眼前に迫る石畳
地面に激突するまでのコンマ数秒間、私はほとんど一瞬で、今まで述べたようなことをあれやこれやと考え、まさに眼前に石畳が迫った刹那、恐怖から瞳を閉じた。
……
…………
………………おや?
痛くない。
衝撃もない。
もしかして、転んだと思ったのは、私の勘違いだったのかしら?
私は、恐る恐る目を開ける。
目の前には、石畳。
どうやら、転んだことは間違いないらしい。
だが、倒れた私と地面の間に、不思議な空気の層があり、その、空気のクッションとでも言うべきものが、私を守ってくれたようである。
……これ、魔法だわ。
確か、『風属性の魔法』で、『エア・ウォール』……って名前だったかな?
でも、本来の『エア・ウォール』は、空気をガッチガチに固めて、名前の通りの強固な壁を作る魔法のはず。こんなふうに、ふかふかのクッションみたいにするには、天才的な魔力コントロールが必要だわ。
そんなことを思っていると、私を包んでいた柔らかな空気のクッションは、ゆったりと上昇し、私を優しく起こしてくれた。
凄い。
まるで人間の手で、丁寧に起こしてもらったみたい。
なんて繊細な魔法のコントロール技術だろう。
いったい、どこの大魔導師様が私を助けてくれたのかと、キョロキョロ周囲を見渡す。すると、遠くに人影が見えた。きっと、あの人影が、私を助けてくれた魔法使いに違いない。
ますますもって凄い。
あんな遠距離から、的確に難しい魔法を使って、人助けができるなんて。
魔法の才能に乏しい私にとっては、まさに神業である。
私は、今度こそ転ばないように、だけどなるべく急いで、遠くにいる人影へと近づき、お礼を言おうとした。
だけど、途中で人影の正体に気がつき、踵を返して逃げ出した。
何故かというと、その『人影』が、私の良く知る人物だったからだ。
「どうして逃げるんだい!? ミリアム!?」
『人影』は、心外そうな声を上げて、私を追いかけてきた。
フゥッと、強い風が吹く。
驚いて、ちょっとだけまばたきをすると、その、ほんの一瞬で、『人影』は私の前にいた。恐らく、風魔法の応用で空を飛び、先回りしたのだろう。
私は走って逃げていたので、その『人影』の胸に、ぽふっと飛び込んでしまう。
『人影』は、嬉しそうに微笑み、私を抱きしめた。
「つかまえたよ、我が愛しい妹ミリアム。鬼ごっこをするなら、靴は替えた方がいい。また転んだら危ないからね」
……そう。
『人影』の正体は、私の兄であり、この国でも五本の指に入る魔法の天才、『カスティール・ローゼン』だったのです。
カスティールお兄様は、私とよく似たふわふわの金髪をそよ風で揺らし、爽やかに微笑んで、これ以上ないほど優しい眼差しを向けてきた。
読者の皆様の中には、実の兄に助けてもらったのに、お礼も言わずに逃げた私のことを、なんて薄情な奴だと思う方もおられるでしょう。
違うのです。
助けてもらったことは、とても感謝しているのです。
でも、すぐに逃げなければならなかったのです。
何故かと言うと……
「ぎゃー! お兄様! ストップ! ストップ!」
カスティールお兄様は、私よりも20cm近く高い長身を折り曲げ、私に口づけを迫ってきた。……彼がキスの対象として狙い定めているのは、額や頬ではない、なんと、実の妹の唇である。