こめつぶ荘
その後、閉店時間まで『犬のしっぽ亭』にいた私は、せっかくなので店じまいの作業を手伝い、フェリスと共に帰路につく。
相変わらず暗い街灯の下を、二人、肩を並べて歩いていると、フェリスがこちらに顔を向け、何気なく聞いてきた。
「ねえ、ミリアム。あなたのおうちって、やっぱり、門限とかあるの?」
私は、首を左右に振った。
「ううん。子供の頃はあったんだけど、今はないわ。私もある程度の歳になったわけだから、お父様が、自由にしていいって」
ある程度の歳――といっても、私はまだ16歳なのだから、世間一般の常識に照らせば、門限はあってしかるべきだと思うが、一年ほど前、ヒルデガードに夜遊びを注意されたミリアムがゴネにゴネたため、娘に激甘のローゼン公爵が門限を撤廃したのである。
フェリスは「そうなの」と短く言ってから、言葉を続ける。
「それじゃ、私の下宿先に寄ってかない? ちょっと話したいこともあるし……」
「えっ、いいの? もう夜の10時回ってるけど、他の居住者さんたちに迷惑じゃないかしら」
「ふふ、それなら大丈夫よ。私の下宿先――『こめつぶ荘』に、いま住んでるの、私一人だから」
「あっ、そうなんだ……じゃあ、ちょっとだけお邪魔させてもらおうかな」
そんなわけで、私はフェリスに先導されるようにして夜道を行き、数分の後、『こめつぶ荘』に到着した。
……で、その『こめつぶ荘』だが。
ちんまい名前に反して、意外にもしっかりとした二階建ての一軒家であり、それなりの広さのお庭まである。
前にフェリスから聞いた話では、『こめつぶ荘』の一ヶ月の家賃は、相場の半額以下だったので、かなり古い建物に違いないと勝手に決めつけていたのだが、外壁もドアもピカピカで、どう見ても、ここ数年のうちに建てたとしか思えない。
周囲の治安も、この辺りでは比較的良いことを考えれば、かなりの良質物件だ。
黒光りするドアにカギを差し込み、施錠を解いているフェリスの背中に、私は声をかける。
「ちょっとちょっと、素敵なおうちじゃない。こんないい下宿、よく簡単に見つかったわね」
フェリスはちらりとこちらを振り返り、柔らかく微笑んだ。
「ええ。私も幸運だったと思ってるわ。……まったく問題がないわけじゃないけど、慣れれば大したことじゃないし、安い賃料のおかげで、少しずつだけど貯金もできるから、本当にありがたいわ」
そこで「ガチャリ!」と、やや大げさな音を立てて、ドアの鍵が開いた。
一仕事終えた職人のように、フェリスは「ふう」と息を吐く。
……なんだか、解錠に随分と時間がかかったわね。
よく見ると、ドアにつけられている錠前は、美術館や銀行などでも使用されている、三重ロック式の厳重なものだった。このタイプの鍵は、開けるのも閉めるのも、まるでパズルのように厄介だと、何かで聞いたことがある。
こんな複雑な鍵が、一般住宅のドアに使われるなんて、めずらしいわね。
私は首をかしげ、問う。
「それ、すごい鍵ね。毎日開け閉めするの、大変じゃない?」
「最初は難しかったけど、決められた手順さえ覚えてしまえばそうでもないわ。ただ、その手順は、一つだって飛ばすわけにはいかないから、どうしても時間がかかっちゃうけどね」
「そうよねぇ。帰ってすぐ寝たいときとか、絶対面倒よね。建物を管理してる会社に頼んで、鍵、変えてもらったら?」