ルール
「ううん、これでいいのよ。この鍵なら、まず泥棒に入られる心配はないしね。ちょっと鍵の開け閉めが面倒なくらい、どうってことないわ。……間違っても、『ルールを知らない人』をこの家に入れるわけにはいかないから」
ん?
フェリスってば、今ちょっと、変なこと言ったわね。『ルールを知らない人』をこの家に入れるわけにはいかないって、どういう意味かしら?
私が口を開き、今思った通りのことを尋ねようとする前に、フェリスはいささか真剣な顔で私に向き直り、言う。
「あのね、ミリアム。この玄関ドアを開けると、共用部分の廊下が真っすぐ続いてるの。それで、廊下の突き当たりの左側が私の部屋なんだけど、そこに入るまでは、何があっても、喋ったりしないでほしいの。『えっ』とか『あっ』程度の小声なら大丈夫だけど、絶対に大きな声で返事をしちゃ駄目よ」
……なんて、奇妙なことを言うのだろう。
ここに来る道すがらで聞いた話では、『こめつぶ荘』には他に居住者はいないようだし、周囲の家ともかなり離れているので、騒音問題は発生しようがない。声には気をつけなくていいはずだが。
私は、先程とは反対の方向に、大きく首をかしげて、聞き返した。
「なんで喋っちゃ駄目なの?」
「それが、『ルール』なの。ミリアムが緊張して警戒すると、『みんな』がその影響を受けて攻撃的になるし、危険だから、これ以上は話せないけど、廊下の途中じゃ絶対喋らないって、約束してくれる?」
みんな?
攻撃的になる?
危険?
……なんだかよくわからないけど、私が約束することでフェリスが納得するのなら、約束しよう。私は「わかったわ」と言い、素直に頷いた。
それに呼応するようにフェリスも頷き、それから玄関ドアを開けた。
私は、フェリスの後を追うようにして、『こめつぶ荘』の中に入る。
その際、思わず『お邪魔します』と言いそうになって、慌てて口をつぐんだ。
中は、とても暗い。
今晩は月がそれなりに明るいので、窓の多い家なら、ランプなどを使わなくても、外からの光を取り入れることができ、けっこう明るく見えるだろうが、『こめつぶ荘』の中は、黒いペンキで塗りつぶしたかのように真っ暗だ。
だが、少し経って暗闇に目が慣れてくると、長い廊下が見えた。
長いと言っても、我がローゼン家の超絶長い廊下にはかなわないが、それでも10メートル以上はある。一般的なおうちの廊下としては、かなり長い方だろう。
それにしても、なんだか肌寒いわね。
季節はもう6月だし、閉め切った家の中なら、もっと蒸してるのが普通だと思うけど、廊下の奥からひんやりとした空気が流れ込んできて、私は思わず身震いしてしまう。
「おかえりなさ~い♪」
いきなり聞こえてきた声に、ビクッと肩がすくんだ。
フェリスの声じゃない。
もっと幼い、子供の声だ。
なんだ、やっぱり他にも、居住者がいるんじゃないの。
私は背伸びをするようにして、廊下の先に目をやった。
……どこにも人影はない。
誰だかわからないが、明るい声で『おかえりなさい』と言ってくれたのだから、『ただいま』と返すべきかなと迷っていると、ギュッと私の手が握られた。
これは、フェリスの手だ。
暗闇の中、彼女はこちらを振り返ると、唇に人差し指を当て、小さく顔を左右に振る。