危険な急停車
エッダとあれこれ話しているうちにも、私たちを乗せた馬車はどんどん進み、窓から見える景色はめまぐるしく変化していく。
市街地を抜け、郊外を進み、馬車はいつしか、寂しい森の中を走っていた。まだ明るい時間だというのに、背の高い木が日差しを遮るのか、とても薄暗く、ひどく陰鬱な気分になる。
「なんだか、随分寂しいところね。鳥や動物の鳴き声ひとつ聞こえないし……」
「そうですね。でも、この森を抜ければ、目的地であるヒルデガード様の故郷『アリセン』までもう少しです」
エッダの言葉に、私は頷いた。
「いよいよね。ヒルデガードになんて謝れば、屋敷に戻ってきてくれるかしら。今のうちに考えておかないと……」
私は、馬車内のアームレストに片肘を置き、頬杖をついて思案に入った。
荒れ地の上を走る車輪の振動が、時折ダイレクトにやってきて、置いていた肘が少し浮き上がる。
さっき、郊外の道を走っているときも思ったけど、馬車ってスピードを出してるとけっこう揺れるなぁ……
まあ、それも当然か。
現代の車みたいに、サスペンションとかがあるわけじゃないもんね。
車輪の振動がいい感じの刺激になって、ヒルデガードに対する良い謝罪の言葉が思い浮かべばいいんだけど……
その時、突然馬の嘶く声が聞こえた。
遠くじゃない。
すぐ近くだ。
いや、もっとハッキリ言うと、嘶いたのは、私たちの乗る馬車を引っ張る二頭の馬だ。
嘶きの後、馬車はみるみるスピードを落として、遂には停車してしまう。
何かあったのかな?
と、私が思ったときには、エッダがいち早く馬車のドアを開けて外に出て、御者さんに停車の理由を尋ねていた。
「あのぉ、何ごとですか? 急停車は危険なので、なるべく控えていただき……」
質問の途中で、エッダの言葉が止まる。
私は気になって、ドアからぴょこんと身を乗り出し、エッダと御者さんの姿を確認しようとした。
そんな私の耳に、エッダの鋭い声が飛ぶ。
「ミリアム様、出てきてはいけません! 盗賊です!」
「あっ、はい。出ません。引っ込みます」
出てくるなと言われたので、すごすごと馬車の中に引っ込んだ私は、豪華な赤いシートに座ってから、ゆっくりと今の言葉の意味を反芻し、飛び上がって叫んだ。
「盗賊!?」
馬車の窓に張り付き、外を確認する。
あっ、ほんとだ。
いるいる。
いかにもな強面で怖そうなおじさんとお兄さんが、一人……二人……三人……四人……おおぉぉぉ……もっといる……ここから確認できるだけでも、十人以上はいるじゃないの……
極めて危険な状況なのだが、もともとが現代人である私には、『森で盗賊の集団に襲われる』という非現実的なシチュエーションがいまいちピンとこず、どこかぼんやりとした気持ちだった。
そんな私とは真逆に、エッダはこれまで見たこともないような険しい表情で、盗賊たちに向かって声を張り上げる。
「あなたたち! この馬車に刻印されている紋章が見えないのですか!? これは、恐れ多くもローゼン公爵閣下の所有する……」
「うるせえな、知ってるよ。ローゼン公爵閣下のバカ娘――ミリアムが乗ってる馬車だろ?」
エッダの台詞を遮るように、盗賊たちのリーダー格らしき筋骨隆々の男が、つまらなそうに言った。男は「ふん」と鼻を鳴らした後、馬車の御者台に座っている御者さんに対して、声をかける。
「おい、ベン。いつまでそこに座ってんだ。もう御者のお仕事は充分だろ。降りて来いよ。お勤めご苦労さん」
その言葉を合図に、御者さんは立ち上がり、馬車から降りて、盗賊たちの隊列に加わった。エッダは眉を顰め、すっかり盗賊たちの一員となってしまった御者さんに問う。
「いつもの御者さんではないと思っていましたが、あなたはいったい……? もしや、不正な手段でローゼン家に入り込んだ、偽の御者なのですか?」
「いいや。俺は正真正銘、雇用試験を受けてローゼン家に雇われた御者だよ。臨時だけどね」
「臨時?」
「知らないのか? そこのミリアムお嬢様の人使いが荒いから、正規の御者はどんどん辞めていっちまう。だから最近は、俺みたいな臨時の御者を大量に雇ってるんだ。大した審査もせずにね。おかげで、俺が盗賊の一員だってこともバレずに、ローゼン家に潜り込むことができたんだから、まあ俺としては、ミリアム様には感謝しているんだけどね」
御者さん――いや、ベンと呼ばれた盗賊は、こちらに向けて、軽く片目をつぶった。私はびっくりして、窓から顔を離し、外から見えない位置に引っ込んでしまう。ベンは、声を上げて嗤った。
「あははははっ! なんだ? 今日は随分と大人しいじゃないか? いつもの尊大で生意気な態度はどうしたんだ?」
エッダが、背伸びして窓を隠すようにしながら、言う。
「侮辱は許しませんよ! それに、ミリアム様は、昨日までのミリアム様ではありません! これまでの行いを悔い改め、今日から生まれ変わったのです!」
エッダの熱弁を聞いているのかいないのか、ベンは退屈そうにあくびをして、お腹のあたりをかきながら、「へえ、そうなの」と適当な返事をした。
「そんなことは俺にとっちゃどうでもいいんだ。御者なんて退屈な仕事を何ヶ月も続けて、やっとミリアムが警護もつけずに、こんな辺鄙な所まで出かける千載一遇のチャンスが来たんだからな。へへへ、これで俺たちも大金持ちだぜ」