そんなこともあるんだろう
「体バキバキだ~~~ 特に背中ぁ~」
凝り固まった体をほぐすと、自然と声がでる。
函館から新幹線[はやぶさ]で青森八戸へ、その後岩手銀河鉄道とレンタカーを乗り継ぎ岩木山の麓へ到着する。
おおよそ5時間の1人旅だ。
普段なら会社の飲み会くらいしか外出しない俺である。
ほぼヒットポイントゼロに近い。
だけど、ここには来なければならない理由があった。
俺はけんじ、今から10年前14歳の中校生だった。
今の自分から見ても生意気で、他人に上から目線で接していたためにいじめにあっていた。
仲良くしていた友人にも無視され、クラスからも孤立していた。
全体集会に行く時は後ろから足を軽く蹴られたり、体育のドッジボールも一番先に狙われた。
外で体育の時は、一列に座っている列の後ろの奴に背中に土を毎回かけられ、ジャージを汚された。
給食時に前から後ろに渡すデザートも、席が一番後ろの時は貰えず「お前のなんかねえよ」と言い捨てられた。
そしてそいつに盗られた。
そいつのことは泥棒だと今でも恨んでいる。
我ながら器が小さいな。
だが、自意識過剰な思春期には強烈な思い出だった。
悔しいし辛いしで勉強どころではなかった。
学校が爆破されないか、また燃やしてしまおうかと本気で考えていた。
毎日休みたいと思っていたし、時にはお腹が痛いと言って泣いて休んだり、親と一緒に病院にも行った。
「保健室にも通ったなぁ」
こんなに苦しいのに、親には言えなかった。
みんな仕事してるし、何よりプライドが邪魔した。
家は祖父母と同居しており、長男の俺は父の幼い時に似ていると言われ、赤ん坊の時から可愛がられた(と聞いた)。
物心がつく前から、祖父母と川の字で寝ていた。
布団に入ってから、祖母が寝ながら嘗めていた飴が食べたくて、2,3個ねだって食べて虫歯もたくさんできた(自業自得)。ちなみに祖母は総入れ歯だった。
オネショもして、何度も迷惑をかけた。
いじめられる前の幸せの瞬間に戻って、いじめられる前に死んでたら幸せだったかもと、時々考える。
今ではやっと思わなくなってきたが。
そして祖父母と母は折り合いが悪く、時々喧嘩越しに話していた。
常に祖父母の近くにいたので、悪口も聞き慣れてしまっていた。
気付かぬうちに、そんな言葉を自分も他者に使っていたのだ。
弟は母方に似ていると言われ、あまり構われなかった(と母に聞いた)。
俺が悪いことをしてもやってないと言うと、弟のせいにされて祖父に叩かれていたこともあった(と弟に聞いた)。
そんな環境で、いい気になっていたのだと思う。
小学校では何とかなったが、中学校になり他者が多く関わると顕著に標的になったのだ。
その頃祖母はパーキンソン病で、体が動き辛くなり入退院を繰り返していた。
中学校から病院が近いので、帰り際よく病院へ通った。
部活もしておらず暗い顔をしてお見舞いに行くからか、いじめられていることに気づかれていた。
もしかしたら霊感が強い祖母だったので、そちらでわかったのかもしれないな。
「あんたは人の3倍頑張らないとだめだね」と、よく言われた。
周囲を気にしていっぱいいっぱいなのに、3倍なんて無理だと言うと、「まぁ、そうだよね」と笑っていた。
ふと「ばぁちゃんあっち逝く時、あんたが可愛いから一緒に連れてって良いかい?」と聞かれた。
俺は「絶対やだ。 死にたくない」と全力で断った。
今思うと、いじめへの助け舟だったんだと思う。
そんなに辛いなら一緒に逝くかい?という感じの。
「じゃあ、今から10年後にばぁちゃんの教える岩木山のとこに必ずおいで。 そしたら諦めるから」
その提案をされてから、3倍じゃないけど結構頑張って勉強を始めた。
今までは中間より後ろの順位が、中間より上の状態にあがっていった。
しかし積み重ねがいる数学だけは、毎日出席していないと解らなかったので、さっぱり点数が取れなかった。
その分、暗記科目で稼いだ。
思ったより暗記の才能はあるようだった。
そんなこんなで中学校を卒業し、高校・専門学校へ進学した。
専門学校に通っているときに、祖母が亡くなった。
病気で呼吸困難があり、最後には酸素をで10Lで吸わされても息ができなくなったそうだ。
やっと楽になれた祖母を見たが、なんだか別人のようだった。
もうここにはいないんだと実感した。
葬儀後しばらくして、父から祖母の伝言を受け取った。
父:「ばぁちゃんな、岩手県の出身なんだ。 それで遺骨を少し指定してある木に撒いてくれと頼まれてんだ。市役所への許可も、死ぬ何年も前から取ってたんだって。明日から、ちょくら母さんと散骨しに行ってくるわ」
俺「そうなんだ。あっ」
思い出した。
24歳になったらそこに行かないと、連れていかれるんだった。
「冗談じゃなかった。俺、マジで頑張らないと」
と、しっかり手帳に年齢と場所を記入した。
専門学校を卒業し、ある会社の営業の仕事に就いた。
向いてなかったようで営業成績も伸び悩み、上司3人に囲まれて説教された。
それで成績が伸びる訳ではなく、結局そこを辞めることになった。
自分なりに努力もしたがだめだった。
そこは俺には冷たく感じ、会社に近づくだけで動機が止まらなかった。
数ヵ月実家に帰り就職活動を開始した。
今度は、自分なりにできそうな事にしぼることにした。
営業や他者と全面に関わる物は除こう。
学生時代、ほぼぼっちだったのに。
考えるだけでもわかりそうなのになぁ、就職することだけに目が向かっていて失敗したよ。
その後自分の持っている資格を確認したら、エクセル3級、簿記3級と医療事務が使えそうだった。
その方面で求人を探し、何とか病院の事務に滑り込んだ。
最初は入力遅すぎて呆れられたが、慣れるに従い普通に仕事がこなせるようになれた。
独身の俺は友人もいないし暇だったので、家族持ちの主婦のシフト交換などを快く引き受けた。
少しずつ頼られ始めると自信になり、周囲の人とも仲良くなれた。
どこにいても嫌みっぽい人や意地の悪い人はいる。
そういう人は一定数いるし、近寄りづらかったがそれで良いと思った。
全員と仲良くなれなくても自分のペースで付き合えば、強く避けられることもないのだ。
嫌だと思っても態度に出さず、必要最低限が出来れば良い。
それぞれ事情も理由もあるかもしれないのだから。
何もなくても俺の中学みたいに、わからないうちにやらかしていることもあるんだよなぁ。
害がないのなら各々判断に任せていくしかない。
そんなこんなで、24歳の誕生日が過ぎた。
初めての有休申請はあっけなく通った。
「頑張ってくれてるからね。 ゆっくり休んできて」と。
準備は整った。
後は切符と宿の手配だ。
新幹線の往復と緑風荘の予約。
後は行ってからのお楽しみだ。
岩木山の麓に着いてから、父に教えて貰った地図を頼りに移動した。
したのだが、目印のピンクのリボンが付いた枝が見つからない。
8月の木の葉は緑濃く生い茂っていた。
たくさんの木が植わっており、長期戦を覚悟する。
災害時用に持参したポケットラジオをつけ、気晴らししながらばあちゃんの木を探した。
最初は森林浴気分で暢気だったが、奥に入るに連れ霧が立ち込める場所があり、時々足場がふらつくとこが多くなった。
「あっ」とした時には、軽い崖を滑っていた。
幸い怪我はないが周囲が真っ白く霧で覆われ、見えずらいので登って戻るのは困難だった。
スマホは充電が少なく、緊急時に取っておこうと電源を切った。
霧が薄くなるまで待つつもりだった。
しかし霧が晴れる様子もないまま、日が陰ってくるのがわかった。
さすがに自力帰還は無理だと思い、今日泊まる旅館へ電話を入れた。
すると、宿周辺も霧が立ち込めており捜索するのは難しいと返答があった。
消防や警察も、この中では動けないとの事。
その場から動かず夜を明かし、明日捜索に来るまで待っていて欲しいと。
わかりましたと伝え、スマホの充電が乏しいので電源を切ることも伝えた。
思ったより大事になった。
仕方がないので、ラジオで気を紛らわせようか。
2012年前後のヒットソングだって。
「懐かしいなぁ。風が吹いているかぁ、コンビニとかオリンピックでめっちゃ聞いたな。きゃりーちゃんやAKB、ももクロにEXILEのこの曲なついな」
すっかりタイムトリップだ。
「ジジッ、ピー、プロピ~」突然ラジオがノイズを拾いだした。
「ジッ、んじっ、けんじっ、ビィ~」俺の名前?うそ?
「ッツ、っよく、きたぁ、ねぃ、ジーッ」
え、ばあちゃんなの? 嘘、俺今寝てんのかな?
まぁ、いっか
「ばあちゃん、元気? 俺ね今、何とかやってるよ。 仕事も頑張ってるし。結婚とかはまだないけど、まだ若いから大丈夫だ。安心して成仏してよ」
「ジジッ、わあかっ、かった、よ、ビィ~、ジュッ、げん、げんきでっ、ねっ、ジュィ~、がん、がば、れよ~~、ジ~ジュ~ピュ~~」
あぁ、夢でもうれしいな。
元気そうだったし。
そもそも、幽霊に元気とかあるのかな?
あぁ、良いの良いの。
夢かもしれないし、どっちでも良いんだ。
どっちでもうれしかったから。
一通り独り言の後、俺は眠りについていた。
チュンチュンと雀の鳴く声がする。
あ、俺山で寝てしまったんだよな。
「あれ、ここ部屋。 なんで?」
いつ戻ったんだろう。
「すいません。 ご迷惑おかけしました。 誰かいませんか?」
近くに足音が聞こえたので、その方向に声をかけてみた。
すると、
「おぉ、気いついたかい? 何ともなくて良かったなぁ」
と喜びの声をあげてくれた。
話を聞くと、明け方に着物を着た子供が
「昨日山に入った童子が、見つかったから来てくれ」
と言ったんだと。
「あの子はコマちゃん家のめんこだから、風邪ひかんうちに頼むわ」っても言ってたわ。
俺は知らないうちに涙が溢れていた。
その子にお礼が言いたいと伝えると、旅館の人が俺を見つけた後消えていたんだそうだ。
「そうですか」と残念そうに呟くと、その人は笑ってこう言った。
「あんたがいる部屋に、お菓子や玩具を置いてけば喜ぶよ」
「えっ?」
「ここは緑風荘。座敷わらしのお宿だよ。コマちゃんもきっと前に、槐の間に泊まってたんじゃないのかな?」
終始にこにこして話してくれた。
「ここ来たらみんな笑顔になる。あんたも笑ってるよ」
本当だ。
笑ってた。
泣きながら笑ってた。
ばあちゃんは安心できたかな?
死んでからも心配かけてごめんね。
俺、もう少し頑張るよ。
お宿の職員さんと消防署と警察に、改めてお礼を伝えた。
みんな無事で良かったと言ってくれて、怒る人はいなかった。
本当に申し訳ないです。
山は一人で出かけちゃだめですね。
俺は槐の間に、お菓子と玩具を買って
「ありがとうございます」とお礼をして宿を後にした。
後からわかったことだが、俺は災害用ラジオに電池を入れていなかった。
この型のラジオは、ラジオ横のノズルレバーを回転させて、電力を貯めるらしかった。
充電も電池も入れずには、動かないはずなのである。
でもあの時確かに、いきものがかり聞こえたんだよね。
ばあちゃんの声も。
まあ、そんなこともあるんだろう。
6/7 23時 日間ホラーランキング(短編) 25位でした。
ありがとうございます(*^^*)