1:準備期間
飛呂総合高等学校が体育祭の準備を始めた頃。数人の男女が、とあるマンションの一室に集まっていた。
「シヴァ様、やはりあの事件の犯人は小僧かと……」
異国の城の中にある王との謁見の間。まさしくそれのように作り変えられたマンションの一室。四十畳以上ありそうなその部屋には、扉から玉座までを繋ぐ真っ赤な絨毯が敷かれていた。
歪みもシワもない絨毯の縁は金で彩られ、その上を歩くのは憚られる。
「根拠は?」
玉座に座る、シヴァと呼ばれたその男は腰まである白銀の髪を右肩から胸元に流し、非常に整った美しい顔を右に傾げた。妖しさを漂わせるその不思議な男は、どこか神々しくも見える。
「未だ見つからぬ犯人と原因。そして、被害が起きた現場の中心にいて、なんの影響もなく帰還したその小僧。物的証拠はまだ見つかっていませんが、可能性は十分高いと思います」
白銀の髪の男をシヴァと呼び、その前で片膝をついてうやうやしく頭を下げる男。その男の言葉に、シヴァは右手を顎に当てて考えるそぶりを見せる。
「確実であれば是非引き入れたい。証拠を持っておいで」
「は!」
ニヤリと笑い、男は立ち上がった。
立ち上がったその男は、警察官として経の取り調べに同席していた男。中荷平だった。
***
場所は変わり、ここは飛呂総合高等学校の廊下である。
「緒澤さん。よかったらこのあと――」
「ごめんねー。今アタシ忙しいんだー」
少人数用の工房に引きこもっている姫海がその部屋を出るたびに、ひっきりなしに声をかけてくる男子生徒達。姫海は内容を聞くこともせずバッサリと切り捨てると、製作に必要なものを取りに走り去っていく。
残るのは、生気が抜け、漫画のように白黒になった男子生徒だけだ。
「もー! 工くんいないと進まないのにー」
そして今回部屋を飛び出したのは、工を探すため。
姫海が現在作っているのは、体育祭で使う経の屁を使った花火。正確には屁に含まれる可燃性ガス、メタンや水素などを使った花火だ。
機械や装置の製作に関して姫海の右に出るものはいないのだが、爆破させるための成分調整になってくると話は違う。あくまで、姫海の知識は機械製作系オンリーだからだ。そこで役に立つのが、工の情報収拾能力と頭の良さである。膨大に詰め込まれている知識はパソコン関係だけに留まらず、楽しそうだと彼が認識したもの全てと幅広い。
花火を「屁」から作りたいと言えば、工は正しいと思われる情報をありとあらゆる手段を使って引っ張ってきてくれるのだ。
「工くーん!」
叫びながら廊下を駆け抜ける。
形は大体決まったのに、なんの物質を使うかわからなければ先に進めない。入れる容器の材質などは、工に聞かないとわからないのだから。
「あ、姫ちゃん!」
「ん? あ、好那ちゃん?」
廊下を駆け抜けていく姫海に声をかけたのは、服飾学科二年の富久河好那。赤縁メガネに黒髪ツインテールの富久河は、ずれてしまったメガネをあげて止まってくれた姫海に駆け寄る。
「どう? 考えてくれたかな」
「えっと、工くんと台車で踊るってやつ?」
黙っていれば美女。黙っていれば美男な二人。学校では結構な注目の的である工と姫海は、全学科一致で花形の台車に乗って欲しいと頼まれていたのだ。
「んー、工くんに聞いてはみるけど、多分楽しくなさそうって断られると思うなぁ」
「そっかあ……あ、じゃあ須賀志くんは?」
「経はゴリ押せばいけるね。絶対」
代理で出された経も、工には劣るがまあまあ整った顔をしている。女子曰く、若干低い身長と、普通すぎる顔が惜しいのだとか。
ただ、性格的には文句なし。社交的で明るく、ちゃんと話も聞いて返事をくれると彼氏にしたい男子ランキングでは工よりも上位だ。
「よし! じゃあダンスもできるだろうし、須賀志くんで衣装作っとくから口説き落とすのよろしくね」
「まっかせといてー」
散々な扱いをされたのち、経は自分の知らぬところでパレードのメイン役に抜擢されてしまったのだった。
***
「ねぇ、爆弾作ろう」
「何物騒なこと言いだしてんだお前は」
姫海が校内を走り回っている頃、工と経は学習室にいた。学習室の入り口付近には、複数の机と椅子が並べられ、その奥には扉のついた個室が用意されている。四人まで利用できる大きめの個室で、経は工が開いているパソコンを覗き込んでいた。
「煙幕に音つけたり」
「……楽しそうだな、おい」
ゆるく弧が描かれた工の唇。普段無表情な工は、心底楽しい時だけこのようにわずかに口元が緩むのだ。そのことを知っている経がジト目で睨むが、工は気にするそぶりもなく作り方をパソコンのメモ帳に書き留めていく。
「とりあえず花火の作り方はこれでいいかな」
「なあ、聞いてる?」
「聞いてはいる」
パソコンを閉じて立ち上がった工に合わせるように、経がガラス張りになっている個室の扉を開けた。
「工くーん」
その瞬間。スパーンと聞こえてきそうな勢いで学習室の扉が開かれた。
犯人は声ですぐにわかった。そう、姫海である。
「あ、いたー。ついでに経も発見」
右手を目の上に当てて遠くを眺めるような動作をしたあと、姫海はニンマリと笑った。学習室にいた他の生徒たちは、またか、というような顔をしたあと各々開いていた教科書やパソコンに視線を戻す。
姫海の奇行は、今年入って来たばかりの一年にすらすでに周知されているのだ。
「探したよー。もうあとは組み立てるだけなんだからね」
「花火は調べ終わったよ。あとは、素夫さんにお願いするだけ」
姫海が工に視線を向け、それを受け止めたあと今度は二人して経を見つめる。
「……はいはい、今から向かうか」
意味を理解した経は深いため息を吐き出して、必要なものをもらいに素夫のいる病院へと向かった。
***
「これと、これじゃな」
運びやすいよう、液体にされた各物質が工へと渡される。パソコンを入れているカバンがある程度の衝撃に耐えられるため、液体を運ぶ係に任命されたのだ。
「ありがとうございます」
お願いしていた液体を全て受け取り、確認しながらカバンへと詰めていく。
まるで麻薬の売買現場のようだな、と経は思いながら、その光景が終わるまでソファに座ってただ待つ。目の前では、自宅のようにリラックスしている姫海がせんべいを食べつつお茶を飲んでいた。
「で、結局俺は体育祭なにすりゃいいの?」
「あ、忘れてた」
もそもそとせんべいを頬張っていた姫海が、醤油でペットリとした指を舐めとる。
「ねー工くん。パレードの花形の台車に――」
そして、経の質問を華麗にスルーして、富久河からされたお願いをとりあえず工に伝えてみた。
「やだ、楽しくなさそう」
「やっぱりばっさりー」
そして予想通りの反応に、落ち込むこともなく顔を経に向ける。
「じゃ、経よろしくねー」
「は?」
意味がわからないと顔を歪めた経には目もくれず、姫海は素知らぬ顔で次のせんべいに手を伸ばした。もう、自分の役目は終わったと思っているのだろう。
「俺、都合のいい男ってやつ?」
「ぴったりじゃの」
「僕もそう思う」
同意した二人を睨みつけ、経も目の前のせんべいへと手を伸ばした。
「……姫」
「んー? お、ようやく慣れたのかなー?」
せんべいを噛み締め、飲み込み、少し思案したあと経は姫海の名を呼んだ。ニヤニヤと嬉しそうに笑う姫海は、せんべいに伸ばしていた手を止めて経の方へ身を乗り出す。
「体育祭、俺はなにすんの?」
そんな姫海の肩を押し距離を空けると、少し前にもしたはずの、完全に忘れ去られていたと思われる質問をもう一度投げかけた。
「んーとね、花火作りの手伝いと、アタシとメインの台車でダンス!」
「お、まえと……ダンス?」
「ひーめー」
開いた口が塞がらないとはこのことだろう。経は姫海を見つめ、口を開けたまま固まってしまった。
「ねぇ、姫」
「ん?」
食べ過ぎたのか、姫海がお腹をさすりながらソファに深く身を預けた。工はそんな姫海の隣に腰を下ろしつつ声をかける。
「超、運動音痴なのに平気なの?」
「経が頑張るよ。きっと」
「俺頼みかよ……」
超の部分に力を込めて言い切った工。だが、姫海も自分が運動音痴だとは理解しているため、怒ったりはせずに全てを経にまるっと投げた。
そう、姫海は運動音痴なのだ。
走ること自体はさして問題はないし、遅くもない。だが、道具を使ったり、リズムをとったりするようなことは一切できない。ダンスなども基本的には覚えられない。機械を作ることにのみ興味を、やる気を振り切ってしまった残念女子。それが姫海だ。
ちなみに、工は経ほどではないが運動はできる。適度に筋トレも実はしている。ただ、やる気がない。
「姫ちゃんはどんな服着るんじゃ?」
「ヒラッヒラドレスの予定だよ」
話を聞いていた素夫が、気になったのか衣装について質問を投げた。答えると同時に姫海がくるりと一回転して見せてくれたからか、今は楽しそうに拍手を送っている。その素夫の隣では、経が深く長いため息を吐き出していた。
「足踏まれる数、一桁で済むかな」
「御愁傷様」
ぽんっと優しく叩かれた背中が、なんだかやけに痛く感じた。