長い廊下
『絶対に返事をしちゃ駄目よ』
そう主張しているのだ。
とても、真剣な瞳で。
もう何が何やら分からないが、私は頷き、フェリスと手をつないだまま、ゆっくりと廊下を進んで行く。すると、またしても明るい子供の声が聞こえてくる。
「ねえねえ、その人はだあれ? とってもきれいな人ね♪」
フェリスは、返事をしない。
だから私も、返事をしない。
「無視しないでよ~♪ おしゃべりしようよ~♪」
フェリスは、口を開かない。
だから私も、口を開かない。
「今日は、どんな一日だった~? 聞かせてほしいな~♪」
フェリスと私が廊下を踏みしめる、ギシギシという乾いた音だけが、木霊する。
もう半分は進んだので、突き当たりにあるフェリスの部屋まであと少しだ。
「え~ん、え~ん……さみしいよ~、かまってよ~……」
悲しげな子供の声に、私の胸はチクリと痛んだ。
だが、フェリスが振り返り、今までにない険しい顔で首を横に振ったので、結局私は、何も言葉を返さなかった。
フェリスの部屋まで、あと4メートル。
「どうして話してくれないの~……ねえ、どうして……どうして……?」
フェリスの部屋まで、あと3メートル。
「わたし、いい子だよ? イタズラなんてしないよ? 話そうよ……」
フェリスの部屋まで、あと2メートル。
「おいしいケーキもあるよ。それとも、クッキーのほうが好き?」
フェリスの部屋まで、あと1メートル。
「おい、無視してんじゃねぇよ、殺すぞ」
そして、フェリスの部屋の前。
フェリスがドアを開けると、私は逃げ込むようにその中に入った。
自分で自分の体を抱きしめるようにして、ずっと閉じていた唇を開く。
「こ、こ、こ、怖かった……な、なんなの、今の……?」
私の声は、震えていた。
いや、声だけじゃない。体もかすかに震えている。
可愛くて朗らかだった子供の声が、いきなり鈍重なものに変化したときは、思わず悲鳴をあげそうになってしまった。
フェリスは部屋の明かりをつけると、もう大丈夫と言うように、私を抱きしめてくれた。そして、私の震えが収まると、静かに語り始める。
「今のは、この家にとりついてる、地縛霊の声よ」
「じ、地縛霊って、つまり、幽霊のこと?」
「うん。……この家、新しくて、立派でしょう? 一年前に、どこかの会社の社長さんが、建てたんだって。でも、家ができてから半年後に、事業が大失敗して、社長さんも、奥さんも、その子供も、みんな、この家で、心中したらしいの」
「じゃ、じゃ、じゃあ、ここって、いわゆる事故物件じゃない!」
それで、納得した。
だから、建物も立地も良いのに、極端に家賃が安かったのね。
私はあわあわと手を振り、悲鳴に近い声を上げる。
「こ、こ、こ、こんなとこ、すぐ引越ししましょう! い、いつ、部屋の中に幽霊が入って来るか、わからないじゃないっ!」
もう半泣きの私とは違い、フェリスは落ち着き払った様子で微笑んだ。
「幽霊が部屋に入ってくることは絶対にないから安心して。あの子たちが生者に干渉できるのは、あの廊下だけなのよ。ほら、もう声どころか、かすかな物音すら聞こえないでしょう?」




