聖務
曖昧な私の返事に、お兄様は子供のように口を尖らせた。
「言ったさ。間違いなく言った。僕の記憶では、二回は言ったと思うね」
「そっか、ごめん。お兄様の話、いつもあんまり真剣に聞いてないから……」
「ひどくない!? 僕はこんなにきみのことを愛しているのに!」
お兄様がすねてしまったので、ここで、『聖務』という一般的ではない言葉について解説いたしましょう。
解説と言っても、それほど難しい意味はなく、『聖女による奉仕任務』を単純に縮めて、『聖務』と呼んでるだけである。
そう、聖女。
ミリアムの母『クリステル・ローゼン』は、この『聖都フォーディン』で唯一、『あらゆるものを癒す力』を持つ、聖なる女性――『聖女』なのです。
『あらゆるものを癒す力』は、単なる治癒魔法とは違い、文字通り、本当に『あらゆるもの』を癒し、恵みを与えることができる奇跡の力。
人々の病気や怪我はもちろん、荒れ果てた大地を癒して肥沃な土地に変えたり、水たまり一つない砂漠を癒し、オアシスを作ったりもできるのだ。まさに『奇跡の力』と呼ぶにふさわしい、素晴らしい能力である。
悪役令嬢ミリアムが好き放題に暴虐の限りを尽くしていたのに、それでもローゼン家の権威が保たれている理由の一つは、聖女クリステルが国内外で『聖務』に赴き、ローゼン家の評判を高めていたからだと私は思っている。
聖女クリステル――お母様は、まさしく理想的な、完璧な女性だ。
その知性、賢者のごとし。
その美貌、女神のごとし
その慈愛、聖母のごとし。
年齢は、今年で三十代半ばに差し掛かるはずだが、どう見ても二十歳前後にしか見えず、私と並んでいても、姉妹としか思えないだろう。
ちなみに、ヒルデガードと同じく、乙女ゲーム『聖王国の幻想曲』本編では、聖女クリステルは登場しないし、存在をにおわすようなテキストすらない。
まあ、こんな完璧なキャラクターを『悪役令嬢の母親』として登場させたら、完全に主人公の立場が食われてしまうので、それも当然の判断だろう。
……そっか。
お母様が外国から帰って来たんだ。
自然と、胸が躍った。
私はもちろん、私の中に今も生きているミリアムの記憶も、喜んでいるのだ。
何故なら、私もミリアムも、クリステルお母様のことが大好きだから。
いや、お母様のことが好きじゃない人なんて、この聖都フォーディンには一人もいないだろう。
綺麗で、優しくて、完璧な女性。
お母様は、皆の崇拝の対象であり、憧れだ。
私は、いまだにいじけているお兄様に問いかける。
「お兄様、お母様は今、お屋敷にいるの?」
「ああ、これから昼食をとられるんだと思うよ」
「そう、じゃあ私も急いでお屋敷に帰って、お母様と一緒に食べようっと♪」
「それはいい。母上もきっと喜ぶだろう。僕はまだ仕事があるから一緒には食べられないが……」
「うん、お兄様は別にいいわ。私、お母様と二人っきりがいいし」
「う゛っ、愛する妹のキツイ言葉が、的確に僕の胸を抉る……」
辛辣な言葉を受けてションボリしてしまうお兄様に、私はぺろりと舌を出して微笑んだ。
「うそうそ、冗談よ。何度もキスしようとしたことのお返し♪ 早くお仕事を片付けて戻って来てね。皆で一緒にランチにしましょう♪」
そう言って手を振ると、私は上機嫌に屋敷へと駆け出したのだった。