雨のち、ところにより晴れ
世の中はなんて不公平なんだろう…。
美人は何かにつけて絶対に得で、ブスは存在するだけで沢山の苦労が待ち受けている。
美人はなんの苦労もせずに、幸せがごく当たり前のように降ってくるけど、ブスは小さな幸せすらを掴みとるのもとてつもなく大変なのだ。
「はぁ…、どうしてもっと綺麗に生まれてこれなかったんだろう…」
鏡の中の制服姿の私。
辛気臭い顔。
腫れぼったい一重瞼。
肌も唇も血色が悪くて青白い。目の下がまたスゴイ『くま』だ……。
髪は黒くてストレート。でも、多くてごわごわして針金みたいに硬い。
三つ編おさげにしたら、以前クラスの女子に「しめ繩」ってあだ名つけられて指をさされて笑われた。それ以来、髪はいつも下ろしている。
顔を出すのが嫌だから、髪をバッサリと切る勇気もなくて…。
ずっと肩甲骨の少し下くらいの長さのまま。
前髪は眉で揃えると、目が大きく見えるって雑誌で読んで、そうしてみたけど、今度は「幽霊」って陰で笑われた。
綺麗になりたい。努力はしたい。
でも、いくら努力したってきっと無理なモノは無理なんだ。
だったら、誰の目にもとまらないように、本当に幽霊みたいに薄い女でいいや…。
「今日もひっそり静かに何事もなく一日を過ごせる事が、きっと私の一番の幸せなんだよ。」
鏡の中の寂しい顔の私に語りかけ、通学バッグを手に部屋を出た。
◇
玄関を出ると外は憂鬱な冬の冷たい雨。
重いため息を地面にひとつ落としてシェルピンクの傘を開き学校へと歩き出した。
友達は少ないながらもそれなりにいるけど、最近は自分から進んで話す事が減っている。
あまり人と関わりを持ちたくない…。
何だか、みんな私より可愛いくて、一緒にいると惨めな気持ちになるから。
卑屈になっているのは自分でも十分わかっている…。でも、いつも明るく前向きでなんて、心の弱いヘタレな私には到底無理な話なのだ。
本当はどんな些細なきっかけでもいい。顔をあげて前を向いて笑いたい。でも、醜い容姿がそれを許さない…。
ううん、容姿だけじゃなくて、本当は『心』が醜いのも嫌と言う程知っている。だって、自分の事は自分が一番よくわかってるから…。
(外見も中身も最悪なんて…本当、どうしようもないな)
自分自身に皮肉を込めて苦笑する。
こんな自分がつくづく嫌いになる。
再度大きなため息を落とし、私は住宅街から大通りへ出る為にブロック塀の角をいつものように曲がる。
その時−−−−
バシャッッ−−!!
正面を走る車が、大きな水たまりの上を通過して砂や枯れ葉混じりの水を大きく跳ね上げた。
傘を肩にかけていた私は頭上からの雨は避けられるけど、突然の真正面からの大量の水飛沫には反応できる俊敏性は勿論なくて、全身にザバッと水を引っ被ってしまった…………
最悪だ。
家を出て数分でこんな不幸なアクシデントなんて………。
(もうやだ…)
寒いより、冷たいより、何だか無性に情けない気持ちになりその場に立ち尽くした。
「もう…やだ……」
口をついて出た一言と同時に、目頭が熱を帯びて視界がぼんやり歪んだ。
濡れた頬に目から流れる熱いモノ。水滴が零れる度に胸が苦しくて痛くて……。
そんな私の数メートル右横に水を跳ね上げた黒い軽自動車がハザードをたいて停止して、車から女の人が降りてきた。
歳の頃は20代半ばだろうか?
明るい焦げ茶色のゆるいウエーブがかかった長い髪、顔は薄化粧ですっきりとした、しかし綺麗な人だ。身長は私(160センチ)とあまり変わらないけど、身体はメリハリがあり同じ女である私が見て、羨ましいなと感じる綺麗なボディーラインだ。
更に惨めになった…。
そして、涙が止まらなかった。
「本当にごめんね、急いでたから!」
明るくややハスキーな声の女の人は、手に持っていたタオルで私の顔を拭き、何度となく謝罪の言葉を繰り返す。
「いいんです…こんな私…別に汚れたって…」
赤の他人にでさえこんな卑屈な態度。自己嫌悪の涙が止まらない。
女の人はちょっと困り顔だ…。無理もないだろう。
すると、車の窓が開き、
「ママァ〜っ!!保育園遅れちゃうよぉおっ!」
黄色い帽子に紺色のスモッグ姿の女の子が痺れを切らした声で叫ぶ。
「はっ!マズイっ!遅刻するっ!!」
女の人は私の手首を掴み、
「ごめんっ!とりあえず車乗って!そのままじゃ学校行けないでしょ?」
車の助手席へと半ば強引に引っ張りこまれた。
「遅刻しそうだから!本当申し訳ないけど先に保育園に子供を送るから。ちょっとだけ我慢してね。」
女の人は申し訳なさ気にそう私に告げると、車を走らせた。
「全くママはいっつもバタバタとせわしない!」
後部座席で小さな少女が口を尖らしてぷんと怒っている。
「うるさいなぁ〜っ!全くぅ、毎回バタバタするのはあんたの注文の多いヘアースタイルのせいだ!ばかちんっ!」
女の人は、バックミラーに舌を出す。
「美容室のむすめがバリキメのかみがたをよーきゅーするのはあたりまえっ!」
(ば、バリキメっ?)
私は保育園児の女の子のちょっとかっ飛んだ言葉使いに思わず吹き出しそうになった。
女の子も負けじとあっかんべーをミラーに投げてあはははっと楽しそうに笑い声をあげた。
「全く、オネショちゃんのくせに口は達者なんだからっ!」
見た目の綺麗さとは裏腹に、まるで子供ものように表情豊かに、ふんっと鼻息をあらげる運転席の女の人を見つめて、何故だか自然と笑みが浮かぶ。
身体は全面ずぶ濡れなのに、なんかとても温かい。
きっと車内の暖房のお陰だけじゃない。そんな気持ちになった。
◇
車で数分走り保育園につくと、
「ちょっと待っててね」
女の人は私を拝み、
「リコ、行くよ。」
後部座席のドアを開けて、ジュニアシートのシートベルトを外す。
「ママぁ、今日もお迎え遅いのぉ?」
ほんの少しだけ寂しそうな顔を向けたのを、私はミラーから見つめる。
「お店終わったら超ダッシュで迎えに行くから。ママ、お仕事してる間もずっと、ずーっとリコの事忘れないからね。」
女の人はリコちゃんを愛おし気にギュッと抱きしめて、優しい笑顔を向けた。
「うんっ♪」
リコちゃんは嬉しそうに笑ってジュニアシートから降りて、車から飛び出した。
二人はひとつの傘に入り、手を繋いで小走りで園の門に入っていった。
「働くママも大変なんだなぁ…。聞く話からすると、リコちゃんのママは美容師さんなんだ。」
私はつぶやいた。
だからあんなに人あたりが良くて、明るくて綺麗なんだ。
そう思ったら、何だか妙に納得がいった。
「…いいなぁ。美人で明るくて…。」
ミラーの中の自分を見つめると、大きなため息がでた。
「やっぱり、私…ブスだ…。」
急に心が鉛のように重くなった。
(あぁ…、やだなぁ…なんかまた泣きそうだ)
ミラーから視線を外し、私は俯き心の中でつぶやいた。
「…学校に欠席の連絡いれなきゃ。」
こんな状態では勿論学校に行けるわけがないし…。
私はバッグから携帯を取り出し、学校に体調が悪いと連絡をいれた。
電話を終えた直後、運転席のドアが開き、若干息を切らした女の人が
「お待たせっ!ごめんね〜っ!」
とハスキーて明るい声を私に向けた。
「………。」
私は黙ったまま小さく頷き、その声に応えただけだった。
「これから、店行くから。」
「え…?」
てっきり家へ送ってくれるものだとばかり思っていた私は面食らい、女の人を見つめた。
「制服乾かして、ちょっと遅刻になるかも知れないけど、なるべく早く何とかするから。」
「いいんです。学校には欠席の連絡を入れたから。」
目を伏せたままつぶやく私を見て、女の人は小さく苦笑して、サイドボードに置かれたタオルで私の半乾きの髪をパサパサと吹いて、
「中々イイ髪質ね♪ブラッシングの手入れも行き届いてる。」
女の人は笑う。
「こんな針金みたいな髪…嫌いです。」
私は唇を噛み締めた。
「針金みたいなんかじゃないよ、ちょっとハサミですいて、ワックスでスタイリングすれば、フワッとした軽いニュアンス出るわよ♪」
「…無理です。私なんかどうやって転んだって綺麗にはなれない。」
堪えきれない…。
みっともなくも私の目からは涙が零れた。
「……。」
女の人は無言で車を走らせた。
静かな車内。音楽も、ラジオもついていない。
保育園から終始無言で、数分。女の人が働く美容室へ着いた。
車を止め、キーを抜き、運転席から降りて助手席に回り、ドアを開けた。
「おいで。私があなたに魔法をかけてあげる。」
女の人は自身に満ちた、しかし優しい笑顔を私に向け、手を伸ばした。
私はその笑顔に導かれるようにその手を取った。
◇
「ここが私のお城♪」
女の人−−先刻恭子と名前を告げたその人は、お店を指さし笑う。
お世辞にも大きいとはいい辛い。
二階建てのコンクリートの建物。下には左端に喫茶店、真ん中はマッサージ屋だろうか?そして、右端に美容室。三店舗テナントとして並んでいる。二階は居住スペースなのだろうか?サッシの前に少し迫り出したコンクリートの囲いがベランダのように見える。
右端の店の美容室は、季節のディスプレイだろう。右横に置かれた二段の木の棚に、ポインセチアが暖かい煉瓦調のポットに入れられて雪だるまの飾りと交互にいくつか並べられている。
左横には煉瓦の花壇。緑色の小さな杉の木のような木が3本当植えてあり、白い電飾がほどこされている。
季節は十一月の半ば。
あとひと月とちょっとでクリスマス…。
そんなのは私には関係ないイベントだけど、ポインセチアを見るとやっぱりどこか胸が浮くような気がした。
恭子さんは私の手を引き店に入ると、
「ごめーん!健太、遅くなった!」
明るくハスキーな声が小さな店内に響く。
「おっせーよ!姉ちゃん!」
健太と呼ばれた歳の頃は二十代前半の青年は苦笑いして、雑誌の整理をしていた。
「朝イチの河合様、予約明日の朝イチに変更になったよ。」
店内の雑誌を整理していた手を止めて、
「あれ?どうしたの?この子。」
健太さんは私をちらりと見て恭子さんに尋ねると、
「実はさぁ……。」
申し訳なさ気に苦笑いをしながら事情を話した。
「ったくぅ…、姉ちゃんはほんと朝っぱらからせわしねーなぁ。…だからダンナに逃げられんだよ。ごめんね、バカな姉貴で。。。」
やれやれとため息をつき笑う。
「うっさいわね、そんな事より、ちょっと二階上がって彼女着替えさせるから−−−」
恭子さんは少し意地悪な笑みを浮かべて、
「覗いたらマジコロスわよ♪さっ、行こう♪えーと名前…」
「真央…です」
怖ず怖ずとつぶやく私の背中を押して、
「オッケー真央ちゃん、レッツゴー♪」
二階へと私を導く。
店の奥のアルミ製のドアを開けると店の裏に抜け、右端のコンクリートの階段をのぼると、クリーム色の簡素なドアが三つ並んでいる。その一番手前のドアに恭子さんは鍵を差し込む。
中はワンルームのアパートだった。床にはグレーの絨毯が敷かれていて、大きな姿見にドレッサー、クリアケースやメイクボックスであろうモノが置かれている。
「この部屋ね、成人式の着付けとかメイクをする場所。成人式ん時はさ、朝早いからリコをじじばばに預けてここで前日から泊まり込むの。」
そう説明しながら、クリアケースからジーパンとシンプルなアイボリーの薄手のニットシャツと、グレーのコットンチュニックを渡してくれた。
「ごめんね、職業がら、スカートは中々はかないから。」
そう言って恭子さんは笑う。
「いえ…、ありがとう…ございます。」
私は小さな声でお礼をいって洋服を受け取る。
「じゃあ、カーテンするから着替えてね。」
恭子さんは部屋の境目に取り付けてあるアコーデオンカーテンを閉めた。
濡れた制服を脱ぎ、恭子さんの服を着る。
(ジーパン…太もも入るかなぁ…)
ちょっと不安を抱きつつ、足を通す。
(よかったぁ、入った)
ウエストのボタンをとめて安堵する。
上服を着て、姿見で全身を見つめる。
「なんか…、細く見える…。」
ちょっと驚いてくるりと一回転してみた。
いつも、自分で服を選ぶと何だか太って見えるのに、この格好は痩せて見える。しかも、シンプルでどこか品が良い感じもする。
(どこのメーカーだろ?きっと高いんだろうなぁ…)
そんな事を思いながら、私はアコーデオンカーテンを開けた。
恭子さんは、
「おお♪サイズぴったりじゃん♪似合う似合う♪」
私に笑顔を向けた。
「すみません、高そうな服なのに…」
ちょっと申し訳なさ気に言う私に、
「あはは♪全っ然高くないって♪上服なんて一枚バーゲンで二千円くらいのやつだよ。ま、ジーパンはちょっと値段するけど、それでも八千円くらいだし。」
驚きを隠せなかった。
「これも、職業がらだけどね、安くて洗濯できて、着回しできるシンプルな洋服ばっかりなのよ。私の着る服って。」
恭子さんはそう説明して笑う。
「あと、いかに痩せて見えるかってのもポイントね♪チュニックって形や丈の長さによっては逆に太って見えるから、私はなるべくふんわりとしたやつは着ないようにしてるのよ。んで、ジーパンは濃いめだけどスキニーを。これは、自分を甘やかさない為ね。」
「自分を甘やかさない為?」
私は自分の足元を見つめた。
「子供を産んだからとて、スタイルが崩れるのは仕方ないと妥協はしたくないの。むしろ、子供を産んでもこれだけスタイルをキープしているんだぞって、自分に自信を持たせてあげたいしね。」
あははっと笑う恭子さんを見て、すごいなぁと思った。
「綺麗になる為に努力したい人にアドバイスする人間が、だらし無いじゃ、説得力ないしね。さ、行こうか。」
恭子さんは玄関でスニーカーを履きながらそう言って再度笑った。
なるほどなと思った。
美容師さんは皆、美容師さん自体が広告みたいなものなんだ。
ヘアースタイルは勿論の事、トータルスタイルを綺麗に見せる事で、お客さんにするアドバイスに対しての答えを示す。
確かに恭子さんみたいな人に、いろいろと教えて貰えるのはとても納得できると思った。
一階に降りて、店に入ると、
「おー、よく似合ってるね♪」
健太さんがにこやかに迎えてくれた。私はちょっと恥ずかしくなり、俯き小さく笑った。
「健太ぁ、シャンプーよろしく。」
恭子さんはヘアースタイルのカタログを見ながら、健太さんに指示を出す。
「オッケー、さぁ、真央ちゃん、シャンプー台へどうぞ。」
健太さんは私をシャンプー台に導く。
椅子に座り体を固める私。実は男の人にシャンプーして貰うのは初めてで、緊張してしまったのだ…。そんな私の心情を察してか健太さんは、
「大丈夫だよ。緊張しないように顔にタオルかけるから。」
穏やかで優しい声。そして柔らかな笑顔。笑った顔は恭子さんによく似てる。
「はい…。」
なんか恥ずかしさで顔が熱い…。
ゆっくりと椅子が倒れて、
「はい、タオルかけますね。」
健太さんの声からワンテンポ遅れて、視界が暗くなった。
頭の上からシャワーの音。そして髪に広がる温かいお湯の感触。
シャカシャカとリズムのよい音。
「かゆいところはございませんか?」
「はい。」
「しかし、本当イイ髪だねぇ。」
健太さんも私の髪を褒める。
「コシもハリもいい。こりゃあカット、楽しそうだなぁ。」
「……」
うまく言葉が返せない私。
沈黙する私に健太さんは、
「ねーちゃん、カットの腕は確かだから、心配しなくていいからね。」
健太さんは私の緊張をほぐすようにいろいろと話をしてくれた。
姪のリコちゃんの事や、恭子さんの事。
「ねーちゃんはバツイチのシングルマザーで俺がいないと公私共にマトモな生活できないし。忙しすぎて彼女も作れやしない。」
「それは関係ないし。あんたがヘボイからモテないだけじゃん。人のせいにすんなよ〜。」
聞き捨てならないとばかりに奥のほうから恭子さんの笑みを混ぜたような明るい声が響く。
「ヘボイって言うな!本当の事言われたら傷つくだろ〜っ!」
健太さんな笑い声が頭上に響く。タオルの下、私の顔は自然と笑顔になっていた。
(本当に仲がいいんだなぁ、いいなぁ姉弟って)一人っ子の私は、心の中でつぶやいた。
シャンプーが終わりカット台に座ると、
「さて、どんな風にカットするかなぁ♪なんか要望ある?」
私は楽しそうな恭子さんの顔を鏡越しに見つめて、
「少しでも…綺麗になれるなら…。」
私は思い切って自分の胸のうちを恭子さんに打ち明けた。
一週間前にクラスの友達だった男子に勇気を出して好きだと告白した事。
その時、「お前は女としては見れない」と言われた事。そして、告白したと言う事がクラスの女子にバレて酷い陰口を言われたり、笑われたりした事。
苦しくて、悲しい。
惨めな私の全部を恭子さんに打ち明けた…。
鏡の中の私。
みっともない泣き顔…。
「綺麗になりたい。
自信を持って笑える自分になりたい…。」
そんな私の涙を恭子さんはハンドタオルでそっと拭いて、
「任せといて。『真央ちゃんらしい綺麗』を私が引き出してあげるお手伝いをするから。」
鏡の中の恭子さんは、瞳を潤ませながらも、とびっきりの笑顔で鏡に写る私を見つめた。
「健太、カラーリングの準備よろしく。」
恭子さんはカタログを開いて健太さんに指示を出す。
「了解。くうっ、ねえちゃん、いい色選ぶなあ…。」
健太さんは笑って後ろのシャンプー台近くの棚で作業に取り掛かる。
「さて、じゃあカット始めます。」
櫛とハサミを持つ恭子さんの瞳がキュッとしまる。プロの顔だと感じた。
素早くヘアピンで髪を分けながらの、リズミカルなハサミの音。
時折カットの説明や世間話や愛娘リコちゃんの話をしながらも、まるで生きて意志を持つかのようにハサミが動く。
鏡の中の私が、徐々に短くなりパサリと落ちていく髪と共に、どんどん変わっていく。
肩甲骨まで伸びた髪は、肩より少し長い髪になり、ハサミですいて軽やかでふんわりとした感じになった。
まっ直な前髪も少しだけすいて軽くなった。
髪を切り終えて健太さんがカラーリングをしてくれた。待ち時間は三人で色々な話をした。
健太さんの専門学校時代の失敗談や、昔彼女にフラれた話、保育園のイベントに参加して恭子さんのママ友達に質問攻めにあい参った話なんかもしてくれた。
その話はどれも私が経験した事のない話ばかりで楽しくて、いつしか私ははしゃぎ声までをもあげて、気付いたら思いきり笑ってたんだ。
カラーリングを終えて、ドライヤーでブローしながら仕上げにハサミを少しだけ入れて、恭子さんはスプレータイプのワックスを私の髪につけて、手櫛でスタイリングしていく。勿論ポイントを私にレクチャーしながら。
「それから、野菜と睡眠をしっかりとりなさいよ〜。サラダでも、温野菜サラダ、ビタミンがたくさん取れるひじきとか人参とか、あと甘いオヤツよりも果物を食べるといいわよ。そしたら、目の下の『くまちゃん』を撃退できるから。」
ケープを外して私の肩を叩き、
「ほーら、綺麗になったでしょ?」
恭子さんは極上の笑顔で私を見つめる。
「ありがとう…ございます。」
鏡の中の私はやっぱり泣いていたけど、とても幸せそうに笑っていた。
◇
カットの最中に健太さんが汚れを落として乾かしてくれた制服に着替えてもう一度深く二人に深くお礼をして、
「今度はちゃんとお金を払うお客さんとして来ます。」
私は笑顔だった。
「本当に送らなくていいの?」
恭子さんはちょっとだけ心配そうな顔を私に向けた。
「何だかゆっくり歩いて帰りたい気分なんです。」
私はもう一度笑顔でそう告げた。
健太さんはうんうんと頷き笑う。そして、恭子さんもやっぱり頷き笑った。
私は軽く会釈して、手を振る二人に背中を向けて歩き出した。
雨はいつしか上がり、灰色の雲の切れ間から青い空がのぞいている。
濡れた街並みが、何だかいつもよりうんと綺麗に見えた。
「今日は最高にいい日だ…。」
私はつぶやき空を見上げて笑った。




