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Bonnie and Clyd(改稿版)

 私は今日も路上で生きる『退屈』という時間を潰している。


 帰る家はどこにもない。親って奴らはどこかにはいるんだろうけど、居場所なんて知らないしそんなモノはとうの昔にいないもんだと頭ん中から抹消済みだ。


 それでも生きてくにはどうしてもお金がいるから仕事はしてる。

売れるモノ、それを売ってる簡単な仕事。


 私が売るものは、17歳って若さを掲げたこの身体。もちろん世間では違法だってわかっててやってる。


 でもこの仕事っていうのは、違法だとしっかりわかってる『良識的』と謂われてる大人達にはすこぶる人気みたいで、私の身体はバカみたいに高値で取り引きされている。


 不況不況と騒がしい世間だけど、みんな私と一度寝るだけでぽんと大枚はたくから、本当に不況なのかと首を傾げたくなるくらいだ。


 路上生活してても、私の財布の中には常に万札が数枚入ってる状態が途切れることがない。

 まあ、金を稼いだからって、別にたいした使い道なんてないっていうのもある。家がないから荷物が増えるのも邪魔だし、本当に欲しいものなんて実はそうそうないものだ。

 

 先の生活なんて計画は何もない。だってこの先私がどうなろうと誰にも何の関係もないから。

 どうせ私みたいなちっぽけな生き物の命が明日にでもひとつ消えたとて、世界はなにひとつ変わらないし、悲しんだりする人なんてこの世に誰ひとりいないんだから。

 むしろいつだってコロッと死んでも全然いいと思ってる。けど、自分で死ねる度胸なんてあるわけはない我儘な性質(タチ)だから、適当に誰かが殺してくれないかなというのが希望だ。


「殺人事件に巻き込まれる確率ってどんくらいなんだろ…」


 ファミレスの薄茶色のガラス越しに見える、渇いたコンクリートのビル群と無機質に行き交う人の波を見つめて何となくそうつぶやいたら、バカみたいに笑いがこみあげて、肩が上下に小さく揺れた。



   ◇


 全くもって退屈だ。

毎日毎日、する事って言えば、金だけしかない汚いオヤジに買われてセックスするか、漫喫やネカフェで時間潰すかショッピングモールを散策するか…、そんな事の繰り返し。


 友達はいない。

はっきり言ってマトモじゃない私に友達なんてできるわけないのは百も承知。

 私は商売敵の同世代にはしこたま嫌われちゃってるから。

 自分達が大して客が取れないからって、バカみたいに僻まれてウザがられてるんだよね。


 でも、あいつらはみんな売春なんて気楽な小遣い稼ぎなんだよね。

結局ウザイ家族だとか文句を言いながらも、ちゃんと帰れる家があって。みんなあくまで物欲の為に体を売ってる奴ばかり。

『仕事』や『生活』とか考えてる私とは全然違うんだろう。


「生活の為…か……」


 考えると何だかまた可笑しくなって、更に肩が上下に揺れた。




  ◇


 日が暮れたというのに、街は電灯やネオンが眩しく光り、昼間と違う明るさを醸し出している。「眠らない街」なんて、誰が言ったか知らないけど、そんな表現がしっくりくる程街は依然として賑やかで、人があふれてる。 


 ファミレスから出て、ぶらりと歩きだしたとたんに、ある常連客から持たされてる携帯がバッグの中で鳴動した。

「さて…と。仕事か…」


 私は携帯を開き、西側にある総合駅のターミナルへ進路を取り歩き出した。

「もしもし?――うん。時間、空いてるよ?――――わかった、今向かってる」

 携帯に向かって少しだけ可愛いさを出す為に声のトーンをあげた。


 顔は勿論、真顔だ。



  ◇



 常連客の名前は中野。

歳はもうすぐ40に手が届くといったところだ。

普通に平凡なサラリーマンで独身。けど、去年親が死んで思わぬ財産が転がりこんできたらしく、金だけはある男だ。

 性格は内向的で金を使うことや娯楽なんて全然知らない残念な人間だ。


 中野と出会ったのは、1ヶ月前で、今向かっている駅の西口だ。

きっかけは本当に些細なことだった。

中野と私が駅のターミナルですれ違いざまに接触して、中野が手に持っていた缶コーヒーが飛び散り、私の洋服を汚したのだ。


 運がいいのか悪いのか…。その時私は編み目の細かい白いサマーニットを着ていて、肩から胸辺りにかけて焦げ茶色の染みがついてしまった。


 中野は、さすがの私もちょっと驚くほど慌てふためき、何度となく私に頭を下げて謝罪を繰り返した後、「不躾で申し訳ないが…」とクリーニング代として万札を3枚財布から取出した。


 私は商売上、客を見る洞察力はそれなりにあるほうだ。

 中野と接触したのは月の半ばをゆうに過ぎた頃で、世間一般のサラリーマンは月末のペイデイの前で、当然財布の紐は堅くなるはずだ。

 それなのに中野はいとも簡単に私に戸惑いもなく大枚を差し出したのだ。

 財布を開けた時に、まだ何枚も入っていた万札もチラリと確認済みだ。


 格好――、着ていてる背広はさほど上等なものでもないし、持っている通勤カバンも全然大したことない安物だった。

そして、何より、この尋常じゃない腰の低さは会社の上の人間ではなく平社員だろうなと。

しかも歳の割りには全然女に免疫がないとみた。

 それを証拠に、私は怒りの素振りを見せていないのにも関わらず、中野はあたふたと恥ずかしそうで全然私と視線を合わせようとしないし、話をする顔がずっと赤くて会話にも全く余裕がない。

(独身のクソ真面目なオッサンかな…)

 きっとろくに遊びもせずにせせこましく働き、金だけはある人間なんだろうなとその時は思った。


 タバコの匂いもしないし、全身トータルしてかなり地味だ。ギャンブルをしてたまたま大金を得たような淀んだ空気も感じられなかった。


 歳を食っているにも関わらず、どこか純粋な空気さえ出ているような男で、ぶっちゃけ詐欺とかのカモになりそうな押しに弱そうな雰囲気も感じた。


 とにかく、客にするには美味しそうな匂いがしたことは確かだ。

 こういう真面目なオッサンは良い客に化ける率が高いから。


 私の読みは正解どころか、それ以上のものだった。中野はまるで恋愛ジャンキーのように私にのめり込んでいった。

性質はMだろう。自分では何も決められず私に全てを任せるから。


 中野との付き合いは適度にやりたいようにワガママに振る舞えるから私としては楽だ。

適当に世間話を交えて質問に答える程度会話をしてご飯を食べて、シティーホテルで一泊してヤルだけ。


それだけで中野は満足らしい。


  ◇


 駅の西口のコンクリートの壁に立ち、そわそわと私を待っている中野が視界に入った。

だからって慌てて駆け出すわけでもなく、普段通りマイペースで歩く。


 中野の目が私の姿を捕らえたらしく、浮き足立ち歩き出した。

その時――、


 中野が誰かと接触した途端にぐにゃりと地面に崩れ落ちた。

「ぇ…何…?」

 目の前の光景を、状況を飲み込めずに私は立ち尽くした。


 西口にいる人間が、その誰かと接触する度にぐにゃりと崩れ落ちていく。

 刹那、突如鉄を裂くような悲鳴が上がり、人波が蜘蛛の子が散るように逃げ惑っている。

私はまだ状況が理解出来なくて立ち尽くしてその様子を見ていた。


 人がまた倒れた。

悲鳴がどんどん上がる。

 あ、まただ。

簡単に数えただけで、中野を含めて5人は人が倒れてる。

 状況をはっきりと理解出来ないままだけど、でも動物的本能は危険を察知してか、私は無意識のうちに動かなかった足を無理矢理後ろへと引いていた。


 そんな私の目の前に、全身黒づくめの、黒いキャップを目深にかぶった男が、薄い笑いを浮かべて私の目の前に立ちふさがった。


 星の見えない暗て狭いインディゴブルーの空。

明るい駅の照明を背に受けて私の前に立ち、口の端を小さく歪ませた男を私はぼんやりと見つめた。


 軽く曲げた手には赤黒い液体に濡れたナイフが、逆光に照らされ鈍い光を放っている。


(あぁ、そうか…。確率に当たる日が来たんだ)


 そう思ったら、何だか突然過ぎて可笑しくなって、私は笑みを浮かべてしまった。

 これで、退屈な日々に終わりを告げることができるんだ。

もう、私という生き物の全てを無にできる…。


 恐いけど、どこか嬉しかった。

(ヨウヤクシネル…)

 安堵混じりで心の中でつぶやいた。


 でも、数秒待っても痛みも苦しさも感じることがなく、私の呼吸も鼓動も少し速いだけで相変わらず規則正しく続いている…。


「何してんの?早く刺して殺してよ」


 私は苛立ちを混ぜながら黒づくめの男を見上げて、催促の言葉を投げた。


「…お前、面白いな」


 男は目を細めて笑い、いきなり私の手を引いた。


「ちょ――!何っ!」

「一緒についてこいよ」

「は?」


「お前、退屈なんだろ?」

「!!」

「だったら、退屈をふっ飛ばしてやるよ」


 

 男は屈託のない笑顔を私に向けた。


『タイクツヲフットバシテヤルヨ』


 今の私に与えてくれる会話なんて、たったそれだけで十分過ぎるくらい心奪われる魔法の言葉だった。


 生きてくことは苦痛、そして退屈。


私は生まれてからその二極しか知らない。


 生まれてからまともに生活できなかった苦痛。


そこから漸く解放されても、マトモに生きる術なんて知らずに、ただ無駄に時間を消費する、『退屈』という名の生きてくことの辛さ。

 そんな私の生き方をふっ飛ばしてくれることを与えてくれる人なんて、きっとこの世の中にはいないと思ってた…。


 実際、そんな言葉をかけてきた人に遭遇したこと自体この人が初めてだった。



 私は屈託のない笑顔に吸い寄せられるように男の手を強く握り返して、小さく笑みを返した。



  ◇



 駅の西口から少し南へ走り、繁華街の路地裏へ入り、男は少し返り血を浴びた黒いフード付きの薄手のジップパーカーと、黒い革の手袋とかぶっていたキャップを脱いで料理屋の青いポリバケツの中に捨てた。  

 ナイフはパーカーで血を拭い、折り畳まれて黒いゆったりとしたカーゴパンツの後ろのポケットに収めされた。


 黒づくめの殺人者は、上半身に纏った黒を取り除くとガラリと雰囲気を変えた。

とても人なんて殺せそうには見えない、甘くて優しそうなマスクの持ち主だ。


 身の丈は、私より10センチは高い。私の身長は160センチだから、男は170センチほどだろう。


 髪は何も手を加えた形跡のない黒髪で、短くもなく、長くもない。前髪は目にかかるほどの長さだ。


「…名前…」

 彼に向かいそうつぶやくと、

「マナト。お前は?」

「みずは」

 私は名前だけを簡潔に告げた。

「みずは、腹減った。メシ食おう」

 マナトは笑う。

「…そうだね」

 私も釣られるように小さく笑みを浮かべた。



 つい先刻、駅前で人を次々と刺した通り魔殺人者――マナトと一緒に、私は繁華街の中にあるラーメン屋で夕食を食べる。


 カウンターに横に並んで座るマナトは、美味しそうにチャーシュー麺を食べている。

そんなマナトを見てると、さっきの惨劇は本当に現実なのか疑いたくなる程、なんとも平穏な空気を感じた。


「みずは、ラーメン、のびるって」

 マナトは私の視線を感じてか、くすっと笑みを向けて一言告げた後に、またおいしそうに麺をすすり始めた。


 私は小さく頷いてラーメンをちびちびとすすった。


   ◇



 大した会話もなくラーメンを食べ終えて、私達は店を出て、今夜の寝ぐらにする為に近くの古ぼけたラブホテルへと入った。


 私がいつも所持している大きめのバッグの中には、買い揃えた新品の着替え一式に、コスメグッズに、電池式のこて、歯磨きや洗顔等のトラベルセットが入っている。

 路上生活しているとは言え、不衛生な生活なんて冗談じゃない。

お風呂は毎日入りたいし、着替えだって毎日しなきゃ気持ち悪いから。


 一度着た服はゴミ箱に捨てて、必ず毎日新しい服を買って着る。

服は一番邪魔な荷物になるから。


 部屋に入りマナトはソファーに身を投げて欠伸をひとつした。

「ねぇ、どうして…、人を殺そうと思ったの?」

 私はベッドに腰を下ろしてマナトに向かい合わせて尋ねた。

「んー…、生きてくのがさ、つまんなくなったから」

 マナトはやんわりと口元を緩めてそう応えた。

「家族…は?」

「いないよ。俺、天涯孤独の人間だもん」

「…死んだの?」

「みずは、お前は?家族は?」

 マナトは逆に私に尋ねた。

「…さあね? 生きてるのか死んでるのかも知らない」

 私は自嘲気味に小さく笑った。

「俺の親父ってさ、人殺しで刑務所に入ってんだよね」

「……」

 私は黙ってマナトの話を聞いた。

「加害者の家族ってさ、この世じゃ、罪を犯してなくても、犯罪者と同じ…、いや、犯罪者は牢屋入って世間から隔離されるからまだマシなんだよな」

 過去を語り出すと、マナトの瞳はみるみるうちに氷のように冷たくなり、私は身震いを懸命に堪えながら話に耳を傾けた。

「母さんも俺も、世間から人殺しの家族ってことで、散々虐げられて苦しめられた。どこに行ってもさ、人殺しの家族も人殺しだって…」

 マナトはそう言うと、ふっと虚ろな瞳で天井を見上げて小さく笑った。


「…そんな責められる生活に耐えられず、母さんは首吊って死んだ。8歳の俺を置き去りにしてさ、独りで楽なほうに逃げちまったんだよな。

親戚にも引き取りを拒否されて、施設で暮らしてたんだ。生活はまあ…、楽じゃなかったけど、ちゃんと高校卒業して施設を出てなんとか就職もした」

 マナトは、ははっと渇いた笑い声を上げた。


「けどさ、たとえ場所は変わっても、どれだけ一生懸命頑張って努力してみてもさ、世の中の人間の俺への考えや見方は変わることがなかった。人殺しの子供は、結局どこへ行っても人殺し扱いなんだよな…」


「もう、いいよ。マナト…」


 何だか過去を話せば話す程、マナトはどんどん笑い声を増していき、それが私の胸をギリギリと締め付けて、呼吸をするのも苦しいくらいだった。


 マナトが世間の人間に殺意を抱く気持ちは痛い程理解できた。

私も親から生きることを否定され、理不尽に虐げられた人間だから。


「本当最高だね。人を殺しまくるって。みんなさ、刺された瞬間、え?何で?って顔すんだよな。

平和なんだよな。ま、平凡に生きてる自分に不幸なんてふりかかるわけないって思ってる人間が圧倒的に多いからなんだろうけどさ」


 マナトは屈託のない笑顔を私に向けた。

その笑顔は驚くほど幼い笑顔で…。


「でも、そんな平凡すら手に入れられない人間だっているんだよな。

全く不公平な平和だよ。少数派に差別してライン引いて自分達は大層幸せなんだって見下してさ」

 マナトは、更に楽しそうに笑い声をあげた。


「だからさ、思った。多数派の数を減らしたら、不公平な平和図式が変わるんじゃないかって。世の中の人間にデカイ不幸が溢れたら、どうなるのかなって試したくなった」


 (この人…狂ってる)


 そう思いながらも、私はそんなマナトの笑顔を交えた狂気的な言動に胸の高鳴りを押さえることができず、気が付くと自然とマナトを胸に抱きしめていた。


 きっと、私も狂ってるんだろう。

『不公平な平和図式を変える』

 そんなことできるはずがないと強く否定ができない。

 私も変えられるものなら、変えたいと心の底で何度となく願ったから。


 私を人間として扱うことをせずに、毎日毎日罵声や暴行を繰り返した母親。

そんな私を助けようともせず、自分の為の遊びをやめられずに借金を重ねた父親。

 挙げ句には私を借家に置き去りにして捨てて逃げた奴ら。


 かろうじて助かり施設に入ったものの、荒んだ施設内に蔓延してた歪んだ人間関係。


 皆同じように辛い目にあった人間のはずが、優しくいたわりあい、寄り添うこともなく、弱い者は虐げられるという腐ったループに巻き込まれ、居場所を失う。


 生きる喜びを感じることなんて、私には皆無だった。

 心を開ける相手もなく、毎日毎日嫌という程孤独を噛みしめた。

(こんな不公平な世界は滅べばいい、幸せに笑ってる奴らはみんな死ねばいい)

 いつしか私はそう思ってた。実行には移せないだけで、私の中にはいつだって苛立ちと、狂気的な破壊衝動が渦をまいていた。


 狂人が狂人に惹かれるのは、必然なのかもしれないね……。


 そんな二人に明るい未来なんてきっと訪れることはないよ。


 だけど、こうして今、マナトを抱きしめている私の胸は、何故だか不思議だけどとても満たされているような感覚に陥っているのだ。


「みずは、…お前、あったかいね」


 私の胸の中で甘えた声でつぶやいたマナトは私の背中に両腕を回して、

「人肌のあったかさってこんなに気持ち良かったっけ…」

 くすりと笑った。

「人肌の本当の気持ち良さなんて、そうそうに味わえるもんじゃないよ」

 そうつぶやきながら、何だか私も笑いが込み上げた。




 それから、私とマナトはベッドに入り、まるでお互いの心の隙間を埋めるかのように何度も求め合った。

 本当に不思議な感覚だった。

抱き合えば抱き合うほどに、まるで欠けた心のジグソーパズルのピースが埋まるような満ち足りた気持ちと、激昂に似た気持ちが混じり、爪先や指先がピリピリと痺れを感じた。


でもそれさえもか驚くほど心地良くて、私もマナトも幾度となく果てて、二人、くたくたになってぐっすりと眠ってしまった。



 どれだけぶりだろう。


…ううん、きっと初めてだ。

 こんなに安心して深い眠りにおちたのは。



   ◇



 真夜中にふと目が覚めた。

ベッドの中にあるはずの、私とは別の大切な温もりが失くなっていることに気付いたから。


 心の温度が急激に下がる恐怖感に襲われて、私は目を見開き跳ねるように起き上がった。


「……」

 沈黙して私は慌ててマナトを探す為に視線を部屋に泳がせた。


「…びっくりしたぁ」


 マナトはソファーに座り、私を見つめて驚き混じりの笑みを浮かべた。

そんなマナトを見たら、何だか急に両目が熱を帯びてチクチクと痛んだ。


「置き去りにされたかと思った…」


 つぶやいたと同時に、堪えきれない気持ちが溢れて、白いシーツにポタポタと水滴が滲んだ。


 たった数時間しか経ってないのに…。


 マナトが私の心に染み込むには、十分過ぎるくらいの時間だったことに気づいたら、何だか自分の弱さを痛いくらい感じて涙が止まらなかった。


 マナトはそんな私に歩み寄り、

「何で置き去りにしなきゃいけないんだよ?」

 やれやれと困ったような笑みと一緒に、

「約束したじゃん。みずはの退屈をぶっ飛ばしてやるって」

 そう告げて私を抱きしめてくれた。

「足手纏いになるかも…」 不安が口をつく。


「そうなってもさ、いいよ。どうせいつかは終わりが来るんだから。いつまでも逃げ仰せることは無理だってバカな俺でもわかってるし」

「……」

「でもさ、なるべく逃げ仰せたいな。 だってさ、まだまだみずはと俺は始まったばっかだしな」

 マナトは笑う。

「限られた時間、俺は人をどんどん殺すよ。きっとそこはどんなことがあっても変わらない。それが俺が選んだ道だから 」

 マナトの顔は相変わらず笑ってる。

でも、私はマナトが笑えば笑うほど、逆に泣いてるように感じた。


「何があっても、ついてくから…。きっと何があっても私は後悔しない。マナトが選んだ道、私もずっとついてくから」


 ずっとついてくから…。

 虚しい言葉だけど、今は、マナトといる今だけは虚しいなんて思いたくない。

 少しでも長く。

 マナトの傍にいたい。


「…まるで、ボニーとクライドみたいだよな」

 マナトは笑った。

「ボニーとクライド?」

 私はマナトを見上げた。「そう。1930年代にアメリカを駆け回り強盗や殺人を繰り返して逃げ回ったカップル」

 マナトは楽しそうに語った。

「最後は二人、車ん中で警官に蜂の巣にされて仲良く揃って死んだんだけどな」「日本じゃあり得ない話だね…」

 そうつぶやいたけど、心の中では二人が羨ましいと思った。

「みずは、お前羨ましいと思っただろ?」

 マナトは私の表情から心を読み取り声を上げて笑った。

「イカレてるよね」

 つぶやいた私に、

「俺もボニーとクライドが羨ましいと思ったから、イカレてるな」

 ははっ、と笑って私をきつく抱き寄せた。



  ◇



 翌日、私達はラブホテルを出て駅の南口へと向かった。

警察が沢山いる中、私達は堂々と手を絡めて駅のホームを目指した。

(意外とバレないもんなんだな…)

 いつ警官に止められるだろうかとドキドキと胸は激しく脈を打ったけど、無差別な殺人事件があったにも関わらず、人波はいつもと変わらなく溢れていて、まるで事件が起きたことなんて嘘みたいだなと思ってしまう程、駅は平穏だった。

 券売機で一番遠い駅の切符を二枚買って、改札に通しプラットホームへと続く階段を降りて、構内の売店でブラックの缶コーヒーを二本とガムを買った。

 駅売りの新聞を買おうと手を伸ばしたら、マナトが私の手を遮った。

会計を済ませて理由を聞いたら、

「新聞読みそうもない俺達若者がわざわざ新聞買うって不自然じゃん?それに、事件があった駅で事件の記事を読んでたら、なんか端から見たらちょっと印象に残りそうだしな」

 マナトの言葉に、なるほどと思った。

確かに、情報を得るなら私達世代なら、新聞なんかより携帯からのほうが自然だ。

「あ…、携帯…」

 私はバッグから携帯を取出して、

「これ、契約者は中野なんだ…。どうしよう…」

「中野って昨日みずはが言ってたオッサンか?」

「うん…」

 私は携帯を握りマナトの意見を待つ。

「それ、貸して」

 マナトは私に携帯を貸してと手を出した。

頷いて携帯をマナトに渡すと、折り畳まれたそれをバキリと折って、

「あとで捨てよう」

 と壊れた携帯を私に差し出した。

「多分、事件の目撃者はさ、みずはが殺人者に連れ去られたって思って、警察に情報を流してると思う。それなのに携帯使った履歴が残ってたら、みずはが共犯だってバレる。

あくまでもみずはは連れ去られてるって立ち位置のほうが、逃げ回る俺達には都合がいい」

 マナトはそう言って笑った。


 ホームに電車到着を告げるメロディーが流れた。

「さぁ、今日は何人殺れるかな?」

 屈託のない笑顔でつぶやくマナトに、私も黙って笑みを返した。


 それから到着した電車に乗り、私達はこの街から離れた。



   ◇



『――〇県〇市の無差別通り魔殺人事件の続報です』

 ラブホテルでテレビを観たら、あちこちで事件のニュースが報道されていた。

『本日、午後8時に〇市の〇駅でも相次いで多数の被害が――』


「早いなぁ。もうニュースになってるじゃん」

 マナトは私を抱きしめながら悪戯がばれた子供みたいに笑った。


 今日マナトが殺したのは三人。私は殺害現場の近くのコンビニの中からそれを見つめていた。

 

 私と同じ年頃の女子高生と、ロマンスグレーのサラリーマン。

 そして、小学生の男の子。みんな揃って、何で?って顔をした後に崩れ落ちたって、幼い笑顔でマナトは笑う。


 ニュースにはみんな死亡のテロップがついていた。

 さぞかし理不尽だろうね。

 みんな運が悪かったんだよ。

 ただ、それだけ。


 私も、マナトも運が悪かった。だけど私達はそれ以下の言葉で親からも、世間からも疎外された。


 生きることや希望あふれる未来なんて、絶対に平等じゃない。

 生まれた環境、場所、人によって、普通は普通じゃなく狂気だ。

 

 愛して欲しい人から、愛される喜びや安心を貰えるのは、当たり前じゃない。マナトも私もそれを幼い頃に知ってしまった。


 私の幼い頃の記憶なんて散々なものばかりだ。

母親からの容赦ない暴行。 そしてネグレクト。


 近隣住民は誰一人として私を助けてはくれなかった。寧ろ、ボロ雑巾みたいな私を見て煙たそうに、面倒くさそうに顔をしかめていた。

 所詮、皆自分の平和だけが大事なんだって思ってる。

 そんな奴ら、みんな消えてなくなればいい。

幸せな奴らは皆死ねばいい。

 ずっとずっとそう思ってた。


「…みずは…泣いてる?」

 マナトは私を後ろから抱きしめながら小さく呟いた。


「…もしも…、お互い普通の家庭に生まれて、平凡な生活をしてたら、私達…」

 

 私達は、出逢えてたかな…?

 私達は、こうして抱きしめあえてたかな…?


 そう尋ねたかったけど、どうしても言葉が喉から出てこなかった。


「叶うことのない『もしも』なんて考えてもさ…」

 マナトは小さく息をつき私の肩に顔を埋めて、抑揚のない声で「キツいだけだ…」と呟いた。


 小さく震えてるのが肩を通して伝わる。

 そんな震えを感じると、たとえ彼の目から涙は出てなくても、顔はどれだけ笑顔でも、マナトはいつだって泣いてるんじゃないかと感じてしまう。


 それがたまらなく悲しかった…。



「これから、何処へいこうか?」

 マナトは小さく笑って私を見つめた。

「どこでもいいよ。私はマナトとなら、何処へでも行ける――」

 そう言い終える前に、部屋のドアがノックされた。 私は息を殺してマナトを見つめた。マナトは、気配を殺してドアに近づきのぞき穴を確認して、ポケットの中からナイフを取り出した。


「マナト…」

 不安と恐怖が爪先から全身を掛けてのぼり、体が容赦なくこわばる。


「大丈夫、…すぐに終わる…」

 マナトは振り向いて、屈託のない笑顔を私に向けた。そんなマナトを見て、私は余計に体がこわばってしまった。


 ドアが開くと共に、マナトとは違う男の呻き声が一度聞こえた。次に違う男の怒声が上がり、その声もすぐに聞こえなくなった。

 そのあっという間の静寂は、二つの命が消えたことを私に即座に連想させた。

「……」

 沈黙して佇むマナトに向かい駆け出すと、ドアの前でマナトは私に手を差し伸べて、口元にだけ小さく微笑みを浮かべていた。

 マナトの足元には黒ずくめの男が二人転がっていて、廊下に敷かれたグレーの絨毯に赤黒い染みが広がっている。


「……」

 沈黙の中、マナトの手を掴もうとした瞬間――


「如月真人! ナイフを捨てて投降しろ!」

 廊下に声が響いた。


「……」

 マナトは数秒沈黙した後、私の体を引き寄せて「ちょっと我慢な…」とつぶやくと、私の首筋に血に濡れたナイフをあてた。


「こっちには昨日拉致った人質がいるんだよね」

 狭い廊下のエレベーター前にいる数人の警官に笑いかけた。

 警官のひとりがあわただしく無線で「人質が――」と誰かと連絡を取っている。

「……何が目的だ?」

 指揮を取る黒いスーツの男がマナトに問いかけた。

「目的? さあね」

 鼻を鳴らして笑うマナトに、

「何故愚かな父親の跡を辿るんだ!」

「辿るしか、それしか道がなかったんだ、初めから」 抑揚のないマナトの声が私の耳元を通り抜けた。

「何故道がそれしかないと決めつけ――」

「あんたにはわかんないよ。世間が振りかざした正義とやらが俺にとって、どれだけの膨大な悪意かなんてさ…」

 スーツの男の言葉を遮り、マナトは、ははっ…と渇いた笑い声をあげた。


「親が殺人者なら、そいつから生まれた子供だって、ただ存在するだけで立派な犯罪者として扱うのがこの世界の常識ってやつなんだろ? カエルの子はカエル。そう忌み嫌われて、ずっと疎外され続けたらさ、行く末なんて一本の道にしかならないんだよ」

 マナトの言葉に、警官が静まり返った。


「そんな世の中に抗って生きてこうにも、生活基盤だってうまく立てられない状態で、マトモに生きてけって…バカじゃね? それとも俺が頭が足りないバカだってのか?」


 マナトの体が小刻みに震えている…。


「アンダーグラウンドな世界に身を落としてどのみち中途半端にパクられるなら、俺は自分の存在を悪とされてもこの社会に消えない『如月真人』って名前を刻んでやろうと思った…」


 震えを懸命に止めようと、私を抱く手に力が籠もる。

「世の中に俺らみたいに人間扱いされない少数派がいるから、あんた達はクソみたいな正義を振りかざして安泰な生活ができてるんじゃねえか。ちょっとでも少数派に感謝しろよ。人間以下だと見下す代わりに、あんたらもちょっとは痛みを知れよ」


 どんどん力が籠もるマナトの腕に反した抑揚のない声色に、ギリギリと胸が締め付けられ、私の目からは我慢の限界を超えた苦しさが溢れ落ちた。


 声を張り上げて、「マナトは悪くない!」と叫びたかった。でも私の声帯は堅くこわばり、声はおろか、呼吸すらうまくできないような感覚に陥っていた。

「…それでも、人の命を勝手に奪っていいなんて事は認めんぞ…」

「はっ、じゃあ、あんたも俺みたいな生活してみろよ。そしたらわかるよ。人の命がどれだけ安いかなんて」

「命に値段なんてない!」「それはあんたが『幸せな人間』ていうカテゴリーに分類されてるからそう思えるだけだろ。ちゃんとした両親がいてきちんとした家庭って柱中の元、やりたいことできて育ってきた奴だから綺麗事いう余裕があるんだよ」


 マナトの言葉を聞いて、幼い頃の自分がフラッシュバックした。

 

 私の世界はいつだって灰色だった。どれだけ切望を重ねても手に入らないことだらけで、笑顔で通り過ぎる歳の近い子供を見るだけで羨ましさと腹立たしさで狂ってしまいそうだった。

 閉鎖的なアパートの室内で日々何度となく浴びせられる「あんたなんて産まなきゃよかった」って言葉や、顔や体に降り注ぐ痛みの恐怖は私という人間が生きていることを容赦なく否定し、人格をどんどん歪めていった。

 

 誰も助けてくれない。

 自分で自分を助ける術もない。それでもただ、耐えるしかない日々が続き……

 マナトだってそうだ。

父親が殺人者だということで社会から生きてることを否定され続けた。それでも頑張って生きようと耐えてもがいた。

 でも、耐え続けた結果は結局変わることがなくて…


『もしも、お互い、普通の家庭に産まれてたら…』

『叶わない「もしも」なんて哀しいだけだ…』


 生きる柱中を夢見ても、それを望むことすら諦めなければいけない中で育ってきた私達には、当たり前の生活が眩しくて、途方もなく果てしなく遠くて……。


 苦しさの中で互いが見つけた『小さな光』でさえ、きっとそれはまがい物なんだと心の底では思ってる自分もいて、それを認めるのが怖くて……。


 でも、でも……。


「マナト…、もういいよ……」

 私の震えてこわばる喉から言葉がこぼれた。


「もう…、苦しいはおしまいに…しよう」

 私の声に、マナトの体の力が緩んだ。

「これ以上、マナトが苦しいのは見たくないよ…」

 私は、マナトが私を抱える腕を両腕に包み、そっと撫でた。


「ミズ…ハ?」

 マナトは、戸惑いを隠せない表情をしているだろうと、その震えを帯びた声で理解できた。


「私達が産まれ育った境遇も、犯してしまったことも無しにはできない。でも、それでも……」

 マナトの体からどんどん力が抜けていき、私は首筋にあてられていたナイフによる拘束から解かれた。

 落としそうになるナイフを私は自らの手に持ち、茫然自失気味のマナトに私は向かい合い、


「マナトを愛しいと思える今、心から生きててよかったと思った…」

 私が伝えたい全身全霊の気持ちをマナトに放った。

「生きててよかったよ、マナト…」

 ぎこちない笑顔だけど、私は精一杯笑ってマナトを見つめた。

「ミズハ…」

 震えるマナトの瞳から、一筋、また一筋と涙が溢れ、頬を伝い落ちた。


 背中から数名、あわただしい足音が近づく。


「マナト、愛してる」


 私は、一言マナトに告げて、マナトの左胸にナイフを突き刺した。


 目を見開き息を詰めて私を見つめるマナトに、再度「愛してる…」と笑みを向けると、マナトの表情はふっと穏やかになり、瞬間――優しい笑みを浮かべて床に崩れ落ちた。


 捕まって裁かれてどうせ死刑台に昇らされるなら、私の手でマナトを生きる苦しみから解放してあげたかった。それが、彼に私にできる唯一の救いだと思った。


 結局私達はボニーとクライドにはなれなかった。

でも、そんなことは、始めからわかってたんだよ…。

 マイナスとマイナスをいくら合わせたって、プラスになはならないんだから。


  ◇ 


 

 その後、私はフルスモークの大きな黒い車に乗せられ、警察署から病院へと搬送された。

 連続殺人者に拉致されて、恐怖により精神に異常をきたしての突発的な行動――即ち、私がマナトの胸にナイフを刺したのは、私に責任がない『正統防衛』と判断されたのだ。


 いくら泣き喚いてそれが違うということを叫んでも、それは決して覆ることはなく、精神的な治療の為と、隔離された病院に幽閉されることになった私は、文字どおり『生きる屍』になった。


 時折訪れる、あの日マナトに投降を呼び掛けた警察官は私に何度となく「如月の分まで生きろ」と告げたけど、マナトのいない世界で私がひとりで生きる強さなんてあるわけがなく、私は口も心も全て閉じた。


 病院に幽閉されて、幾月が流れただろうか……。

 私の体にはある異変が起きていた。


 いつもにも増して酷い倦怠感と度々襲う吐き気。体がいつも微熱に侵されているようなだるさ……。


「まさ…か……」

 私は下腹部をそっと押さえて震えた。

「マナ…トぉ……」


 彼の屈託のない寂しい笑顔を思い出した。



 検査の結果、私は子供を身籠っていた。売春してた相手には神経質なくらい避妊していたから、間違いなくマナトの子供だ。

 

 当然の如く医者からこの先の選択を迫られた。

17歳で精神疾患者の私が子供を産んで育てていけるかどうか否か…。周りの結論は当然ノーだった。


 でも、たったひとりだけ「決めるのは自分で、決めたならどんなことがあっても貫き生きるのも自分だ」と言った人間がいた。それは、あの刑事だった。


「負の連鎖に立ち向かう強い意志が君にあるなら、君と、君の中に宿る命を精一杯支援する」 

 それがマナトへのせめてもの償いだと、哀しげに笑みを浮かべた。


 先の未来に不安がないわけじゃない。でも、不安より何より、私の中でマナトが生きている喜びの方が何十倍も大きなものだった。

 これから先、きっと辛いことが沢山待ち受けているに違いない。だけど、心持ち次第ではきっとそれだけではないことだって沢山あるはずだ。


 もう私はひとりぼっちじゃない。

 下腹部を撫でたら、とりとめなく涙がこぼれた…。



「一緒に生きていこうか…?」


 私は擦れた声でお腹に問いかけた。





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