幸福な眠り
そう自分を納得させ、すんすんと鼻を鳴らし続けていると、フェリスは私が何をしているかに気がついたらしい。カァッと顔を赤くして、私の肩を揺すってきた。
「ちょっ、ミリアムっ、何してるの?」
「見ての通り、あなたの枕の匂いを嗅いでいます。これはとても良い香りです」
フェリスの枕の香りでハイになっている私は、自動翻訳っぽい台詞を棒読みで読み上げた。それでフェリスはますます赤くなり、私を枕から引っぺがそうとする。
「駄目よ、そんなことしないで、恥ずかしいわ……っ」
うん。
確かに、自分の寝具の匂いをかがれるのは、恥ずかしいだろう。私も同じことをされたら、たぶん、今のフェリス以上に真っ赤になってしまうに違いない。
しかし、この蠱惑的な香り。
お日様のような優しさの中に、ある種の魔性が含まれているようで、とてもあらがえない……
私って、実は匂いフェチだったのかしら?
ごめんねフェリス。
もうちょっとだけ。
あと十秒でいいから、このままでいさせて。
そんなことを思っているうちに、深く重たい眠気が、頭の芯から広がってくる。
その眠気は、まさしく睡魔となって、たちまちのうちに私の全身を支配した。
ふぁ……
ねむ……
幽霊に脅かされたせいで、かなり神経が高ぶってたんだけど、今こうして、フェリスの香りに包まれたことで、やっと気持ちが安心したのかな。とにかく、もう凄く眠い……
好きな女の子の香りに包まれて眠れるって、最高の幸せよね。
このまま寝たら、きっと、素敵な夢が見られるわ。
私はかすかに残った意識で、枕から少しだけ顔を離すと、フェリスに向かって「おやすみ……」と囁いた。
そして、深い深い眠りに、落ちていくのだった……
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翌朝。
心地よい睡眠で、すっきりと目を覚ました私は、出勤するフェリスと共に『こめつぶ荘』を出た。当然、幽霊たちのいる廊下を再び通ったのだが、まるで、昨晩のことはただの夢であったかのように、彼らは物音一つ立てなかった。
柔らかな陽光に包まれた、早朝の街。
白いモヤがほんのりと立ち込める石畳の路地を、フェリスと肩を並べて歩きながら、私は口を開く。
「幽霊さんたち、今朝は随分と静かだったわね。やっぱり、昨日あなたに叱られたのが効いてるのかしら?」
昨日、少し寝るのが遅くなってしまったせいか、フェリスは「ふあぁ」と小さくあくびをして答える。
「うーん……たぶん、関係ないと思うわ。普段から、朝は皆、静かなのよ」
「そうなんだ。もしかしたら、生きている人間と逆で、幽霊は朝日が昇ると、寝ちゃうのかもね。お化けが出るのって、だいたい夜だし」
「ふふ、そうかもしれないわね」
そんなことを話しているうちに、『犬のしっぽ亭』に到着だ。
せっかくなので、私も中に入り、開店作業を手伝ってから、店長さん、おかみさん、フェリスに別れを言い、店を出る。
時刻は、いつの間にか朝7時を回っており、先程までよりもずっと力を増した初夏の太陽が、燦燦と街並みを照らしていた。
「朝からこの日差しじゃ、今日はきっと暑くなるわね」
眩しい太陽を手で遮りながら、一人そう言うと、私はローゼン邸に帰ることにした。このままフランシーヌの家を訪問して、職業安定所設立についての進捗状況を聞きたかったが、まだ、人様のおうちにお邪魔するには早い時間だし、何より、一度は自分の家に帰った方がいいと思ったのだ。




