high tone(後編)
午後の下り電車は、夏休みだというのに閑散として座りたい放題だ。
そりゃ、そうだ。遊ぶのはまだまだこれからという午後一時過ぎだもん。
みんな上り電車で出かけるに決まってる。
私だってあんなことがなかったら、今頃ヒロユキとファミレスでお昼して、その後カラオケ行って歌いまくって楽しく過ごしてたし……。
(歌、聞きたかったな…)
横長のシートの隅にぽつんと座り、移り変わり流れる車窓の景色をぼんやり見つめて、再度唇をかみしめた。
向かいのシートで新聞を広げて読んでる背広のオッサンがひとつ咳をした。
新聞を荒くめくる音がすごく耳障りでイラッとした。
賑やかなビルの生えた景色から、徐々に緑の割合が増えて流れ変わってゆく。 田舎とまではいかない、中途半端な町の景色が車窓に広がり、下車駅が近いことが嫌でもわかると、大きなため息がでた。
このまま終点まで乗って、時間をつぶそうかともちょっと思ったけど、目的もなくただぼんやりと電車に揺られるだけの退屈な時間の消費にはきっと耐えられない。
(ヒロユキ…、きっともう家に帰ってるよな…)
幅のひろい河に掛かる鉄橋を越えると、住宅の屋根が広がる。
その中にあるヒロユキの家の屋根に目を凝らす。
あっという間に車窓からそれは流れて消えて、やがて電車は高架を緩やかに下り、下車駅で停車した。
私は重い足取りで電車を降りて、プラットホームをから階段を上って、改札口のある出口へと歩いた。
俯きながら改札口の手前に設置されている自動販売機を横切ると、
「お前、遅えーよ…」
その声に私の体はビクンッと跳ねあがった、がしかし、
「……」
私は両拳をこれでもかというくらいギュッと握りしめ、声の主に気付かない振りをして歩く足を速めて改札口を目指した。
「…シカトかよ…」
嘆息してつぶやく声の主は、私の左手首を掴む。
「離して」
一言絞りだすのがやっとな私。情けなさと悔しさが一気に広がり心を締めあげて息苦しい。
「花歩、」
「…ヒロユキのその自分勝手なとこがずっと嫌だった」
私、何を言ってるんだろう…。
「いつだってヒロユキは何でもさっさと自分で決めて勝手に実行して、…強引で…。私の気持ちなんてお構い無しで…」
…違う。こんな事が言いたいんじゃなくて…。
「私にだって…、私にだってちゃんと自分の意思があるんだから!」
もう…、最悪だ。私。
終わったな……。
そう思った瞬間――私の両目からはバカみたいに涙が溢れた。
「…ごめん…」
私の手首を掴むヒロユキの手からすっと力が抜けて、繋がってた二人の手が離ればなれになった。
「本当に、…ごめん」
ヒロユキは私に頭を下げた。
「…初めてだったんだから…」
しゃくりあげて大声で泣きたい気持ちを噛み殺して、
「…ファーストキスだったんだからぁあっ!」
声を荒げて叫んで、睨んでやった。
「――!! マ、マジか…」 驚き上ずった声を発して私を凝視するヒロユキに、
「悪かったわね! 17にもなってキスもしたことなくて! これでも、そういう事、すごく大切にしてたんだからっ!」
私は更に声を荒げた。
「それなのに! いきなりあんな場所でっ! 公衆の面前で! いきな――」
「ごめんっ!」
ヒロユキの強い声と同時に、体が私より少し熱い温度に包まれた。
「浮かれて調子に乗った…。花歩に久しぶりに会えたから…、我慢できなかった…。本当、ごめん」
抱きしめられて動けない頭上から、弱々しい声が降注ぐ。それだけで私の体温は信じられないくらい急上昇していく。
「何で、何で…追いかけてきてくれなかったのよぉ…」
ヒロユキシャツの裾をギュッと握りしめ、私は再度声を絞りだす。
「…お前、走るの速いから…」
「サッカーやって毎日走ってるくせに…」
胸の中で泣きながら悪態づく私に、
「お前、イヤリング片方落としただろ…?」
「!!!」
私は顔をあげてヒロユキを見つめた。
「今日、お前、ずっとイヤリング触ってニコニコしてただろ? 結構大事なモノなのかなって…」
ヒロユキは、やんわりと照れ笑いしながら、
「人ごみん中で拾ってたら、お前の姿、見失っちまってさ…。携帯鳴らしてもメール飛ばしても返事ないし、走ってった方向が駅と逆だったから、先回りしてここで待ってた。ここなら改札口ひとつしかないからさ…」
ヒロユキは、私から少し離れると、ジーパンのポケットからイヤリングを取りだして私にかざした。
「……」
胸が詰まって声が出ない。イヤリングが戻ってきた安堵感と、ヒロユキがちゃんと私のことを見ていてくれた嬉しさとが入り交じって、思考回路がうまく回らなくなってしまったのだ。
全く私は単純で現金な女だ。
あんなにささくれだった心が今、いとも簡単に満たされてる。
イヤリングを胸に握りしめて、ただ泣くばかりの私に、
「…もう一度さ…デート、やり直そう」
ヒロユキは私の頭をそっと撫でて照れ臭そうに笑った。
「うんっ」
私は、涙を指で拭って顔を上げてヒロユキに向かい小さく笑った。
「花歩…」
つぶやいたヒロユキの視線がじっと私から離れない。
その視線で何となくヒロユキが何を望んでいるか察してしまった…。
ここなら、誰もいない。二人だけ…。
(ヤバイ、なんか超緊張してきたっ!)
…でも、今ならいいかな。だって、私とても大切に想われてたんだってわかったから。
半信半疑だったヒロユキへの気持ちは、今確信へと変わったから。
「……」
私は、顔をあげたままゆっくりと目を閉じた。
「……」
顔が近づく気配に少しだけ体が強ばる。プラス、心拍数が急上昇!
その時、
「あっれーっ! 花歩と野中じゃんっ♪」
「「!!!」」
改札口から聞き慣れた声に、慌てて目を見開く。
「ゆ、ゆゆ唯ちゃんっ!」 何だかひとりあたふたとしてしまってる私に、
「ほほぅ…、こんなとこでちゅうしてるなんて、おたくら結構なラブラブっぷりだねぇ~♪」
にやにやしながら唯ちゃんはヒロユキの背中をぺしゃりと叩いた。
「ち、ち、ちがっ!」
喋ればどんどん顔が熱くなりドツボな私…。
向かい合わせで若干赤面しつつ苦笑いするヒロユキ。
「野中ぁ、花歩を大事にしてやってよ。この子、すぐにイジケルから。あ、今日のことは内緒にしといてやるから♪ 花歩ぉ、今度ケーキおごってね♪」
くっくっと笑いながら、ヒラヒラと手を振り、駅の階段へ向かい軽やかに歩く唯ちゃん。
いや、だから、してないって! 寸止めだってば!
そう言おうとバタバタしてたら、ヒロユキはぷっと吹き出して、
「目撃者が河原で良かったし」
そうつぶやくと、けらけらと笑い出した。
「…本当だね」
私も何だか気が抜けて、笑いが込み上げてきた。
「さて、行くか」
ヒロユキは私の左手をそっと握った。
「うんっ! はっ! イヤリングっ、ちゃんとしまっとかなきゃっ!」
私はバッグのサイドポケットににイヤリングをしまった。
「それ、本当に大事なんだな…。誰かに貰ったとか…?」
ちょっと不安げな顔で尋ねるヒロユキに、
「実はね……」
私は、イヤリングについての経緯を話した。
「はははっ、そりゃあ焦るよな。なるほどね、お姉さんのだったのかぁ」
安堵混じりの笑みを浮かべたヒロユキに、
「心配…した?」
私は尋ねる。
「別にー」
楽しげに笑うヒロユキ。
「むぅ…」
「嘘だって、イジケルなよ。本当はちょっと心配した…」
照れ臭そうに少しうつむいて笑うヒロユキは、
「けど、花歩のお姉さん、ちょっと見てみたいな。なんか綺麗そうだし♪」
むうぅぅ…っ!
「ヒロユキのバカっ! もう知らないっ!」
私は、手を振り払い、声高に叫んで階段を掛け降りた。
「ちょ、冗談だって!」
笑いを含めたヒロユキの焦り声と、小走りで近づく足音をきいて私はペロッと小さく舌を出して笑った。




