めっちゃ見てる
たぶん、フェリスが窓を開けた時には、もうどこかに行ってしまったのだろう。店内の人々の注目が集まれば、例のならず者のおじさんもこちらに気がつき、何らかのアクションを取ると思われるから、その前に、素早く姿を消したのだ。
本当に、場を乱したくないのね。
気配りの達人だわ。
それなのに、いざという時には、自分が悪役になってでも、困っている人を助ける思いやりと勇気、そして強さがある。
……素敵な人だな。
『犬のしっぽ亭』をごひいきにしてくれてるみたいだし、また会えるかな。
そんなことを思いながら、私は玄関から店の中に入った。
外から見ていても分かったが、店内はほぼ満員で、カウンター席もテーブル席も、赤い顔をした酔っ払いさんたちでみっちりである。
あらら。
せっかくだけど、こりゃどこにも座れそうにないわね。
その時、威勢のいい声が、私の耳に届いてくる。
「おう、姉ちゃん、こっちだこっち、ここ、空いてるぜ」
これはこれは。
ご親切にどうも。
そう思い、声の方に目を向けて、私は小さく「げっ」と言ってしまう。声をかけてきたのが、あのならず者のおじさんだということに気づいたからだ。
おじさんは、いつぞやのように、すっかり出来上がってしまった様子で、時折「ヒック」としゃっくりをしながら私を手招きしていた。
ぐるりと店内を見渡すが、空いているのは彼の正面の席だけだ。
どうやら、このおじさんと相席をするしかないようである。
黒いコートの女性の話では、彼は今日、フェリスに謝りに来たとのことなので、まあ、そんなに心配しなくても大丈夫なのだろうが、かなり深く酔っているようだし、前回が前回だったので、どうしても警戒してしまう。
だが、この流れで、『やっぱり帰りますさようなら』というわけにもいかないだろう。私は覚悟を決め、テーブルを挟み、おじさんの前に座った。
テーブルの上には、肉料理、魚料理、スナック、煮物、揚げ物と、多種多様な料理が並んでいる。一人でよくもまあ、こんなに食べられるものだ。
おじさんはスナックを一つまみし、ジョッキに入ったビールを一口、二口、三口飲むと、ぷはっと息を吐いて、言う。
「姉ちゃん、あんた、この前この店でウェイトレスやってた人だよな。仕事、辞めちまったのかい?」
「え、ええ、まあ。ちょっと、他にやらなきゃいけないことができたもので……」
「そうかい。惜しいねえ。あんたの働きぶりも、今のウェイトレスさんに負けないくらい良かったのによ」
しみじみそう言うと、おじさんは再びビールをグビグビやる。大きなジョッキの中のビールが、見る見るうちになくなっていくさまは、ある意味壮観だった。
『今のウェイトレスさん』とは、フェリスのことだろう。
私の働きぶりは、フェリスに比べると明らかに劣ると思うが、おじさんなりに、気を使ってそう言ってくれているのかもしれない。
おじさんは、とうとうジョッキを空にすると、それをドンとテーブルに置き、私を見た。
うっ……
見てる。
見てる。
めっちゃ見てる。
いい感じに酔いも回ってるみたいだし、また『ミリアムに似てる』とかなんとか言われるのかなあ。
もしそうなったら、今度はトラブルになる前に、逃げちゃおう。
私だって、そう何度もお店の空気を乱したくはないからね。




