相変わらずな二人
バックミラーにぶら下がる、野球のボールを抱えたヌイグルミが小さく揺れている様子を、数秒見つめて思う。
(全くやれやれだね…)
昨日夜遅くまで雨が降ったせいだろうか、フロントガラスにゆったりと広がる、車が走る気配のない早朝の景色は、曇り空ではあるが、とても澄みきっている。
その静かで穏やかな風景は、スライドを思いおこさせるような美しさではあるが…しかし私は今、美しいものを見て、感動に浸る心の余裕があるわけじゃなく……
ただ、見つめる。
そんな心境。
カーステレオから流れるラジオ放送からは、静かでのんびりとした歌詞のない曲が流れている。
「たまにはラジオもいいもんだろ?」
と運転席で彼は小さく笑って私に問い掛けた。
「…まあね…。」
と私も小さく笑った。
車は、木造の古い町並みが密集する細い旧道を南へ下る。
私達の向かう目的地である海へと向けて。
と言うのも、昨夜遅くにいきなり電話で、『明日釣りにいくぞ』と、強引極まりない友人の迷惑行為に、あまり乗り気ではないが、半ば仕方なくと言う感じで今に至るわけなのである…。
「しかし、お前とはほんとに長い付き合いだよなぁ…。」
彼はバックミラー越しに私をちらりとみてため息笑いを零す。
「そうだねぇ…、中学の頃からだから…もう15年近いね、私達が友達なのは。」
そう言って私は、運転席の彼に笑いかける。
そう、私と彼は付き合いの長い仲の良い友人。
「お互い歳食ったよなぁ…」
「私は昔と変わらないし…♪あんたがオッサンになっただけでしょ?」
私は、はんっ♪と鼻を鳴らして笑った。
「お前が変わらないのは、その口の悪さと訳のわからん前向きさだけだねぇ〜……」
彼も負けじと鼻をならして笑う。
「うるさいなぁ…。
大体さぁ、あんた、釣りってのが意味わかんないよ。普通女を誘うか?釣りに…しかもこんな訳わからん時間に早起きさせてさぁ…。」
現在の時刻は6時前。
車が走り出して30分程の時間を考えると、実に迷惑な時間からの活動である。
曇り空だから車内から朝焼けなんて美しいものも眺める事もできないし。
全く…やれやれである。
「どうせ暇してんだろ?」
「マジ殴るよ……」
「運転中はやめろ、こんな細い道で事故ったら洒落にならんし。」
とか言いつつ、ハンドルを左右に動かし数秒だが蛇行運転をする。
「馬鹿っ!やめてよ!あんたとは心中したくないしっ!」
私は軽ーく彼の左腕を叩いた。
「いってぇ……ちょっとお茶目さを出しただけだろうが。」
「そんな茶目っ気はいらんっ!もう若くないんだから無茶するなっ!」
「…お前も同い歳じゃん………。」
彼はやれやれと笑った。
:::
車はさらに南へ1時間程走り、目的地の手前にあるコンビニへと入る。
彼はそこで適当にお握りや飲み物やお菓子やらをカゴにほうり込んでいく。
「あ〜あ、ビール飲みてぇ……。」
彼は苦笑いする。
「飲めばいいじゃん、帰り運転するし。」
「いや、酒好きのお前の前でひとりで飲む勇気はないな。それにお前が運転したら俺が家まで帰るのに誰が運転するんだ?」
「家まで運転してくよ。そっから電車で帰るし。」
「そんな面倒くさい事しんでいいよ。別に酒飲まんでも死なんし。誰かさんと違ってアル中じゃねーし♪」
彼は笑う。
「…誰がアル中だ…あほか……。よし、ムカついたから食べきれない程おにぎり買わせたろ。しかも高いやつばっかり。」
私はおにぎりを手にしてニヤリと笑って彼を見た。
「ちょ、やめて、マジ勘弁して…って、ええぇ〜っ!俺のおごりぃ?」
彼はけらけらとひとり笑う。
「当たり前じゃん。あんたの趣味に付き合ってあげてるんだから♪しかも釣りって超安上がりだし、コンビニでお昼済ませられるこっちの身にもなれっての。これが彼女なら即アウトだよね。」
私もつられて笑って言った。
「んー、大丈夫、大丈夫っ♪お前は俺ん中じゃ、『野郎』だから♪」
にっこりと笑う彼にちょっと殺意を抱いた……。
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目的地につき、
「漁港て渋すぎるよね……。」
私はため息笑いを彼に向ける。
「いいじゃん、岩場と違って根がかりしにくいし、足場も安全だし、トイレも自販機も近いし♪ここ、結構釣れるんだぞ。」
彼はうきうきしながら釣り竿を準備し始める。
私はキャンプ用の折りたたみ椅子を2脚広げ、腰を下ろし、漁港内の灰色がかった空と海を見つめた。
(あ〜あ…、なんか憂鬱さを払拭できない…。)
私はぽんやりと海を眺めながら心の中でつぶやいた。
彼氏と別れた数日前を思い出す……。
傷つけたのに、最後まで私を気遣い優しい言葉で別れてくれた元彼…。
(ほんとは私が悪いのに…逆に謝られちゃったし……)
罪悪感が抜けない。
元彼の優しさがいつまでも心に刺のように引っ掛かり、あれこれいらない事を考えてしまう……。
(いっその事、思いっきり傷つけてくれたらよかったのに…。別れる相手にありがとうなんて言うか?普通………)
ため息をひとつつくと、視界がちょっとだけ揺らいだ。
その時、
にゅっ……と私の目の前に、にょろにょろっとしたあの魚の餌…『石ゴカイ』という名のグロい物体が、ぶらーんとっ!!!
「ぎゃぁあっ!キモいっ!最悪っっ!」
私は椅子を倒して数メートル逃走した。
「あっははっ♪超逃げ足速え〜っ♪♪」
数メートル先で腹を抱えてむかつく笑い声を上げる彼をキッと睨んで
「あんた馬鹿じゃないのっ!いい加減にしてよ!次やったらマジで帰るからねっ!」
怒声を浴びせた。
「お前だっていい加減にしろだよ。せっか外にいるのに腐った顔してぼけーっとしてよー。」
彼は笑いながらも痛いところをついてくる。
「………」
沈黙すり私に
「ほんっとお前の悪い癖だよ。別れたんならすぱっと忘れろ。あほなんだから。」
そう言って私に仕掛けを終えた釣り竿を差し出した。
「…あほは余計だし。」
ちょっとだけ俯いて、私は釣り竿を受け取った。
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のんびりと開けた空間にいると、時間の感覚がちょっといつもとは違って感じる。
椅子に二人並んで座り、ぼけーっと海に釣り糸を垂らす。
「やっぱり釣りは曇りの日に限るなぁ。」
湿り気を帯びた生温い海風に吹かれながら、彼は笑う。
「ねえ…」
「んー?」
「やっぱさぁ、この歳になると、恋愛だけじゃなくて、結婚しなきゃダメなのかなぁ……。」
私はぽつりと彼に尋ねた。
「んー、まあなぁ…、女は出産ってゆうのがついてまわるからなぁ。」
彼は缶コーヒーを一口飲みつぶやいた。
「……やだよねぇ…女ってさぁ…。」
私も缶コーヒーを一口飲みため息をこぼした。
「男も結構大変だぞ。最近の女は強いからなぁ…大和撫子何処へ??って感じじゃん。」
彼もため息をつく。
「はは、ほんとだわ。おとなしくて可愛いい子って希少価値高いよね。そんな希少価値の高い子にフラれた誰かさんは、ほんとに気の毒だね。」
「ははは、うるせーよ。ってか、俺が振ったんだよ。あいつ結構見かけによらずキツイ女だったし。」
あいつと言うのは、数ヶ月前に破局した元カノの事である。
「へぇー、可愛いらしいし、物腰柔かかったから、そんな感じしなかったのに。」
「俺も見た目に騙された。あいつさ、スゲー束縛心強いから正直うっとーしかった。人の携帯とか勝手にチェックするし。お前の事もスゲー警戒してたんだぞ。ま、お前とのメール見られたってなんのこっちゃないけど。」
彼は、はははっと笑う。
「付き合ってヤッちゃうと豹変する奴って正直引くし。もうこいつは私のものだってモロ態度に出されると、キツイわ。」
「あんたが女と長続きしない理由って昔から変わらないよね。」
「おう。俺やだもん、性格ゴロっと変わる奴。性格悪きゃあ最初っから悪いまんまで接して欲しいよ。お前みたいにな。」
あははっと笑って竿を微妙に動かし、リールを少し巻いた。
「いや、あんたも中々イイ線いってるよ。」
私も真似て、少しリールを巻いた。
「まあ、あれだ、あれ。どうせ付き合うなら、自然と一緒にいられる子がいいわ。若くて可愛いくて、オッパイデカイなら尚よしだ♪」
「そんな奴…いねーよ。ってか、鏡見てからもの言ってくれないかなぁ」
「馬鹿だなぁ、俺結構モテるんだぞ♪バレンタインとかチョコめっちゃ貰うし。」
やれやれとため息をつく。
「…どうせ会社のパートさんとかくだらないオチでしょ…?」
「……そうゆう悲しい事ズバッと言うなよ…。」
彼は苦笑いしてため息をついた。
「そう言えば、なおちゃん今度みつるの実家に一緒に行くんだって?」
彼は不意に私に尋ねる。
「うん。もう結婚秒読みだよ。まあ、あの二人はすでに一緒に住んでるから、遅かれ早かれゴールするってわかってたし。」
なおちゃんとみつる君とは、私の親友とその彼である。
一年の同棲生活を経て、来月、みつる君の実家に旅行がてら結婚すると報告しにいくのだ。
「なおちゃんは今まで色々大変だった分、うんと幸せにならなきゃ…。」
私はうんうんと頷いた。
「…お前はまた…人の心配ばっかりして。」
「なおちゃんは特別だよ。あの子はほんと今まで苦労してきたから。」
私は灰色に滲む水平線を見つめて笑った。
「…お前も以外と苦労性。あと、馬鹿がつく程お節介だ。別れた男の事でぐちぐちと悩んで…。俺にもその3分の1でいいから気ぃ使え。」
全く……と言いた気な顔で彼は笑う。
「いや、めっちゃ気ぃ使ってるじゃん…。今日だってこうして付き合ってやってるし。」
「随分上から目線の気遣いだな、馬鹿野郎。」
彼はけらけらと笑って
「ってか、お前、さっきから引いてんぞ。」
彼は私の竿を指差す。
「マジっ?」
私は慌ててリールを巻いた。
数秒後、姿を現したのは、なんとも可愛いらしいハゼだった。
「ぷーっ!よかったなぁ♪いいの釣れたじゃん。」
彼は手を軽くパンパンと叩きますます笑う。
「……逃がすから、はずして。」
「はいはい。」
彼はハゼから針を外し、海へと放した。それから、餌をつけ直してくれた。
「ちょっと、俺もそろそろあげてみよ♪」
彼はリールをゆっくりと巻きながら、当たりを確かめる。
「お、重い♪なんか釣れてる。」
若干声のトーンを上げ、ワクワクしながらリールを巻いていく。
私はじっと彼な竿を見つめた。
「………」
「………」
リールからテグスを巻く音が軽快に響く。
海底から海面へテグスが引き寄せられ、表面に波紋が広がる。
じっと海面を見つめる二人の目に飛び込んできたのは、
「ぶっ…♪ヒトデじゃん…♪」
私は思わず吹き出した。
「…そりゃ、抵抗なく巻けるはずだわ。」
彼はけらけらと笑った。
::::
「結局朝から夕方まで粘ってボウズか…。」
彼は竿をしまいながらやれやれと笑う。
「いや、釣れたじゃん、ヒトデ♪」
私はおどけて笑いながら椅子をたたんだ。
「お前もな、5センチくらいのハゼ♪」
「私のほうがましだね。大きさはともかくとして、ちゃんと魚釣ったし♪」
「…なんか腹たつな………その言い方。」
彼はちょっと拗ねながら笑った。
「あー、結構楽しかった♪」
私は体を少し伸ばし、海風を胸いっぱい吸い込んだ。気分も驚く程すっきりしていた。
「今度はもうちょっと遠出するか?なおちゃん達も誘ってさ。」
「おー、いいねぇ♪」
私は笑って椅子を車に運んだ。
彼は道具を運び、トランクに詰めると、
「ようやく浮いてきたな……。」
私の頭をぺしっと叩いた。
「……すまんね…、気ぃ遣わせて…。」
私は小さく笑った。
「いいよ、別に。今度またお前ん家での飲み会に誘ってくれれば。」
「そんくらいならいつでも誘うよ。みつる君喜ぶし。」
私は笑みを返した。
「さてと、帰るか。」
私達は車に乗り込んだ。
のんびりとした一日。
悔しいがまた友人に助けられた、感謝すべき日となったのであった。




