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すかしっぺ・ヒーロー  作者: 緋雨
第3章 GFU爆発
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2-2:おならまみれの猛特訓

 元に戻していた右手の指輪の安全装置を再びずらし、ボタンを準備した。だが、ここで押してしまっては持っているGFUが割れてしまうので、指と指の隙間は開いた状態をキープする。

 先ほどとは違う色。青のGFUをしっかりと握りしめて、左手に扇子、右手にバットという不思議な武装をした全身黒ずくめの工へと突っ込む。

 経の突進を防ぐため、工は右手に持っていたバッドを左から右へと大きく横薙ぎに振り抜いた。経はバットの下をくぐることで簡単に避けたが、工は扇子を捨てて両手でバットを掴むと遠心力がかかり遠ざかったバッドを力任せに引き寄せ、今度は右から左にバットを振り抜こうとした。

 経の今の位置では、止めることも避けることも難しい。

 瞬時に足を踏ん張り、経は曲げていた腰を伸ばした。そして、バッドを握っている工の両手首を左手で掴み、できる限り勢いを殺す。さらに、手首を掴んだタイミングで開いていた右手の指の隙間をゼロにした。

 ボタンを押した感触が指に伝わり、食い込んできて少しだけ痛い。

 完全には止め切れていないバッドの勢い。このわずかな間にも、確実に経までの距離を縮めてきている。


「顔面に喰らいやがれ!」


 だが経は冷静に、青のGFUを握っている右手を工の顔面へと突き出した。


「あ」


 珍しい間の抜けた工の声と、GFUが割れる乾いた音が重なる。


「はーい、そこまでー」


 マイクを通じて、姫海の元気な声が二人の鼓膜を激しく揺らした。声に従うように工はバットを下ろし、投げ捨てた扇子を拾い上げると腰につけていた袋の中に再びしまう。


「今の攻撃で工くん眠っちゃったから止めるね。扉から戻ってきてー」


 リアルタイムに物質量を確認していた姫海は、彼女が今いるコントロールルームに置かれた工のパソコンで相応の効果が期待できる物質の量を確認しながら訓練を見ていた。さらに、眠る、目を開いていられなくなる、尋常じゃないかゆみが出るなど、人体に強く影響が出ると予測される量の物質を工のガスマスクにつけた装置が計測した場合、即座に訓練を止られるようコントロールルームのアラームが鳴る設定をしていた。今回の睡眠ガスはかなりの威力があったようで、今の顔面への一発で即眠りに落ちる代物だったようだ。

 工と経はガスマスクをつけている顔を見合わせてから、この部屋の中で唯一の扉へと足を進めた。扉に入るとそこは二メートル四方の簡易更衣室になっており、ここで服の着脱ができる。


「ほい、じゃーマスクはとってOKです」


 簡易更衣室の中も、空気中の物質を調べることができるようになっている。二人の体についていた危険物質がなくなった、もしくは影響を及ぼさない量になったことを確認し、姫海がマイクから指示を出した。


「あっちぃー」

「マスクが一番暑い」


 声を聞くなり、暑苦しいマスクを二人は同時に脱ぎ捨てる。特訓のためのスペースもクーラーが効いてはいるが、動いている二人にはまるで意味をなさない。クーラー程度では着ているラバースーツの表面が冷える程度で、中まで温度を伝えてくれないのだ。

 特に、顔面を覆っているマスクは特殊なフィルターを介していて、呼吸をする時以外空気の動きがない。ガスを吸い込まないために一番必要な道具ではあるが、あり得ないくらい熱がこもる。

だが、再び訓練をする予定なので全てを脱ぐことはまだできない。ひとまずマスクだけでも脱げたことにホッとしつつ、置いてある水で喉を潤した二人はようやくコントロールルームに繋がるドアを開いた。

 椅子に座り、その椅子を左右に揺らしながら楽しそうにしている姫海の格好は、薄ピンクの半袖Tシャツにジーンズ生地の半ズボン。Tシャツからは、わずかに黒のキャミソールが見え隠れしている。


「お疲れー」

「お前も少しは暑い思いしろよ」

「大丈夫! 熱い想いがあるから!」


 成立しないキャッチボール。

 ただでさえ暑く、そのやりとりが無意味だとわかっている工は無言のまま置いてあったパイプ椅子に腰を下ろした。


「あれだね、最後のはまさしくにぎりっ……んん。自重しよう」

「遅えよ」


 楽しそうに笑う姫海に自重する気は無いのだろう。


「僕もろに食らったけどね、握りっぺ」


 ただでさえ笑える状況なのに、工が真顔で駄目押しの爆弾を投下した。それにより、ギリギリ耐えていた姫海の腹筋は崩壊した。

 ヒーヒー言っている姫海を横目に見ながら、工は彼女がまとめていた資料に目を移す。

 機械いじりは得意な姫海だが、パソコンを操作すること自体はそこまで得意では無い。今回も工のパソコンを貸してもらってはいたが結局諦めて手書きにしたようで、机の上には細かい効果と具体的な数字が数ページにわたり書き込まれたノートが置かれていた。

 物質ごとに表示された数値の詳細は、姫海にはわからない。なので、特訓後に工が素夫と一緒に記録を確認し、別でまた資料を作成する予定だ。


「うわ、最後の握りっぺやばいね」

「……連呼すんな」


 突っ込むのに疲れたのか、若干諦めたのか。力ない声で呟いた経は、工の隣にパイプ椅子を移動させると腰掛ける。


「周りの人が卒倒した理由がよくわかる」

「…………」


 事件を思い出したのか経は黙り込み、工もそれ以上は口を開かずに紙を見つめた。


  KF(ケイファート)イソフルラン(呼吸麻酔薬):濃度5%

  KF(ケイファート)クロロアセトフェノン(催涙ガス):検出量0・6mg刺激閾値(しげきいきち)0・3mg)


 KFは、経から出た物質の総称。続く物質名が現存する物質の中でもっとも性質が近いものの名前だ。

 イソフルランは、通常、0・5%の濃度から徐々に手術などに適した濃度に上げ、最大でも4%の濃度で利用するようにと説明がされている。そして、クロロアセトフェノンでメモされている刺激閾値とは、人間が反応を起こすのに最小限必要な刺激の強さのことだ。書かれている数値を見ればわかるように、二つとも基準となる数値よりかなり多い。特にクロロアセトフェノンに関しては、工が扇子でガスを吹き飛ばしているにも関わらず、刺激閾値の倍も検出されている。


「すごい結果だよね」


 笑いが収まったのか、姫海が工と経の間からヌッと顔を出した。


「催涙ガスの方はある程度成分調整する必要があるけど、催眠ガスに関してはいっぱい吸い込んでも副作用が出る可能性はゼロっておじいちゃんが言ってたんだよね」

「それって」


 通常、そこまで強い効果を持ったものは人体に悪影響を及ぼす。だが、経が作り出したものは副作用の心配もなにも無い画期的なものだったのだ。


「うん。たとえこれから戦うことがあったとしても、その人が経の力で今後動けなくなったりとか、死んじゃったりとかすることはないよ」

「っ……」


 力強く背中を叩いてきた姫海に、言葉が詰まる。けれどそれは痛みからではない。睡眠ガスに関してだけではあるが、人を傷つける心配がないとわかった安堵感からだ。


「かゆみを起こす物質も、このあと確認出来次第強さを調節する。万一がないように……何かあった時にも、経が躊躇なく全力で戦えるように」


 無言で姫海のまとめたノートに視線を落としていた工が、開いていたノートを閉じて顔をあげた。

 今は、まっすぐに経を見つめている。


「まあ、何も起こらないかもしれないけどね」

「心からそう願ってるよ」


 経と工は真顔で視線を合わせたあと、ほぼ同時に苦笑した。

 その後、暑さのせいかかなりのスピードで消耗していく体力の関係で合計三回で訓練は打ち止めとし、初めての戦闘訓練はまあまあの成果をあげたのだった。


「一番の課題は通気性だねえ」


 訓練終了後、シャワー室で汗を流して出てきた経と工に姫海が真面目な顔で呟いた。

 クーラーをつけているにも関わらず滝のように流れ出る汗。さらに工に関しては、ガスが充満しているせいで気軽にマスクを取って水分補給ができない状況なのだ。


「それ解決しない限りもう着たくない」

「俺はそもそも屁を他人にぶつけたくない」

「夏休み明けまでになんとかするからそれまで我慢してー」


 経の言葉は見事にスルーされた。楽しそうに笑う姫海の声だけが、オレンジ色に染まる道に響いている。

 夏休み終了まで、あと一週間。

 特訓内容で得た結果は素夫と共有し、成分量の調節などをする必要もある。


「じゃあ、あと一回だけね」


 成分量の調節には今日の訓練だけだと情報が足りない。それがわかってしまった工は、ため息混じりに呟いた。


「やった!」

「……まじか」


 対照的な反応をする姫海と経。二人を視界に入れてから、工は姫海から預かったノートを見えるように持ち上げる。


「このノートは素夫さんに預けるんでいい? 僕らが持ってたら、何かあったときに守れないから」

「わかった」

「いーよー」


 本当に誰かが狙っているのかどうかはまだわからないが、それでも管理は厳重にしておくに越したことはない。そう言った工に二人は同意する。


「じゃ、今日はこのまま三人でじいちゃんとこ行くか」


 訓練の際には三人でノートを取りに病院へ行き、訓練が終わったらノートは三人で病院へと戻す。この動きを徹底しようと言葉を交わし、三人は病院へ向けて足を動かした。

 他愛ないことを話しながら歩く道のり。

 この訓練が、この日々が、無駄だったけど本当に楽しかった。そう言って笑い会えることを、口にはしなかったが三人全員が願っていた。

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