戦場の聖母よ
ああ、力が抜けていく。暮れ行く茜色の空を虚ろに眺め、四肢を大地に任せる。
引金に掛けた指はとっくに外れ、放り出された小銃の銃把を握ることは、もう無いだろう。
ああ、私はどれだけの敵兵をこの銃で殺めてきただろう。
それなのに、いざ自分が撃たれた瞬間は、何が起きたのか解らなかった。脇腹を劈く灼熱と、後ろ向きに傾いだ感覚で、今度は自分が奪われる側になったことを悟った。奪ってきた代償で、今度は私が失うのだ。
なあ、でも、聞いてくれ。仕方がなかったんだ。私も、祖国のために銃を持つしかなかったんだ。
私は、故郷を守れたのだろうか。
ああ、ここは何処なのだろうか。祖国のために自分の道理から外れて戦った。そんな私が果てた先、ここは、何処なのだろう。
私は、何を守っていたのだろうか。私にとって大切だったものは国だったのだろうか。
ああ、母よ。友よ。愛する君よ。
私はあなた達を守れただろうか。私が守りたかったのは、他の何でもなく、あなた達なんだ。
私は、あなた達を悲しませてしまうだろう。私は、こんな終わり方を望んでなどいなかった。ありふれていた日常の幸せを、どうして失わなければならなかったのだろう。どうしてこの美しい夕焼けを、もう最後にしなければならないのだろう。
ああ、寒くなってきた。視界もぼやけてきた。
なあ、そこにいるのは誰だ?そうだ黒い服の貴女だ。
なぜ、私の手を握って温めるのだ。なぜ、裾を汚してまで屈み、優しく私を抱き締めるのだ。なぜ、その柔らかな胸で私を包み込むのだ。貴女は、なぜ私を愛するのだ。
なぜ貴女は、無償の愛を注ぐことができるのだ。
ああ、聖母よ。
なぜ人は貴女のように全てを愛せなかったのだろう。
私はなぜ、人をそのように愛してこれなかったのだろうか。
ああ、聖母よ。
私は、俺は、いいや僕は、貴女のような寛大な愛で誰かを満たしてみたい。もしいつかがあるのなら、僕は全てを愛すだろう。
それまでは、暖かな貴女の胸の中で、全てを包む愛に満たされた場所で、僕を眠らせて欲しい。
僕を眠らせていて欲しい。