STYLE(後編)
日曜日の昼間だというのにも関わらず、家には僕以外の家族は誰もいなくて、昼ご飯さえ準備されていない。
まあ、僕は学生とはいえ20歳で成人した大人のカテゴリーにはまるわけだから、母には「ネグレクト反対」を唱えるつもりは毛頭ないが。
ちなみに母は今第2の青春を謳歌すべく、若手韓流アイドルグループの追っかけをしているので土日はほとんど家にはいない。
母は由里姉がそのまま30ほど歳をとった感じの人である。賑やかに女子オーラを振りまき、フットワークが軽くて、生き方も当然の如く軽やかだ。
父はというと、あと片手ほどの年数で定年を迎える歳で、何十年と続けているサラリーマン生活で得た長い付き合いの仲間との思い出作りに勤しんでいる。つまりは会社の人と早朝からゴルフに出掛けていて、夕飯も外でというわけだ。
父も父でどこかふわふわとしている人だ。僕以外は皆気楽な浮遊人ばかりである。
家族が揃ってそんなのばかりだから僕くらいは地面に足をつけ落ち着いていなければと必然的に思い生活しているのである。
僕は、キッチンに立ち、薬味用のネギを刻み素麺をゆでて、ダイニングテーブルでひとり静かなランチタイムを満喫する。
「落ち着くなぁ…」
心地よい静けさの中、聞こえるのは自らが啜る素麺の音のみ。まさに最高の休日だ。
専門学校を卒業して仕事を始めたら僕はこの家から出るつもりだ。
家族は決して嫌いじゃないし、住み慣れた我が家にも愛着はたっぷりある。
だけど、自分で働いて自立して誰にも邪魔されることのない自分だけの住みかを築きたいと思っているのだ。
ふとキッチンの小窓から外を見る。
「何だか雲行きが怪しいな…。こりゃあ一雨きそうだぞ」
僕は椅子から立ち上がり、洗濯物と干していた掛け布団を取り込む為に2階へと駆け上がった。
◇
洗濯物を取り込むと程なくして、雨音が響き渡る。「由里姉…傘持って行ってないよな」
ふとそう思ったが、一ノ瀬さんと一緒にいるんだから、別に問題はないだろう。確か今日は映画に行くって言ってたしな…。帰りは一ノ瀬さんが車で送ってくれるだろうし。
僕は黙々と洗濯物をたたみ終えて、ふと空を見上げた。
「結構降ってるな…」
立ち上がり、由里姉の部屋へ入り、開け放たれていた窓を閉めて、中断したランチの続きの為に1階へと戻った。
階段を降りる途中、僕のジーンズのポケットの中の携帯が鳴動した。着メロは「くるみ割り人形」…由里姉だ……。
当然嫌な予感の僕である。携帯を開き「もしもし?」と問いかけると、
『カケルちゃぁぁぁん…』
電話の向こうの由里姉は、情けない鳴き声をあげた。バックに雨音がする。どうやら屋外にいるみたいだ。
「由里姉…」
『新さんとぉ…、けんか、しちゃ…っ――』
声を詰まらせてしゃくりあげる由里姉に、
「今、どこ? …迎えに行くから」
結局こうなんだよな…。僕の『位置』ってやつはさ。
まったく世話の妬ける姉だがしかし、放置はできないのだ。この自分の性質がちょっと憎いと思うことしばしである…。
僕は由里姉のいる場所を聞いて携帯を切った。
「一ノ瀬さんに電話…、入れるかな」
喧嘩の理由はわからないけど、きっとまた由里姉が一ノ瀬さんにわがままを言ってひとりで勝手に怒って突っ走ったんだろうと思ってる。
だって、僕は一ノ瀬さんに何度も会ってるけど、いまだに一ノ瀬さんの不機嫌そうな顔を見たことがないから。
いつもバタバタと騒がしいのは由里姉だけで、一ノ瀬さんはいつも穏和な笑みで由里姉を見つめている『大人の男』だ。
由里姉と2つしか歳が違わないのに、とてもしっかりしてるしね。あんないい人、中々いない。だから、由里姉の低いほうでの年齢不詳な浮遊感を間近で見ている僕は、ついつい心配になるのだ。
恋愛のノウハウなんて正直僕にはわからないし、たいして興味がない。
だけど、由里姉には近い将来幸せになってもらいたいってことはやっぱり考えてるわけで。じゃなきゃ、わざわざメイクやコーデや説教なんか面倒だからしないと思う。
僕は携帯を開き、一ノ瀬さんに事情を聞く為に電話をした。
◇
先刻より少し弱まった雨の中、僕は由里姉のいる最寄駅の隣のコンビニへと歩いた。狭い軒下にうつむいたまま立っている由里姉は、いつもよりうんと小さくみえるくらい萎れていた。
「全く…。どうしてこうも世話が妬けるんだろうね」 僕は、由里姉に傘を差し出して小さくため息を落とした。
「…カケルちゃぁん…」
僕の姿を見つけると、情けない声をあげてしがみついて泣き声をあげる由里姉…。本当にどっちが年上なんだか、一瞬だけどこっちまで感覚が狂いそうになる。
「由里姉、一ノ瀬さんが心配してるよ…」
「……」
返事がなくても、顔が見えなくてもわかる。
今、由里姉の呼吸が小さく止まったから。きっと口を尖らせて膨れっ面して怒ってるだろう。
「甘えること、全てが悪いなんて僕は思わないし、言わない」
由里姉の頭を見つめて、僕はなるべく声色を穏やかにして話そうと努めた。
「自分自身をナチュラルに相手に曝け出すことができるのは、きっと、そこに信頼があるから。でもさ、」 僕は、一呼吸置き、
「信頼って、一方通行じゃ成立しないと思うよ。今日の一ノ瀬さんとの出来事をよく思い出してごらんよ」
由里姉に、今日の記憶をゆっくりと辿らせる。
「まず、一ノ瀬さんと会って」
僕が促すと、
「映画に行く予定だったけど、時間に間に合わなくて…」
由里姉はぽつりとつぶやいた。
「一ノ瀬さん、怒ってた?」
「…ううん…、怒ってない。でも、新さんいつもとちょっと様子がおかしくて…」
小さく首を横に揺らす由里姉に、
「それから? 映画やめて? どこへ?」
「落ち着いて静かに二人になれる場所に行こうって…。たまには科学館でプラネタリウムでも見ないかって…」
「で?」
僕は由里姉に一言問いかけた。
「…プラネタリウムなんて嫌だって…、私が言った。だって…、だって! 新さん、何か変だったんだもん! すごく難しい顔して、口数だっていつもよりもっともっと少なくて、笑顔も何かギクシャクしてて…」
由里姉は不安そうな顔で僕を見上げて言葉を詰まらせた。
「…別れ話、されると思って……」
由里姉は、絞りだすような声を発した後に、再度ポロポロと泣き出した。
「…バカだよ。本当に由里姉は単純バカだ」
やれやれとため息をついたら、何だか小さく笑いが込み上げてきた。
「由里姉、一ノ瀬さんが好きなモノって何だっけ?」
僕は由里姉に尋ねた。
「……」
黙って俯き考えこむ様子を見て、
「一ノ瀬さんてさ、小さい頃から天体観測が好きだって話してたじゃん」
僕は由里姉の記憶の引き出しを開けてやった。
すると、はっとして顔をあげて、
「新さん、『星が好きだ』って言ってた」
「でしょ? 由里姉、別れ話をするのに、普通自分が好きな場所って選ぶと思う?」
僕の言葉に、今度は先刻より少し強く首を横に振った。
「一ノ瀬さんは、確かに口数は少ないけどさ、由里姉をすごく大切に思ってる。いつも笑顔の一ノ瀬さんが何故ぎこちなかったり、更に無口になるか。わからないのは、由里姉が悪いよ」
「……」
黙り込んでるけど、僕はお構い無しで言葉を続けた。
「世の中に『絶対』なんてない。そう由里姉が信じてるのは構わないけどさ、そこにはちゃんと見なきゃいけない、見逃しちゃいけない何かってあると思うよ」
自分中心の世界になり過ぎて、相手のささやかだけど、とても重大なことを見落とすことがないとは断言できない。
恋愛だけに限らず、人と人が繋がるってそういう事だと僕は思ってる。
僕は人の髪や肌に触れる時には、なるべく相手の心を読みとることを努める。カットやメイクは決してテクニックだけじゃない。それだけでは、決して人は綺麗にはならないからだ。
相手の願望、要望を中心に、相手が最も輝く手段を僕は僕の持てる力で応える。決して技術に溺れないように。
扱う相手は、ちゃんと心のある『生身の人間』なんだから。
一方通行はいかに愚かかって、僕は僕なりに経験して、失敗だって沢山してきたつもりだ。
由里姉は本当に鈍感だ。いつも楽しいばかりを求め、与えられ、ずっと生きてきたからそれが当たり前だって思ってる部分がある。
一ノ瀬さんにだってそうだ。与えられることを当たり前だと思って、相手をきちんと知り、見つめることを愚かにしていたと思う。
誰によって『楽しい』や『幸せ』で輝くことができているのか。
僕のメイクやコーデだけじゃない。
「一ノ瀬さんが由里姉に何を伝えたいのか、しっかりとそれを由里姉は聞いてあげなきゃいけない」
僕は少しだけ語気を強めて由里姉に諭した。
「別れ話じゃないなら、……一体何なのよぅ…」
俯きモゴモゴと話す由里姉に、
「そんなの、一ノ瀬さんに直接聞いてください」
ヒントなんか絶対にやらない。一ノ瀬さんのあんな『大切な決断』に気付かない由里姉が悪いんだから。
「一ノ瀬さん、プラネタリウムで待ってるからって言ってたよ」
「!!!」
はっとして顔を上げる由里姉に、
「すぐにメイク直すから。急いで一ノ瀬さんのところへ行くんだよ」
どうせ一ノ瀬さんに会ったらまた、メイクなんてすぐに意味を持たなくなるだろうけどね。
僕は心の中で苦笑いして、この先由里姉に待ち受ける一ノ瀬さんの緊張したぎこちない笑顔と、由里姉の『とびきりの幸せな泣き顔』を思い浮かべた。
由里姉の晴れの日のメイクやヘアメイクは、僕が由里姉にしてやれる最初で最後の大仕事になるだろう。
まだどれだけ先かはわからないけど、いつか近い未来に訪れる姉という家族との別れ。
それまでに由里姉が僕からひとり立ちする事と、僕は姉の幸せな輝きを引き出せるための技術を磨こうと思う。
それが、僕が由里姉の弟としてできる、精一杯の応援だと思ってるから。
「プラネタリウムでプロポーズなんて…、僕には絶対無理だな。一ノ瀬さんて結構ロマンチストだね」
僕は駅へ駆け出す由里姉の背中を見つめながら、小さく苦笑した。




