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酒場は皆で楽しく酒を飲むところ

 そう思って前に出たが、私が止めるまでもなく、ならず者のおじさんの腕は、ピクリとも動かない。


 ……いや、動かないのではない。

 動けないのだ。


 何故なら、彼は今、首に刃物を突き付けられているのである。


 いつの間にか、ならず者のおじさんの後ろに立っていた黒いコート姿の人物が、照明を受けてギラリと輝く鋭いナイフを、彼の太い首――その喉仏のどぼとけのあたりに当て、時折、右に左に動かし、引っ掻くような動きをしている。


 ならず者のおじさんには、怒った少女を叩く勇気はあっても、今まさに喉を切り裂かれるかもしれない状況で身じろぎする勇気はないらしい。彼は「ひっ」とかすかな悲鳴を漏らし、固まってしまった。


 そんな彼に対して、黒いコート姿の人物は落ち着き払った様子で、ゆっくりと、諭すように言う。


「この辺にしときなよ。酒場ってのは騒がしいもんだが、それでもあんまりうるせぇと、酒がまずくなる」


 意外にも、若い女性の声だった。

 黒いコートの女性は、一度ナイフを離し、今度はならず者のおじさんの目玉に切っ先を近づけ、言葉を続ける。


「酒場はよぉ、皆で楽しく酒を飲むところだ。時には羽目を外すのもいいだろうが、やりすぎるとよぉ、店も、他の客も、皆が迷惑するんだよ。なあ、おっさん。俺、間違ったこと言ってるか?」


 ならず者のおじさんは青い顔で、素直に「い、いや、あんたが正しい」と返事をした。それも当然だろう。ナイフは首元から離れたが、黒いコートの女性の言葉には、有無を言わせぬ迫力があるのだ。


 もしもならず者のおじさんが、状況を読むことすらできないほど愚かな人間であり、反論して暴れたりしようものなら、恐らく――いや、間違いなく、黒いコートの女性は躊躇せずに、彼を切り殺していただろう。


 それから、ならず者のおじさんは、飲み食いした分の代金をテーブルに置くと、逃げるように店を出て行った。その背中に、フェリスが慌てて声をかける。


「待ってください! まだミリアムを侮辱したことを、取り消してもらってま……」


 その言葉を、黒いコートの女性が遮った。


「あんたも、その辺にしときなよ。ちゃんと金も置いてったんだ。これ以上いじめることはない」

「でも……」

「今の野郎は、根っからの悪人ってわけじゃない。あんたの怪我を見ればわかる。ふっ、あの太い腕で、小柄なあんたを本気で引っぱたいたなら、口の中が軽く切れた程度じゃ済んでないだろうからな。酔っぱらいながらも、ちゃんと手加減はしたらしい」


 ふむむ、そういうもんかしら。


 私は、改めてフェリスの頬を見てみる。

 なるほど、張り手が炸裂した瞬間の大きな音と、唇から流れた血には驚いたが、たいして腫れてはいない。


 黒いコートの女性は、銀色の髪をかきあげて、言葉を続ける。


「それによ、しつこい絡み方をした野郎も悪いが、酔っ払いの戯言にマジになったあんたにも、ちょっとは問題があるんだぜ。酒場はお上品な社交クラブじゃねぇんだぞ。あの程度の荒くれ者、いくらでも来るだろうが。どうして、上手くあしらわなかったんだ。そこの金髪の姉ちゃんみたいによ」


 そう言って彼女は、急に私へと視線を向けてきたので、私は慌ててフェリスの擁護をする。


「あ、あの、この子、一週間前に入ったばかりの新人なんです。だから、その、まだ酔っぱらったお客さんの相手に慣れてなくて……」

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