聖女クリステル
お屋敷に帰ると、一度自室に戻って身だしなみを整える。
ひさしぶりにお母様に会うんだから、みっともない姿を見せるわけにはいかないもんね! 気合を入れ、ふんすと意気込んだ私は、鏡に向かい、自分の容姿を丁寧に指さし確認していく。
「前髪ヨシッ、リップヨシッ、ネイルヨシッ、服装ヨシッ……うん、全部ヨシッ」
あっ、でも、走って帰って来たから、汗臭くなったりしてないかしら。
ここは一度お風呂に入って……いやいや、そんなことしてたら、昼食の時間が終わってしまう。
ちょっぴり迷った私は、エッダを呼んで、アドバイスを求めた。
「……エッダ、どう? 私、汗臭くない?」
エッダは「失礼します」と言い、私の首筋に顔を近づけると、可愛らしい鼻をスンスンと鳴らした。……うっ、自分で頼んでおいてなんだけど、これ、思ったより恥ずかしいわ。
しばらくしてエッダは顔を離すと、うっとりとした表情で、吐息混じりに囁いた。
「素晴らしい香りです……まるで、花の妖精が、春の訪れを人々に告げているかのような、甘く、馨しいフレグランス……この香りを嗅げば、争っていた群衆も怒りを忘れ、動物たちは安堵感から穏やかに眠りだすでしょう……」
「そ、そう。あなた、なかなかに詩人ね……」
突然ポエムを語りだしたエッダに若干驚くが、私の体臭は特に問題ないようで、一安心である。
そんなわけで部屋を出ると、相変わらず無駄に長い廊下を小走りにかけ、食堂に向かう
我がローゼン家の食堂は、国中の貴賓を集めてパーティーを開いたりすることもあるので、とても大きい。その広大な空間を、普段は、お父様とお母様、そしてお兄様と私――この四人しか使わないので、なんていうか、凄くもったいない気がする。
そもそも、家族四人が揃うことすら、最近ではあまりない。
お父様、お母様、お兄様、私。
皆、それぞれに忙しいからだ。
私はこの二ヶ月間ほど、寝室で朝食を食べ、大急ぎで『犬のしっぽ亭』に出勤し、昼も夜も、そこでまかない料理をご馳走になっていたので、こうして食堂に行くのは本当に久しぶりである。
両開きの豪奢なドアを開き、中に入ると、海外の歴史ドラマに出てくるような、とんでもなく長いテーブルの端っこで、純白のドレスに身を包んだプラチナブロンドの女性が、静かに食事をしていた。
クリステルお母様だ。
お母様は私の姿に気がつくと、まるで名画のように微笑んだ。
そして、口元をナプキンで上品に拭ってから、静かに唇を開く。
「まあ、ミリアム。ひさしぶりに会えたわね。あなたも昼食、いかがかしら?」
「もちろんそのつもりよ。おかえりなさい、お母様」
私は、なるべく落ち着いた声色でそう言うと、ドレスの左右を指で軽く持ち上げて、恭しくお辞儀をした。
よしっ。
我ながら完璧な『お嬢様的動作』だ。
本心は、しばらくぶりにお母様と話すことのできた喜びで、相当にはしゃいでいるのだが、気持ちをそのまま表に出し、子供のように甘えたり騒いだりするのは『理想の公爵令嬢』のすることではない。
しっかりと礼儀をわきまえた態度を取ることで、お母様に、私が成長したことを分かってほしかった。
それから私は自分の席に着くと、使用人たちによって運ばれてきた料理に手を付けた。そのまましばらく、無言で食事は続いていく。