カトリーヌ・ローゼン
パトリスが不安に思う気持ちもわかるが、お父様のおそばには、いつもお母様がついていることだし、お父様と王様の間に何らかのトラブルがあるとしても、きっと大丈夫だろう。
私は、今思った通りのことを述べ、パトリスを励ました。
「心配ないわ、パトリス。お父様のおそばには、いつもお母様がいるんだもの。何があったって、絶対大丈夫よ」
あまり論理的ではない励ましだったが、それでもパトリスは幾分か元気になったようである。お母様――聖女クリステルの存在は、それだけで人の心を勇気づける力があるのだ。
「確かに、その通りですね……聡明で思慮深い奥様がいてくださるのですから、何も心配する必要はないのかもしれません」
パトリスはそこで一度言葉を切り、エントランスホールの高い天井を見上げるようにして、話を続ける。
「以前のローゼン公爵夫人――つまり、ミリアムお嬢様の生みの母である『カトリーヌ・ローゼン』様が突然お亡くなりになられた時は、どうなることかと思いましたが、クリステル様のような素晴らしい方が旦那様に嫁いでくれて、本当に良かったと思いますよ」
以前のローゼン公爵夫人……
私の生みの母である『カトリーヌ・ローゼン』お母様、か……
ちょっと気になって、私はパトリスに尋ねる。
「ねえ、パトリス。カトリーヌお母様って、どんな人だったの?」
「そうですね……カトリーヌ様は、少々おっとりとしたところがおありでしたが、とてもお優しく、美しい方でした」
「へえ……」
「カトリーヌ様は、物語を書いたり、読み聞かせをなさるのがお好きで、幼いミリアムお嬢様に、よくご自分で作られた絵本を読んで差し上げていましたよ。覚えておられませんか?」
私は、首を左右に振った。
本当に、ほんの少しも、カトリーヌお母様に対する記憶は残っていなかった。
パトリスの話を聞く限り、カトリーヌお母様はとても愛情深く、優しい人であり、幼い私を目いっぱい可愛がってくれていたのだろうに、そんな優しい実母のことを少しも覚えてないと思うと、なんだか凄く申し訳ない気持ちになった。
俯いてしまった私を見て、パトリスは小さなため息を漏らした。
「無理もございませんね。カトリーヌさまがお亡くなりになられた時、ミリアムお嬢様はたったの6歳……いや、7歳? あれ……8歳だったかな……? おやおや……これはいけませんな。このパトリス、老いゆえに体は錆びついてきましたが、頭の方はまだまだ冴えているつもりでしたのに……まったく、歳はとりたくありませんな」
照れくささをごまかすように、おどけて笑うパトリス。
私も、彼を真似て笑った。
「いいのよ、無理に思い出さなくて。私も小さい頃の記憶はハッキリしないから、お相子だわ。さて、私たちも、そろそろ他の皆みたいに、活動を開始しなくちゃね。朝から大変だったけど、気持ちを切り替えて、今日も一日頑張りましょう」
私はそう言うとパトリスに別れを告げ、軽く食事をとり、屋敷を出た。
フランシーヌに会いに行くためだ。
流石に、昨日の今日で、もう『職業安定所』ができているとは思わないが、それでも、会社がどれくらい形になったのか、気になって仕方がなかった。
あと、昨晩のフェリスのアドバイス通りに、フランシーヌのお父さんの会社――クレメンザ商会が運営している鉱山の危機管理について、ちょっとは考え直してもらえるように、意見を言うつもりである。