名高いクレメンザ商会
奴隷商人は、驚きの声を漏らしてから、しばし固まってしまった。
財布を出して奴隷の仕入れ値を聞いてきたのだから、彼も商人として、こういう流れになるかもしれないと、少しは予想していただろうが、まさか、本当に、目の前の小娘が、厄介で狂暴かつ高価な奴隷を購入したいと言ってくるとは思っていなかったのだろう。
「さあ、どうしますの? あと三十秒で決めてくださいまし」
「わ、わかりました。売ります、いえ、売らせてください」
奴隷商人は、三十秒も迷ったりはせず、たった三秒で決断を下した。
本当に、一刻も早く、あの黒髪の奴隷少女を厄介払いしたかったのだろう。
厳しい調教をして、奴隷としての価値を下げてでも処分したいと思っていたのだから、仕入れ値で買ってもらえるこのチャンス、彼にとって逃す手はなかったに違いない。
フランシーヌは、ビックリするほど分厚い紙幣の束を無造作に持ち上げ、奴隷商人の手のひらに置き、笑った。
「はい、ではこれで、商談成立ですわね」
「え、ええ、お買い上げ、ありがとうございます。しかし、その……」
「なんですの?」
「失礼ながら、お嬢様は、十八歳以下と見受けられます。ご両親の承諾を得ませんと、奴隷の売買は……」
「承知していますわ。事後承諾になってしまいますけど、セレス特別区にある、エルコーレ・クレメンザ邸に、魔法通信で確認を取ってくださいまし。お父様は、わたくしのやることに決して異議を唱えませんから、すぐに話はつきましてよ」
「そ、そうですか……えっと、では、あなたが、名高いクレメンザ商会の一人娘、フランシーヌ・クレメンザ様なのですね……」
どこか、畏怖するような奴隷商人に対し、フランシーヌは自嘲気味に笑った。
「悪名高いの間違いではありませんこと?」
「い、いえ、そんなことは……」
「いいんですのよ、自分で、よく分かっていますから」
そんな短いやり取りの後、フランシーヌは奴隷商人と正式な売買契約に関する書類をかわし、彼から『懲罰の首輪』をコントロールするためのブレスレットを受け取った。それから、テントの中にある魔法通信装置を借り、どこかに連絡をしている。聞き耳を立てていると、どうやら、馬車を呼んでいるようだった。
フランシーヌは、やれやれこれで一段落と言った感じで息を吐くと、私の方を向いて、申し訳なさそうに言う。
「お姉様、そう言うわけで、今だに表でのびているあの奴隷の娘を、屋敷に連れて帰らなければならなくなりましたから、まことに心苦しいのですが、本日のランチはキャンセルということにさせてくださいまし」
「え、ええ。それはもちろん構わないけど。あなた、よかったの? こんな急に、高価な奴隷を購入したりして」
「問題ありませんわ。わたくしにとっては大した金額じゃありませんし、それに……」
「それに?」
「わたくし、自分の置かれた境遇に不満を持ち、逃げ出すくらいのガッツがある奴隷が好きですの。最近一人、家政婦が辞めたので、ちょうどよかったですわ。あの子を立派に教育して、一流の使用人にしてみせますわ」
「そ、そう……」
そこで、ガラガラと、石畳の上を車輪が走る音が聞こえてきた。
フランシーヌが呼んだ馬車が、もうやって来たらしい。




