五月二日
そんなこんなで、とてものんびり入浴する心理状態ではなくなってしまったので、私はバスローブを羽織り、エッダと力を合わせてフェリスを抱えると、大浴場を後にした。
抱えたフェリスからは、ほんのりと石鹸の香りがした。
恐らく、石鹸で体を洗っている最中に、泡とツルツル大理石の相乗効果で、足を滑らせたのだろう。
私とエッダの体で前後に挟み、上手い具合に隠すようにして、バスタオルをかぶせたフェリスを運んだので、廊下で何人かの使用人とすれ違ったが、特に騒がれるようなことはなかった。
たぶん、『お嬢様がまた、何か変なことをやっているな』くらいには思われただろうが、ウチの使用人たちは賢い。下手な口出しをして、私が癇癪を起こしてはたまらないと、見て見ぬふりを決め込んだのだろう。
……今の私は、昔の私とは違うのだから、そう簡単に癇癪を起こしたりはしないのだが、エッダ以外の使用人たちにも私が変わったことを認めてもらうには、まだまだ時間が必要ね。『公爵令嬢に相応しい人間』になるための道は、そう簡単ではないわ。
とまあ、そんなことを思っているうちに、無事私の部屋に到着である。
私とエッダは協力して、フェリスをベッドに寝かせる。
フェリスの体は、同じ女として羨ましいことに、とても軽いので、運ぶのも、寝かせるのも、エッダと二人がかりであれば、全く苦労することはなかった。
やれやれこれで一安心と息を吐くと、エッダが再び、フェリスの治療に取り掛かった。
私はやや目を丸くして、問う。
「あれっ、まだ治療、終わってなかったの? 血が止まってるから、もう済んだのかと思ってたわ」
エッダは治癒魔法を使いながら、こちらを向いて、微笑んだ。
「傷口自体は、もうふさがっているのですが、多少なりとも血が失われている状態なので、時間をかけて丁寧に治癒魔法をかけた方が、健康のためにはよろしいかと存じます」
「あー、なるほど。さすがエッダ。よく考えてるわね」
私は感心し、うんうんと頷いた。
そこで、ベッドサイドのテーブルに置いてあるカレンダーが視界に入る。
今日は、五月二日ね。
ん?
五月二日のところに、赤ペンで丸が書いてあるわね。
何か、特別な用事でもあったかしら?
うーん……
五月二日……
なんだったっけ……
……あっ。
ああぁ~……っ!
私、ほんと馬鹿だわ。
こんな大事なことを、今の今まで忘れていたなんて。
今日は、『メイド長』ヒルデガードの、お給料日じゃない!
私はエッダにフェリスの治療を託すと(そもそも私がいても、なんの役にも立たないのだが)、大慌てでヒルデガードの私室に向かった。
ヒルデガードの私室は、屋敷の地下の西側にある。
そのため、二階の東側にある私の部屋からは、猛ダッシュで走ってもかなりの時間がかかり、到着する頃には、せっかく風呂場で流した汗が溢れ出し、白いバスローブをしっとりと湿らせた。
ヒルデガードの部屋に入る時は、かなり緊張する。
しっかりと心の準備をしないと。
すー……
吸ってぇ……
はー……
吐いてぇ……
深呼吸……
よし。
心の準備完了。
ドアを開けるわよ。