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社会的常識

「ヒルデガード、お邪魔するわよ」


 あっ、やばっ。

 ノブを捻り、ドアを開けた瞬間に、社会的常識に気がついた。

 自分の心の準備なんかより、まずノックをすべきだったわ。


 そしてまた間の悪いことに、部屋の中では、ヒルデガードが着替えの真っ最中だった。


 彼女の長い黒髪とほぼ同じ色の、漆黒のメイド服を脱ぎ、今まさに、寝間着を羽織ろうとしていたヒルデガードは、氷のように冷たい瞳で、こちらを見ている。私は場をなごませるために、ニヒルに微笑んで言う。


「ふふふ……ノックをするべきだったかしら?」


 ヒルデガードは余裕たっぷりに『いいですよ、私とミリアム様の仲ですから』……なんて返したりはせず、寝間着を羽織ってから、先程までとまったく変わらない冷徹な表情で口を開く。


「当然でしょう。ミリアム様がお馬鹿なのは知っていますが、社会的常識までなくしてしまわれたのですか? ああ、失礼。そもそもミリアム様は、『社会的常識』なるものを、持ち合わせていませんでしたね」


 ふぬぬ……

 ノックもせずに部屋を開けた私が悪いんだけど、そこまで言うことないじゃない……私だって頑張ってるのにぃ……


 私はションボリと肩を落としてから、ここに来た理由を思い出し、ふところから茶封筒を取り出した。この中には、ヒルデガードのお給料にするために、私が一ヶ月、『犬のしっぽ亭』で汗水たらして稼いだお金が入っている。


 入っている……のだが、その、残念なことに、必死な努力もむなしく、ヒルデガードの給料には見合わない金額しか、詰まってないのである。


 それも当然と言えば、当然なのだ。

 以前にも述べたが、名門貴族であるローゼン家の『メイド長』は、高給取りである。

 下町の酒場で一日中働いたところで、とてもではないが、彼女に払えるだけの金額を稼げるはずなどなかったのだ。


 私はヒルデガードの言う通り、まあ、お馬鹿なのだが、それでも、働き始めて一週間ほどしたころ、『あ、これ、期日までに充分な金額を稼ぐの、無理だわ』ということに気がついた。


 しかし、私の脳みそでは、他にどうやってお金を稼いでいいか、いくら考えてもわからなかった。そもそも、『犬のしっぽ亭』で働くことすら、身分と名前を偽って、やっとできたというのに、他の方法なんて、すぐに思いつくはずもない。


 だから何とか、今日のところは、今あるお金だけで勘弁してもらって、今後のことは、また明日から考えるつもりだ。


 私はヒルデガードに茶封筒を差し出し、頑張ったけど、目標金額には届かなかったと釈明した。


 ヒルデガードは、いつになく改まった様子で「拝見させていただきます」と言い、茶封筒を開くと、紙幣を一枚ずつ数えていく。


 うぅ……

 まるで、刑罰の執行を待つ囚人のような気分だ。

 たぶん、『全然足りないじゃないですか。舐めてるんですか?』とか、言われるんだろうな。


 そんなことを思いながら、緊張に身を固くしていると、ヒルデガードは、ポツリと小石を落とすように、呟いた。


「……簡単ではなかったでしょう?」


 私は、首をかしげる。


「何が?」


 ヒルデガードは、一度紙幣から目を離し、私をちらりと見て、再び紙幣に視線を戻した。


「これだけのお金を稼ぐことが、ですよ」

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