クレメンザ商会
私は、いつでも席を立てるように身構える。
だがおじさんは、深々とため息を吐くと、静かに口を開いた。
「この前は、すまなかったねぇ……」
「えっ?」
「あんたに、長々と絡んで、それで、あのウェイトレスさんを怒らせて、挙句の果てに手まで上げちまった。いや、本当に申し訳ないと思ってる。この通りだ」
おじさんは、巨木のような体を折り曲げ、丁寧に頭を下げた。
そして、頭を下げたまま、言葉を続ける。
「この一ヶ月間、謝りに来なきゃいけないといつも思ってたんだが、あんまりにもみっともないことをしたんで、顔を出すのが恥ずかしくてね、今日になって、やっと決心がついたんだよ。すまなかった、本当に……」
「そうだったんですか……あの、お気持ちはわかりましたから、もう頭を上げてください。フェリスがあなたを許したなら、えっと、その、もう、それでいいと思います。過去のことは水に流して、楽しくやりましょうよ」
私の言葉を受け、おじさんは「ありがたい」と言い、顔を上げた。
「あんたも、あのウェイトレスさんも、いい子だねぇ。俺は学がないもんで、ヘタクソな謝罪しかできなかったんだが、それでもあの子は、俺の気持ちを理解して、笑顔で許してくれたんだ。……あんないい子の顔を引っぱたいたなんて、我ながらこの前はどうかしていたよ。クレメンザ商会のせいで、気が立っていたんだが、それでもあの態度はない」
思わぬ言葉が出てきて、ギョッとする。
……『クレメンザ商会』ですって?
それは、フランシーヌのお父さん――『エルコーレ・クレメンザ』氏が経営する総合商社の名前だ。以前から、やや強引な手法で商いをおこなっているとのことで、評判はあまり良くなかったが、最近は特に悪い噂が多い。
今日まさに、クレメンザ氏の娘であるフランシーヌと一緒に会社を立ち上げる話をした私としては、捨て置くわけにはいかない情報だ。クレメンザ商会の悪評は、場合によっては、私の作ろうとしている職業安定所にも影響を与えかねないからだ。
私は改めておじさんに向き直り、尋ねる。
「あの、クレメンザ商会と、何かあったんですか……?」
「お嬢ちゃんみたいな若い娘さんが聞いても、面白い話じゃないよ。たぶん、愚痴になっちまうだろうしね」
「それでもいいんです、聞かせてください」
私がやけに熱心なので、おじさんは少しだけ不思議そうな顔をしたが、しばらくして、どこか嬉しげに語り始めた。内心では、誰かに話を聞いてほしかったのだろう。
「こんな中年男の愚痴を聞いてくれるのかい? 優しいねぇ。……俺は、都のはずれにある鉱山で働いているんだ。鉱山労働と聞くと、危険な上に収入も少ない、きつい仕事だと思うかもしれないが、俺たちの鉱山は、国が直轄で運営していたから、安全管理も充分で、のんびりとした職場だった。いや、ほんと、いい環境だったよ……去年まではね」
おじさんはそこで一度言葉を切り、まるで魂を吐き出すかのような重たいため息を漏らした。その後、小声で「すまない」と呟いてから、話は続く。
「今年になってね、鉱山の管理者が変わったんだ。国じゃなくて、民間企業のクレメンザ商会にね。……クレメンザ商会の考え方は、『とにかくどんどん掘れ掘れ』で、作業スケジュールは常にカツカツさ。だから、以前のように満足な安全管理ができなくなった。少しずつ怪我人も増えてきたし、このままじゃ、いずれ大事故が起きるだろう」