high tone(前編)
うだるような暑さは、処暑を過ぎても収まることを知らずに、容赦なく私の体内から水分を奪っていく。
エルニーニョだか、ラニーニャだかわかんない現象やら、地球温暖化の影響なんだとか私にはよくわからないけど、そんなことよりも早くエアコンガンガンで涼しいファミレスにでも駆け込んで体を冷やしたい。
はっきり言ってこんな夏休みの昼下がりの、激アツコンクリートの街をひとりぼっちで彷徨う自分がイタい…、イタすぎる……。
(全く! 最悪だよ!)
このくそ暑い中、さも幸せそうに手を繋ぎ歩くバカップルとすれ違い、心の中で、何回「死ね」ってつぶやいたかな?
答えは、カウントしきれないくらいだよっ!
(もうダメだ……。心がボッキリ折れた)
暑さと、腹立たしさと、悲しさで足がふらついた。何だか地面がぐにゃぐにゃと揺らいで見える。
(何で…。何で私がこんな目にあわなきゃいけないんだよ……)
『自業自得』だよって幻聴が頭に響いた…。
(自業自得……)
幻聴に言い返す気力もない。だって、本当のことだもん。
うなだれてふらついた足をとぼとぼと動かしていたら、目の前にハンバーガーショップ発見。
悲しみに暮れていても、私の足は迷うことなく涼と水分と休息を求めて、吸い寄せられるようにそこに入っていくのであった。
◇
「ふひゅ~っ! 生き返ったぁぁ~っ!」
ラージサイズのコーラを3分の1程一気に飲み、涼しい店内の端っこのテーブル席で煮えそうだった体をクールダウンさせると、安堵感に包まれて悲しさバロメーターが一気にハイからロウへと下がる。
我ながら現金というか何というか…。そう思うと顔が知らず知らずにニヤニヤと緩む。
(しかし、マジでヤバイよなぁ…)
ストローでフタのついたコーラの紙コップをガシガシと突いて、自分の身にふりかかった残酷な現実と、決して故意ではないけど、犯してしまった失態と、これから間違いなく訪れるであろう絶対的な身の危険をどう回避すべきかを考える。
(…全てあいつのせいだ)
憎き男の顔を思い浮かべると、テーブルをひっくり返してうがぁあーっ! て暴れたくなる。
(あいつと会うなんてバカなことしなきゃ…。私はこんなクソ暑い中、外を歩き回るなんて自殺行為は絶対にしなかったし…)
胸がぎゅうぎゅうと締め付けられるみたいに痛い。それなのに、私の心臓はまるで坂道をかけのぼるかのように、ドクドクと急激に脈動を速めていく。
そうなると数十分前の出来事を嫌でも回想してしまう。
(死ね……。ヒロアキ…)
速まる心臓と反する言葉を心の中でつぶやいて、私はひんやりとしたテーブルに突っ伏して目を閉じた。
◇
「夏休みももうすぐ終わるだろ? その前に一つ思い出作りといこうか?」
憎き男――彼氏のヒロアキから電話でそう言われたのは、昨日の夜のことだった。
付き合ってもうすぐ三ヶ月になる同い年のヒロアキだけど、行き当たりばったりの無計画さと、結構強引な性格がちょっと苦手だって最近思うようになってた。
今回だって、夏休みは部活忙しいからって散々私を放置したくせに、いきなり明日思い出作りしようぜって…。私の予定とかは考えなしかよ! ってイラっとしたけど、生憎毎日暇な私には断る理由はなくて。
「じゃあ明日、いつもの駅で待ち合わせな」ってことになったのだ。
私は次の日の準備の為に入念に洋服選びに取り掛かる。だって、まともなデートなんて付き合って今回が二回目なんだもん。
そりゃ、女の子ですものっ! 俄然気合いも入るってもんよ!
「花歩、めっちゃかわいい! 惚れ直したよ! とか言われたいっ!!」
たんすを引っ掻き回して、ベッドの上にポイポイと放り投げ、降り積もった洋服の山の中から悩みに悩んで翌日の服を選び、小さな鏡台の前に座り、髪型はアップにしようかな? とか思いつき、引き出しを開けて耳と首元を飾るアクセサリーをチョイスする……けど、何だかイマイチなモノばかりで。
そんな時、ふと頭を過ったのは、お姉ちゃんのイヤリングだった。
「マキねぇのあのイヤリング…」
私は以前お姉ちゃんが彼氏から貰ったって私に見せびらかした、高そうな有名ブランドのイヤリングがどうしてもつけたくなった。
「マキねぇ…。明日まで出張で帰ってこないんだよね……」
私は自室から出て、マキねぇの部屋へ忍びこみ、鏡台の上のジュエルケースから「ちょっとだけ、借りるね♪」と勝手に拝借したのだ。
姉は幼少から大学まで空手をやっていた体育会系だ。
無断使用がばれたら、きっと命はないだろう…。
でも、そんな恐怖よりも女としての高価な光り物への欲と、少しでも彼氏に綺麗に見られたいというちゃっちいプライドが勝ってしまったのだ。
バレなきゃオッケー。
そんな気楽な気持ちで、私はお姉ちゃんのイヤリングを勝手に持ち出した。
◇
翌日普段ではあり得ないくらいの時間の、午前六時に飛び起きて、シャワーから始まり、ヘアスタイルやメイクや着替えと入念に時間をかけて、私はお姉ちゃんから拝借したイヤリングをつけて、ウキウキ気分で待ち合わせ場所の駅へと向かった。
待ち合わせの十時の十五分前に駅につき、ヒロアキが着く前に鏡を覗く。
「うん♪ ばっちり。抜かりなし」
駅横の木陰で、耳にキラリと光る白金のリング状のイヤリングを指先で揺らしてニヤニヤと頬を緩ます。 頭の中は勿論、乙女的妄想に満ちあふれていることは言うまでもなく、待ってる間に何度となく鏡を覗きニヤニヤを繰り返していた。
「悪い、待たせた!」
息を切らして駆けよるヒロアキを見て、ドキッとしてしまったのは不覚にも私の方だった。
夏休みの間は、ほとんど電話やメールだけでヒロアキを近くで見たのは本当に久しぶりだった。
毎日の部活で前より更に日にやけた肌に、シンプルなコットンのTシャツ、ジーパンと履き慣らしたスニーカーと、全然お洒落な感じがしない格好なのに、何だか驚くくらいイイ男に見えた。
(きっと夏のせいだな。うん…)
「久しぶりだね」
一言喉からひねり出すと、何だか今にも泣き出しそうな自分に気づいて、あわてて俯いた。
「ごめんな、花歩。毎日部活、部活で中々……」
「いいんだよ。ヒロアキがサッカー大好きだってわかってて私、ヒロアキの彼女になったんだから」
私は顔を上げてにかっと笑った。
…こんな自分が嫌になる。ヒロアキの顔を見ただけで、私は手のひらを返したようにいい子ぶっちゃうんだもん…。
「花歩、何か…、その…」 私を見て照れ笑いを浮かべて、ヒロアキは、
『今日、なんか、すげー…、かわいいな』
私が待ち望んでいた言葉をくれた。
…そーとー浮かれてたな。バカ丸出し。
きっと猫型ロボみたいに数センチ浮いてたよな…、と今になって思い返すと恥ずかしくて悶えたくなる気分だ。
それから電車に乗り、前から行きたいって何度も言ってた、この辺りではちょっと有名な科学館の中にあるプラネタリウムを見に行って、昼に輝く星の世界を二人で見上げた。
私の左手には、ヒロアキのあったかい右手が繋がってて、ちょっと寒いくらいに空調のきつい館内にすら感謝したくなった。
(このまま時間が止まったらな…)
そんなこと考えて、ちらっと左側を見たら、ヒロアキも私を見て小さく笑ってた。
幸せに満たされた気持ちで、私達はプラネタリウムから出て、昼食をとる為に近くのファミレスへと進路を取った。
科学館から出る間際、ヒロアキは急に立ち止まり、私に体を向けた。
「……?」
私も立ち止まり、どうしたのかな? と、ヒロアキを見上げた、その時――
いきなりヒロアキの顔が近づいてきたのだ。
瞬時、なにが起きたか…私にはわけがわからず、ただ、唇に重なる私とは別の温度と、むにゅっと柔らかな感触にフリーズすること2秒ないくらいの後に、
「――っっ!!」
予告ナシの人まえでのキスに、私は驚きで頭が真っ白になり…。
ヒロアキの頬に平手打ちを一発入れてダッシュで逃げてしまったというわけだ……。
どれだけ走ったかわからない。ただ、ただ、突然襲われた恥ずかしさとわけの解らない悔しさが収まるまで、私はひたすら走って、走って…。
本当、馬鹿みたいでしょ?
あのね、私ね、十七歳にもなって実はファーストキス、まだだったんだよね…。
憧れてたシチュエーションだってあったり、結構そういうこと、大切に思ってたりした……。
それなのに、ファーストキスが公衆の面前でいきなりだなんて!
「最悪……」
何だか、もうわけがわかんなくなって、私は立ち止まり、しゃがみこんで声を殺して泣いた。
でも、数秒したら暑くてふらふらしたから立ち上がり、ゆっくりとあてもなく歩き出した。
悲しいことにヒロアキは、私を追いかけてきてくれなかった。
(当たり前か…)
向こうには全然悪気なんてないのはわかってる。
悪いのは私だ。突き放してビンタまでしちゃったんだから、きっともう……。
そして、少し歩いて、更に最悪な事態に見舞われたことに気づいた。
「イ、イヤリングが…、片方な…い……」
夏の暑く、まぶしい日射しの中、私の体感温度だけが一気に氷点下になったような気がした……。
◇
(もう……、最悪だ。今すぐ滅びろ地球)
テーブルに突っ伏したまま、大きなため息を落としたら、何だか両目がチクチクと痛くなった。
全部自業自得。
はいはい、全部私が悪いんだよ。
たかがキスくらいで馬鹿みたいにテンパる私が悪いし、お姉ちゃんの大事なイヤリングを勝手に持ち出して失くしてしまったのも私が悪いんでしょ!
「……」
バッグからハンカチを出して両目をぬぐい、顔を上げて再度コーラに刺さるストローをくわえて喉を潤した。
(そう言えば、昼ご飯、まだだった)
お腹が空いた。でも、しこたま泣いたから恥ずかしくてオーダーをするカウンターに行けないや。
私は鏡を取出して、メイクを直す。目が真っ赤でみっともなくて落ち込んだ。
(もういいや…殺される覚悟で家に帰ろう)
かなりどうでも良くなった。自業自得で自暴自棄。本当に最悪だ…。
氷で薄くなった残りのコーラを飲み干して、私はトレイを持ち、席を立って歩き出した。
◇
店から出ると、忌々しい太陽は相変わらずギラギラと輝き、その熱波は和らぐことがなく、降り注ぐ日射しが肌をチクチクと刺すように痛い。
自宅最寄駅まではここからあと二駅ほどの距離。私は駅へと続く地下へ伸びる階段を降りた。
直射日光を浴びるよりはまだましだけど、生ぬるくて駅特有の変な匂いがする連絡通路は慣れることなくいちでも不快だ。
いや、何より不快なのは、私以外の通行人が全て幸せそうに見えることだ。
たのしそうにイチャつくカップルや、ベビーカーを押してあるくヤンママや、携帯の画面を見つめながら無表情で颯爽と歩くスーツ姿のサラリーマンに、のんびり歩くじいさんばあさん。
人、人、人。
たくさん人がいるのに、私が一番望む人はここにいないわけで。
「ふんっ! 冗談じゃない。誰があんな奴望むかってーのっ!」
ひとり悪態ついて鼻を鳴らしたら、再度両目が熱を帯びてチクチクと痛んだ。
私は唇を噛みしめて込み上げる気持ちを飲み下して歩く足を速めた。




