相性が視える眼鏡
恋は盲目
放課後の図書室から見るグラウンドは、私の不満を少しだけ満たしてくれる。
本を読みながら、竹内君を眺めるだけで、それだけで私は十分だった。
あの日までは──
私は見てしまった。
放課後の図書室から。
竹内君が女子から手紙を受け取ったところを。
私は見てしまった。
まんざらでもなさそうな、竹内君の顔を。
その女は合唱部の人気者だった。
図書室より二つ上の階から、竹内君を狙う泥棒猫。
合唱部の練習の最中、竹内君を盗み見る不届きな売女。
その日の帰り道は、とても憂鬱でどんよりとした気持ちだった。
「ヒヒヒ、中々に欲の強そうな娘がおるのぅ……」
駅路地の片隅に、明らかに胡散臭い老婆が占いの店を開いていた。
私を見て笑った老婆を避けようと、私は直ぐさま来た道を引き返そうとする。
「竹内君とやらが欲しいのかえ?」
「──!?」
自分でも驚くほど、体が固まったのが分かった。
老婆に向けた背中が何かを語ったのか。
それとも老婆が私の背中から何かを感じ取ったのか。
どちらにせよ、竹内君の名が出た事に驚きを隠せずにいた。
「愛しの彼との相性を知りたくないかい?」
「…………」
少しだけ、ほんの少しだけ、顔を老婆へと向けた。
「いい眼鏡があるんじゃが……」
そっと、老婆が眼鏡を取り出した。いたってシンプルな、赤い縁の眼鏡だ。
「お試し価格で無料じゃて」
「……要らないわ」
初対面の人に気を許すほど、私の心は渇いてはいない。
「ポケットに入れておくけぇ、使ってみなされ」
「──えっ!?」
老婆が私の制服を指差した。
慌てて手を当てると、確かにぽっこりと膨らみが。
私はすぐにポケットからそれを取り出す。確かにそれは先程老婆が持っていた物と同じ、赤い縁の眼鏡だった。
「いつの間──」
そして顔を老婆へと戻すと、そこに老婆の姿は無かった。占いの店ごと綺麗に無くなってしまっていた。
私は気味が悪くなり、走って逃げた。
その夜、私はリビングでぼーっとテレビを観ながら、竹内君の事を考えていた。
傍らには、老婆から押し付けられた眼鏡が置いてあった。何故か捨てられずにいたのだ。
「竹内君……」
『──続いてのニュースです。今朝、歌舞伎俳優の猫背海老反太郎さんが、女優の犬猿仲悪子さんとの婚約を発表致しました。双方の事務所から公式にメッセージがあり、犬猿仲悪子さんは現在妊娠三日目との事です』
「ふぅん……」
大して興味の無い芸能人の婚約に、私は適当な相槌を打つ。女遊びで有名な歌舞伎俳優がついに身を固めたと、テレビでは大袈裟なコメントが映っていた。
そして、画面に映った二人を見て、自然と眼鏡に手が伸びていた。
【夫婦としての相性は40%です。夫の女遊びをどれだけ抑えられるかが、円満の分かれ目となるでしょう】
眼鏡の端の方に、小さく文字が見えた。
ただ、なんとなく……悲しくなった。
「相性ってそんなに大事かなぁ……」
「んー? 素でいられるかどうかって? そりゃあ偽らなくていいなら、それに越したことは無いんじゃない?」
本の整理をしていた図書委員の友人里菜穂の背中に声をかけると、本棚の方を向いたまま、そんな応えが返ってきた。
「好きな人と居られるなら、どんな事も我慢出来そうな気がするけどなぁ」
「行きたくも無い場所も? 嫌いな食べ物も?」
咄嗟に山登りで焼き魚デートが浮かんだ。
家族となら絶対に遠慮するが、竹内君となら大丈夫。ウエルカムウエルカム。
「大丈夫、やれる」
「毎日続いても?」
「……それは」
言葉を濁らせてしまった私の胸の内は、相性の二文字が強く突き刺さったまま抜けないのだった。
鞄から例の眼鏡を取り出し里菜穂を見る。
【友人としての相性は78%です。あなたには無い感性で、あなたの支えとなってくれるでしょう】
「相性……ねぇ」
眼鏡をかけたまま、グラウンドを視るのが怖くなった。もし低い数値なら、私は立ち直れそうに無い。
「ま、朱に交じればなんとやら、ってね。相性も時間とともに良くなったりするものよ」
「……そう、だよね」
友人に背中を押される形で、私はグラウンドの竹内君をその視界に捉える覚悟が出来た。怖いけど前に進む。それが私のこたえだ。
「竹内君……」
陸上部の竹内君は、グラウンドの隅で他の部員達と柔軟体操をしていた。
傍をうろつく女子マネが実に鬱陶しい。
【恋人としての相性は92%です。不干渉に徹したドライな関係が理想です】
竹内君の隣に居た男にカーソルが合ってしまい、余計なリサーチ報告がなされた。
「ああもう……!」
竹内君が離れた隙に、さっと視界に竹内君だけを入れた。
【恋人としての相性は42%です。素直な気持ちで接すると良いでしょう】
…………微妙だ。本当に微妙だ。
「──!!」
と、離れた竹内君に先日の手紙女子がよってきた。ハエみたいにうろちょろと意地汚い女め。
【夫婦としての相性は92%です。これ以上の相手は来世でも見つかりません。おめでとうございます】
……あ?
なんつった今?
おいコラ、くそ眼鏡──!!
【恋人としての相手は89%です。相手を知れば知るほどに好きになることでしょう】
ふざけるなよ……。
こちとら竹内君を追い続けてやっとこ、この図書館から見守ってるっつーのに。
【体の相性は95%です。漫画みたいな事になるでしょう】
──ペキッ……。
「千景? 眼鏡どうしたの?」
「……別に」
つるをへし折った眼鏡をぶっきらぼうにポケットへねじ込み、図書室の扉を強く開けた。
「おいババァ」
「おーおー、これはこれは我の強い顔をして……その分だと、思わしくなかったかな?」
とぼけたババァの顔がイラッとしたので、ラーメン屋の割り箸入れみたいなやつを、思い切り吹き飛ばしてやった。
「……どうせ私は42%だよ」
「カカカ、そうかえそうかえ」
ニタニタと笑うババァに拳を振り上げた。
が、ババァはびくともせずに、口を開いた。
「相性にも色々ある。それはお前さんも視たじゃろ?」
「…………」
「お前さんにしか出せない数値を探すんじゃよ。ただし、眼鏡のアップデート代は高く付くぞい?」
「このババァ……!」
少し拳を震わせたが、私はそっとその手を下ろした。
「口は悪いが賢い子じゃ。是非ともわしに任せよ……クックックッ」
それから数年後、念願かなった私は、竹内君と二人きりになることが出来た。
「それではラストはボッタクリースの二人です! どうぞー!!」
大歓声の中、ステージ中央のマイクに向かって竹内君と走り出す。
「どーもー! ボッタクリースでーす!!」
「はいはいどーもー!」
「竹内君聞いて聞いて。この前一万円拾ってな」
「ほうほう」
「交番届けようと思ってね、タクシー乗ったの」
「偉いですねー。俺ならネコババしますね」
「でね、交番着いて運転手さんが『4500円です!』って言うから、私その拾った一万円で払ってやったわ!」
「何してるんですか!?」
「あと交番でラーメン頼んでお巡りさんと二人で食べた」
「お巡りさーん!!」
ドッとスタジオが沸いた。
私達だけの時間。誰にも邪魔されない、私と、竹内君だけの時間。
「優勝は──ボッタクリースです!!」
寝る間も無く、当然帰る暇も無く。
「──ああ、ゴメン。今日も帰れない。明日の朝、ニュース番組二つで今日のネタ披露するから。うん、うん、ありがとう。ごめんね」
申し訳無さそうに電話を切る竹内君の隣に座り、打ち合わせする。
里菜穂は、相性は時間で良くなると言った。
だけど、私はそれよりも『壊す』方を選んだ。
あの女より長く、少しでも一緒に居る。
それが私に残された道。
「四時入りで七時本番、それから移動で八時にもう一つ、そして夜に収録二つ──」
鞄に手を入れ、そっと眼鏡を撫でた。
【相方としての相性は100%です。頑張ってお笑いの歴史に名を残して下さい】