼はそう言った後に「ちょっとキザだな…」と再度照れくさそうに笑ってつぶやいた。

 そんな彼を見て、小さくだけど私もつられて笑ってしまった。


 上りのホームに、まもなく電車の到着を告げるベルが鳴った。


「もう大丈夫かな?」


 彼は少し心配そうな笑顔を私に向けた。


「はい。ありがとうございました」

 立ち上がり、彼に一礼したところでホームに電車が到着した。

 ドアが開き、車内からの暖かい風に包まれながら、私は車両の前のドアへ。


彼は次の車両の前のドアへ。

 乗り込む間際、

「頑張ってね。俺も頑張ります」


 彼は穏やかな笑顔でそんな言葉をくれた。私はひとつ大きく頷いて電車に乗り込んだ。


   ◇


 車窓から外の景色を眺めた。

 いつもより少しだけ高い日射しと、矢継ぎ早に流れる木々の上の青い空の眩しさに目を細めて、


「いい天気だな。よし、頑張ろう」




 笑顔を添えてひとつつぶやいた。



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