穢らわしいもの
大きい。
本当に大きい。
小さな家くらいある、赤茶色のテントだ。
私は、特に深く考えず、隣を歩くフランシーヌに、ニコニコと言う。
「見て、あれ。おっきなテントね。何のお店かしら」
ところが、返ってきたのは、あからさまな嫌悪を含んだ、冷たい言葉だった。
「ああいう『穢らわしいもの』を、あんまり見ない方がいいですよ、お姉様」
「えっ? あっ、うん……」
素直に『うん』とは申したものの、『あんまり見るな』と言われると、逆に好奇心が刺激され、私は背を伸ばすようにして、少しだけ開いているテントの中を見た。
そして、自分の軽率な行動を、すぐに後悔し、フランシーヌが『見ない方がいい』と言ってくれた訳を、理解した。
テントの中には、背の高い壮年の男性と、二人の少女がいた。
男性は、立派な衣服に身を包んでいたが、少女たちの方は、なんとか服の体裁を保っていると言った感じの、ぼろきれだけを身に着けている。彼女たちの首には、鈍く光る首輪がつけられていた。
……あの、二人の少女は、奴隷だ。
そして、男性は奴隷商人であり、このテントは、奴隷売買用の露店なのだろう。
不快感で、口の中に苦い味が広がり、胃が縮むようだった。
現代社会の常識から考えると信じられないことだが、この聖都フォーディンにおいて、奴隷売買は、合法的なビジネスなのである。奴隷たちは皆、正式な手続きで番号が割り振られ、家や宝石、馬車と同じように、財産の一種として扱われる。
思わず立ち止まり、テントの中を見つめていた私の肩を、フランシーヌは引いた。強くも弱くもない、絶妙な力加減だった。
「ほら、お姉様、行きますわよ。目的のレストランは、もうすぐそこですから」
その時だった。
私たちの存在に気づいた奴隷商人が、驚くほど上品で優しい笑みを浮かべ、こちらに近づいて来た。背後で、小さく、本当に小さくだが、舌打ちが聞こえた。どうやら、フランシーヌが発したものらしい。
「これはこれは、高貴なるご身分の、美しいお嬢様方。私めの露店に、興味がおありでしょうか?」
奴隷商人は、きちんとした礼法にのっとった形で、私、そしてフランシーヌに頭を下げた。彼の一挙手一投足は、日頃から優秀な使用人たちを見慣れている私ですら感心するほど、優美かつ、気品に溢れている。相当に、高度な教育を受けた人物なのだろう。
そんな、高等教育を受けた上品な人間が、奴隷売買なんて最低の商売をしており、そのことを誰も変に思わない、この世界の異常さに、私は眩暈がした。
ふらついた私を見て、奴隷商人は心配そうに眉を顰める。
「お嬢様、いかがなさいました? 今日の日差しは、いささか強うございますからね。ご気分がすぐれないようでしたら、テントの中で休憩を……」
そこで、やっと私はシャンとして、左右に手を振った。
「いえ、結構です。お気遣いどうも」
それだけ言って、すぐにテントの前から去ろうとする。……正直に言えば、奴隷の少女たちを救い出してあげたかったが、私の立場では、奴隷を買うことはできないのだ。
私のお父様、ウィリアム・ローゼン公爵は、平民以上に、奴隷が嫌いだ。
今朝の騒動からもわかるように、最近、特に精神的に不安定になっているのに、いきなり奴隷を連れて帰ったりしようものなら、その場で少女たちに雷を落として、殺してしまいかねない。




