親愛の情
私は立ったまま腕立て伏せでもしているみたいに、思いっきり腕を伸ばしてお兄様を押しのけようとするが、腕力の違いは歴然であり、ただの1cmだって押し返すことはできない。
ええい。
こうなったら多少の暴力もやむなしだ。
私は一度首を引いて、いい感じの位置にある、お兄様の細い顎に頭突きをした。
「あうっ!? 痛いよミリアム。何をするんだい?」
それでやっと、お兄様の抱きしめ拘束から逃れることができた。
私は山で熊と遭遇した登山者のように、警戒の姿勢を取って、言う。
「『何をするんだい?』はこっちの台詞よ! お兄様、なんでいつも私にキスしようとするの!? それも口に! 私たち兄妹なのよ!? おかしいでしょ!?」
お兄様は『いったい何がおかしいんだい?』とでも言いたげに肩をすくめ、まったく悪びれずに言う。
「親愛の情を示そうとしただけだよ。親子や兄妹でキスするなんて、どこの家庭でもやってることじゃないか」
「だーかーらぁ! 親子や兄妹のキスって、せいぜいが額か頬にするもんでしょ!? お兄様、いつも私の唇を、直球で狙ってくるじゃない! どう考えたって変よ!」
「そんなに変かな? こんなに可愛い唇なんだから、キスしたいと思わない方が、変だと思うけど?」
そう言うとお兄様は、私の唇に指をあて、涼やかなイケメンスマイルを決める。
くっ。
この女たらしのチャラ男め。
お兄様は、モテる。
それはもう、めちゃくちゃにモテる。
魔法の天才であり、名門貴族という出自に加えて、彫像と見まごうほどの美形だから、それも当然だろう。
他の女の子なら、今の浮ついたセリフでコロッと落ちるのかもしれないけど、私はそうはいかないわよ。私の好みは『聖騎士アルバート様』みたいな誠実なタイプで、こういう軽薄な男は好きじゃないんだから。そもそも兄妹だし、お兄様は恋愛対象じゃないんだけどさ。
……まあ、それはそれとして。
頭から地面に突っ込んで大怪我するところを助けてもらったんだから、やっぱりお礼は言っておこう。
「えっと、その、お兄様。助けてくれてありがとう。お兄様が空気のクッションを作ってくれなかったら、今頃この硬~い石畳に顔面をぶつけて、とてもじゃないけどこんなふうに喋ってはいられなかったわ」
私の謝意を受けて、お兄様はニッコリ微笑んだ。
チャラ男ではあるが、その笑顔は本当に美しい。
「うん、怪我しなくて本当に良かったよ。妹の美しい顔に傷がつくなんて、僕にはとても耐えられない。……それにしても、最近は随分素直になったね。前はあまり、『感謝の言葉』なんて口にしたりはしなかったろう?」
私は「あはは……そうね」と曖昧な笑みを浮かべながら、先程、フランシーヌに私が『本来のミリアム』ではないと見抜かれたことを思いだしていた。
……私と同じで、ちょっと抜けているところのあるカスティールお兄様なら、フランシーヌほどの洞察力はないだろうし、このまま普通に話を続けて大丈夫だろう。私は一度咳払いしてから、口を開いた。
「私だって、身勝手な振る舞いを後悔することだってあるし、これでも日々成長してるんだから」
「そのようだね。配置転換で僕専用のメイドになったセラやドリーも、『最近のミリアム様は、とてもお優しくなられたのですよ』と話してくれたよ」
その言葉を聞いて、胸の中がパァッと明るくなる。




