2-1:体育祭
衣装、装飾、台車、振り付け、花火の作成などやることは山積みだ。
各学科が必要なものを準備し、一日一時間を全学科合同でのダンスの練習に当てる。ダンス練習が不要なものも、パレードに必要な備品の作成に走り回っていた。少ない時間の中で全学科が協力し、いよいよ迎えた体育祭当日。
パンパンと上がる号砲が、青い空に偽物の雲を描く。
服飾学科、体育学科、芸術学科、情報学科、機械工学科。各学科一クラスずつの、一学年五クラス。一クラス三十人、全校生徒四百五十人が、校庭に勢揃いした。
「あー……来ちゃったよこの日が」
一年は青、二年が赤、三年が黄色のハチマキを巻いて、各自の待機席で各々が声援を送っている。
「いよいよパッキング・ユニットのお披露目だね」
「見せねぇから」
頭をかかえる経の横で、無表情の工が楽しそうな声を出した。経の言った通り、実際にパッキング・ユニットを見せる訳ではない。今回は経の屁を入れた特殊な風船を使うだけだ。
すでに花火用の屁を入れた風船は姫海に渡してある。打ち上げる装置は学校に許可を取って屋上に設置しているので、姫海は打ち上げ担当の人の元へそれを渡しに行っているところだ。
リハーサルのとき、台車は一台しか動かせていないが、花火は数発打ち上げている。打ち上げ自体は問題なく、昼にも関わらず綺麗な花火を上げることができた。だが、空に自分の屁が打ち上がるのはまったく嬉しくないと経は改めて思う。
その匂いが、もし降りてきてしまったらどうするのだ。むしろ、頭から屁を被っているとみんなが知ってしまったら、なんて考えてしまって頭がクラクラした。
「経」
「ん?」
「花火は、綺麗だったでしょ」
「まあ、な」
流石に、校庭に大事なパソコンは持ってくるわけにはいかない。珍しく手ぶらな工が、わずかに口の端をあげて笑った。
「なら、もう割り切っちゃいなよ」
「はあ……まあ、考えていても仕方ないよな」
楽しいことには全力をかけて取り組む工に、想像力をかき立てられればなんでも作ろうとする姫海。この二人に屁のことを話した時点で、経もこうなることは少なからずわかっていたはず。
それでも話したのはきっと、結局知られてしまうからという理由だけではない。経自身、話すことで楽になりたかったからなのだ。
実際二人は経の意図に気づき、気持ちを軽くしてくれた。深く考えずに笑っていられるのは、二人のおかげでもある。
「お前らを止めつつ、楽しむことにするかな」
「僕としては、止めないでほしい」
「んなの、できるわけないだろーが」
『短距離走に出場予定の生徒は集まってください』
話している間も順調に競技は進んでいき、次の競技の出場者を呼び出すアナウンスが校庭に響き渡る。真顔の工の背中を叩いた経は、短距離走に出るため席を立った。
「……とりあえず、応援してる」
無言の抗議があったが、諦めたように短く息を吐いた工は経に適当なエールを送る。歩きだしていた経は、気持ちの込もっていない応援に苦笑しつつも軽く右手を上げて答えたのだった。
***
「ただいま!」
「おかえり。順調?」
経が競技前の待機場所に向かって数分。姫海が息を切らせて帰ってくるやいなや、工にピースサインを出した。
打ち上げ担当に、必要な分の花火風船を無事に渡し終わったようだ。当たり前だが、この体育祭のために準備期間からずっと屁を風船に溜めていたことは、経とこの二人しか知らない。
「予定より溜まってよかったよねー」
「出やすくなる食べ物、食べさせまくったからね」
芋、豆、野菜、フルーツ。実証できているものは少ないが、体育祭準備期間中ずっと、屁が出ると言われる食べ物だけを経に食べさせ続けていた。
なお、料理を担当していたのは工だ。面白いと感じるもの以外に美味しいものにも信じられないくらいの熱意を示す工は、実は料理がとても上手だ。その工が、毎日昼は弁当を作り、朝と夜は食べて欲しいメニューのレシピを経に渡していたのだ。
おなら花火には文句しかない経だったが、それに必要な屁を出すための料理に関してだけは、期間中一言も文句を言うことはなかった。
面白そうなことをするためだけになんとも手間のかかることを続けてきた工だったが、この成果にはかなり満足だったようだ。現に今も、学年別出し物の時間をどこか落ち着かない様子で待っている。
「工くんはなんの競技出るの?」
「強制的に学年別対抗リレーに決まった。あと借り物競争」
出し物の時間、何もせずに見ていてもいいならなんでもいい。そう言ったらこの二種目に決まったのだと、工は眉間にシワを寄せたまま続けた。
「はー……お疲れ」
「姫は?」
短距離走が始まろうとしていた。
学科混合だと体育学科に分がありすぎるので、学科別に分かれてレースは行われる。
三学年で、各学科二人ずつ。合計六人がレーンに一列に並ぶ。体育学科は短距離走のラストを飾るようで、一番後ろに並んでいた。
「玉入れと棒引きー」
経の順番を確認してから、姫海が楽しそうに答える。
「……怪我人出さないでね」
「善処する」
一瞬固まった工が、顔面を青くさせながら呟いた。拳を握りしめてやる気をあらわにする姫海からは、静かに目を逸らす。
「あ、経の番だねー」
情報、服飾、芸術、機械工学の短距離走が終わり、いよいよ最後は体育学科。前半の四学科と比べると、明らかに全員筋肉がついていた。しかし太すぎず、引き締まった素晴らしい体型をしている。
「けーいー! 頑張れー!」
ぶんぶんと手を振る姫海に応えるように、経は片手をあげた。そして、膝を折って両手を地面につけると、クラウチングスタートの体制に入る。
「よーい……」
パンッと空砲の音が響くと同時に、六人が一斉に駆け出した。体育学科でも短距離が得意な六人が選ばれているだけあり、ゴールまではあっという間だった。
「相変わらず、早いね」
「いやー、本当になんでバレー部なんだろうねえ」
三年を抑え、ゴールテープを切ったのは経だった。悔しそうにしながらも肩を組んできた二着の三年に、ニッと歯を出して笑っている。
「ま、経はなんでもできるから」
「そうだね、なんでも……ね」
ニヤニヤと意味深に顔を歪めた姫海は、おなら花火のことを考えていた。
「でも、ちょーっと鈍いよね」
「バレたら怒られるし、いいんじゃない? 鈍いままで」
両手を口に当ててクフフとわざとらしく声を出して笑った姫海に、工は動じることなく言葉を返す。実は、今回作った花火はあくまで屁に含まれる基本的な成分を使って作成したもの。そう、経の屁である必要はなかったのだ。
「そうだね! 今までで一番怒りそうだから、お墓まで持って行くことにするー」
「そこまで喋らずにいられるの?」
「頑張るよー」
やる気があるのかないのかわからない間延びした姫海の声を耳に入れながら、工自身も絶対に経にバレないようにしようと心に誓っていた。
***
体育祭は順調に種目を消化していく。
玉入れでは、姫海が味方である男子に玉を当てまくるという偉業を成し遂げ、満足そうな笑みを湛えて倒れる男子が続出。なぜか女子に当たらないことを不思議に思われながらも、当然玉入れは三学年中の最下位という結果だった。
借り物競争に出た工は「大切なもの」と書かれた紙を引いていた。一瞬だけ考えるそぶりを見せた工に、書いてある内容が見えた女子たちがそわそわし始める。だが、少し考えたあとに工が走り出した先は校舎。持ってきたのは愛用のパソコンで、崩れ落ちる女子を見て経が静かに引いていた。
そしていよいよ大詰め。残るは学年別対抗リレーと、最後の出し物のみとなった。
「さて、いくか工」
「あーうん。僕のあとが経だっけ?」
「頑張れー二人ともー」
立ち上がった経に呼ばれて、工も重い腰をあげた。
「やりたくない」
「ま、情報学科じゃお前が一番早いんだし。仕方ないだろ」
「……はあ」
借り物競走で持ってきてしまったパソコンを姫海に託し、工は待機場所へと重い足を引きずるように進める。
「そういやビデオに撮るんだろ? 持ってきたのか?」
「これ終わったら取りに行くよ」
だらだらとやる気なく歩く工は、台車がおいてある校庭の端を見つめる。中はわからないように布がかけられているが、台車は全部で三台。その異様な大きさは隠しきれない。
「綺麗に撮るから任せといて」
「素直に喜べない……」
自分の屁で咲かせる花火。その映像は、素直に楽しみとは言い難いと苦笑する。
「とりあえず、さっさと終わらせよっか」
「やるなら本気出せよ」
「適当に頑張る」
学年対抗リレー、二年代表の二人。アンカーが経で、その前が工だ。各学科一人ずつ、計五人が走る。走る順番は決まってはいないが、基本的にどの学年も体育学科をアンカーにしている。
体育学科がある飛呂総合高等学校には、陸上競技用の四百メートルトラックも存在している。だが、トラックは体育祭をしている校庭とは別の場所にあるため、今回は白いテープで描かれている二百メートルトラックを利用する。
「しろがねー、さっさと並べー」
スターターピストルを構えた男性教師が、未だにゆっくりと歩いている工を急かした。少し前に工の背中を押した経は、すでに反対側の待機場所に付いている。
今回は一人百メートル。五人でバトンを引き継ぐので、合計五百メートルのリレーだ。
『さあ、体育祭もいよいよ大詰め! 学年別対抗リレーが始まります!』
放送担当の生徒が、テンション高くマイクに向かって叫ぶ。マイクを通して校庭にもそのテンションが広がり、待機席の生徒から飛ぶ応援の声も激化していく。
「位置について」
ピストルを構えた教師が、腕を空に向けてまっすぐに上げた。上げた腕と、もう片方の空いている手のひらで耳を塞いでいる。
「よーい」
第一走者が足に力を込める。
パアンッ
激しい音が空気を切り裂き鼓膜を震わせると同時に、第一走者の三人が一気に駆け出した。第四走者まで順調にバトンは渡り、現在の順位は拮抗している状態だ。
「白金!」
「ん」
叫んだ機械工学科の二年に、工がわずかに首を縦に動かした。指に当たったバトンの感触を逃さぬよう、しっかりと握りしめて走り出す。
「白金くーん!」
「きゃー」
黄色い声援には全く興味がないのか、無反応で走り抜けていく。体育学科ほどではないにしろ、高校生の中では工は足が早い分類に入る。ほとんど運動をしない文化系メンバーでは相手になるはずもなく、近かった距離がどんどんと開いていく。
「あとよろしく」
「おう」
走りきった百メートル。わずかに汗をかいた工が、経へとバトンを繋いだ。
短距離で数秒の差は果てしなく大きい。経が走り出して数秒後、一年と三年のアンカーも走り出すが、すでに経の背中は数十メートル先にある。
「一着は、二年!」
ゴールテープを切り、経はリレーでも見事に一着でゴールした。声高らかに叫ばれる自分たちの学年に、二年は全員立ち上がって雄叫びをあげる。
「よっしゃ」
「ま、当然だよね」
ゴールまで移動してきていた工が、いつも通り真顔で経の肩を叩いた。
「工が引き離してくれたからな」
ニッと歯を見せて笑った経に、工は照れ臭そうにそっぽを向いた。珍しい反応をからかおうと口を経が開こうとするが、それは叶わない。
「行くぞーけーい」
「ぐえ」
姫海が突進してきたからだ。
次はいよいよ最後の学年別出し物。一年、二年、三年と学年順で行い、教師たちが各学科の技術力などを見て点数をつける。点数は今までの競技種目で取ったものと合算され、総合点が一番高い学年が優勝だ。
「お前……まじやめろそれ」
「どれ?」
本気でわからないのか、姫海は不思議そうに首をかしげる。しかしすぐに考えるのを止め、経の腕をガシッと掴むとそのまま歩き出す。
「無駄だよ経。行ってらっしゃい」
機械いじりをしている姫海は見かけによらず力がある。容赦なくズルズルと引きずられていく経を、工は手をひらひらと振って見送った。
助ける気は無いようだ。
「さ、盛り上げるよー」
「ここまできたら、きっちりやってやるさ」
更衣室の前で手を離した姫海に、経も自分の両ほほを叩いて気合いを入れる。
「足踏んだらごめんねー」
「……大丈夫、厚めにテーピングしとくから」
姫海のあっけらかんとした言葉に、グッと立てられた経の親指。しかしその姿は、なんだかとても悲しげに見えた。