一触即発
お父様は、いつまでたってもどこうとしない私に焦れたように、深く長い息を吐いた。それから、不自然なほどの寛容な笑みを浮かべ、滔々と言葉を紡いでいく。
「……ミリアム、ワシがお前のことを、世界で最も大事に思っていることは知っているね」
私は、頷いた。
お父様も頷き、話を続ける。
「お前の背後で縮こまっている無能な使用人たちは、報告すべき仕事を怠り、そのせいでワシは、愛するお前を、不当に叱責しなければならなくなった。それでも、正直に謝れば許してやるつもりだったが、そいつらはワシの温情を踏みにじった。だから、罰を与えるのだ。わかったらどきなさい」
私は一度深呼吸し、覚悟を決めてお父様に物申す。
「お父様が、みんなを許すと約束してくれるまで、何があってもどかないわ。さっきも言ったけど、夜遅くに連絡した私が悪いのよ。罰なら、私に与えてちょうだい」
緊張感から、額にじわりと汗がにじむ。
お父様は、笑顔のまま私を睨んだ。
その、相反する感情が同居した、狂気の笑みに圧倒されそうになりながら、私はお父様を睨み返した。
痛いほどの沈黙が、ローゼン邸のエントランスホールを支配する。
それを打ち破ったのは、場違いなほどに優しい、おっとりとした声だった。
「まあまあ、二人ともどうしたの? そんなに怖い顔して」
声の方向を見る。
そこには、柔らかな笑みを浮かべたクリステルお母様がいた。
お母様の優しい笑顔を見た途端、張り詰めていた緊張が、一瞬で解けたのが、自分でもよく分かった。
緊張が解けたのは私だけではないようで、背後にいる使用人たちも、お父様も、スッと力が抜けたみたいである。……お母様には、場を和ませる不思議な魅力があるが、今ほどそれをありがたいと思ったことはない。
お父様は、先程までの狂乱ぶりが嘘のように表情を緩めると、優しいお母さんに甘える子供のように、唇を尖らせて言う。
「おお、クリステル。お前からも言ってやってくれ、ミリアムが頑固でな、ワシの言うことを聞かんから困っておるのだ」
その様子は、私の良く知る、子供っぽくも優しいお父様の姿そのものであり、これまでの怒り狂った振る舞いは、何かの間違いだったとしか思えないほどだった。
クリステルお母様は、お父様から、今ここで起こっていたことの全容を聞くと、限りなく優しく、限りなく穏やかに、お父様をなだめた。
「あなた。ミリアムのことでカッとなってしまったのかもしれませんが、大切な使用人たちを傷つけるようなことをしてはいけませんよ」
「う、うむ……そうだな……ワシとしたことが、少々むきになってしまったようだ」
「本人も分かっているようですが、夜になって急に連絡したミリアムにも問題があるのです。いたずらに使用人たちを責めるのは、貴族――それも、名誉ある公爵として、恥ずべきことですわ」
「む、む、む……まったくもってその通りだ……ワシは、自分のしたことが恥ずかしい……」
お母様に諭されるうち、大きな体が萎んでいくみたいに委縮したお父様は、こっちへつかつかと歩いて来ると、岩のような両手を私の両肩に静かに乗せ、呟いた。
「ミリアム、どいてくれるか。使用人たちに謝りたい」
「絶対に、みんなに酷いことしないって、約束してくれる?」