調査のし直し
そう言って黒いコートの女性は、右手の人差し指でフェリスの頬に触れた。
すると、指先に淡い光が発生し、数秒の後、その光は霧散するように消えてしまった。
今の光、見覚えがある。
エッダがいつも治癒魔法を使う時に発現する、優しい光にそっくりだ。
黒いコートの女性は、フェリスの頬から指を離すと穏やかに微笑んだ。
「どうだ、これでもう痛くないだろう? ショボい回復魔法だが、軽い生傷を癒すくらいのことはできる」
言われて、フェリスは自身の頬を擦る。
「凄い……口の中の傷が、最初からなかったみたいに消えてます。あ、ありがとうございます……」
黒いコートの女性は、短く「ああ」と言うと、先程、ならず者のおじさんがそうしたように、自分が飲み食いした分の代金をテーブルに置いた。
「さて、俺もそろそろ行くとするか。しかし、参ったな。ミリアムってのは、相当な悪人だと思ってたから、今日にでも『仕事』に取り掛かるつもりだったんだが、そのミリアムのことを良く言う奴が一人でもいるとなると、こりゃ一から調査のし直しだな。……曖昧な情報で、悪党じゃねぇ奴をやるわけにはいかねぇからな」
誰に言うでもなく、黒いコートの女性はそんなことを呟くと、『犬のしっぽ亭』を出て行った。その背中に、フェリスが「あの、あなたのお名前は?」と問いかけたが、ただ一言、「名乗るほどのもんじゃねぇよ」という言葉が返ってきただけだった。
……『仕事』って、なんのことだろう?
彼女の仕事と、ミリアムの評判に、何の関係があるというのか。
私の鈍い頭では、いくら考えても答えは出なかった。
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そして、店じまいの時刻となり、テーブルを片付け、洗い物を済ませると、私とフェリスは店を出た。
二人は肩を並べて、やや不揃いな石畳の上を、歩いて行く。
フェリスの下宿先は、私の帰り道の途中にあるので、いつもそこまで、一緒に帰るのだ。
今日は曇っており、月明かりが路地にまで届かない。
この辺りは治安もあまり良くないことだし、私たちの足は、自然と早歩きになる。
それでも、無言で歩き続けるのも何なので、私は先程の、黒いコートの女性の話をすることにした。
「いやー、さっきの銀髪の女の人、かっこよかったわねー。ちょっとワイルドで、危険な感じの人だったけど、やっぱり冒険者さんかしら?」
「そうかもしれないわね」
フェリスは、短くそう返しただけで、そのまま再び、私たちは無言で歩く。
愛想のいいフェリスにしては、なんともそっけない返事である。ぼんやりとした街灯の明かりに照らされたフェリスの横顔は、何かを真剣に思案しているように見えた。
……それにしても、この辺の街灯、暗くって、頼りないなあ。
最近、『犬のしっぽ亭』がある下町区域の区長さんが代わったのだが、なんでも、その新しい区長さんは、ものすごい倹約家で、節約できるものは徹底的に節約して、経費を削減しようとしているそうなのだ。
無駄遣いをしないのは素晴らしいことだと思うが、そのせいで、もともと薄暗かった街灯がより一層暗くなり、夜道はなんとも心もとない。もしも隣にフェリスがおらず、私一人だけで歩いていたら、凄く不安だっただろう。いや、二人で歩いていても、正直かなり不安ではある。
だが、何かに思い悩んでいる今のフェリスにとっては、暗い夜道を歩く不安などどうでもいいことのようで、難しい顔で腕を組み、しきりに首をひねって、何度も「うぅん……」と唸っていた。