溢れ出す感情
何を食べる時も、お母様はほとんど音を立てないので、私も音を出さないように注意して料理を口に運んでいるのだが、それでも時々は、カチャリとスプーンがお皿の底に当たる音が鳴り、気恥ずかしさに頬を染めてしまう。
そんな私を見て、お母様はたおやかに微笑んだ。
「それくらいの音なら、気にすることはありませんよ。テーブルマナーは、同席する人々に不快な思いをさせないためのもので、緊張して食事をするためのものではありませんからね。あなたの作法は、充分『淑女』と言える域に達していると私は思うわ」
国内外の人々から『聖女』と尊敬されるクリステルお母様に『淑女』と言ってもらえるなんて……
私は、これ以上ないほど誇らしく、ありがたい気持ちになった。。
その気持ちを、言葉にしてお母様に届けたかったが、もともとの貧弱な弁舌能力に加えて、感極まって頭がうまく回らないせいで、口から出るのは「あぅあぅ」という、意味不明の呻きだけだった。
お母様は、そんな私を見てうっすらと目を細め、静かに語り続ける。
「以前のあなたは、同席する相手のことなど考えておらず、給仕をする使用人たちを、よく怒鳴りつけていましたね」
「はぃ……」
私は蚊の鳴くような声でそう言い、うつむいた。
現在の『私の人格』が目覚めてから、一度も使用人に怒鳴ったことなどないが、『本来のミリアム』は、それこそ日常的に使用人たちを叱りつけていた。それを思うと、申し訳なく、情けない気持ちで胸がいっぱいになる。
「……でも、最近、あなたの振る舞いは随分と良くなったそうですね。使用人たちから『ミリアム様は別人のようにお変わりになられた』と、報告されました」
そこでやっと、私はまともな言葉を返す。
「そう、そうなの、お母様。私、その、色々あって、今までの自分の行いを改めることにしたの!」
興奮のせいで、最後はちょっと叫ぶようになってしまった。
食卓で大声を出すようでは、『理想の公爵令嬢』とはいえない……
しかし、一度火がついた気持ちはなかなか収まらず、私は溢れ出す感情のままに、言葉を紡いでいく。
「皆が喜んでくれるようなことをいっぱいして、それで、皆に敬愛されるような、素敵な人になりたいの! お母様みたいに!」
気がつけば私は、立ち上がっていた。
いけない。
食事中に喚くだけでもマナー違反なのに、立って演説まがいのことをするなんて、完全にレッドカードだ。私は急に、自分のやったことが恥ずかしくなり、顔を赤くして着席する。
ああ、みっともない。
叫んだ拍子に、お母様のお皿に、私の唾が飛んだりしていないかしら。
……だがそれは、無用の心配だった。
お母様はすでに食事を終えていたのである。
お皿はどれも、洗ったばかりのようにピカピカだ。
舐めまわしたわけでもないのに、よくこんなに綺麗に食べられるものだ。
「ごちそうさま。これ、下げてもらえるかしら。……それから、少し席を外してもらえる?」
お母様が、少し離れた場所に控えている使用人に言う。
使用人は頷き、テキパキと食器を抱え、それからテーブルを拭き清めると、食堂から出て行った。
私のそばで、一言も発さず、影のように控えていたエッダも、お母様の意を汲み、一礼して食堂を出て行く。
広大な空間に、私とお母様だけが残された。




