実行しなかった理由
なるほど。
それなら、たった一日で『職業安定所』ができたのも納得である。
しかしそこで、新たな疑問が湧いてきた。
私はその疑問を、ストレートにフランシーヌにぶつける。
「あの、そこまで準備できてたなら、なんで今まで実行しなかったの?」
「わかりませんか?」
短く、そして鋭く聞かれ、私は小さく「うん」とだけ返事をした。
フランシーヌは微笑を浮かべたままだったが、若干苛立っているようだった。
「本当に?」
「ご、ごめんなさい……わからないわ……」
気圧された様子の私を見て、フランシーヌは微笑をやめ、一瞬真顔になった後、ニッコリと笑った。
「いえ、こちらこそ申し訳ありません。お姉様を詰問しても詮無いことですわね。……『職業安定所』の準備を万全に進めながら、実行に移せなかったのは、『本来のミリアム様』のせいですわ」
「本来のミリアムのせい?」
「ええ。お姉様もご存じの通り、本来のミリアム様は平民たちが大嫌いですから、その平民たちのためになる『職業安定所』をわたくしが主導して作ったら、大いに角が立ったに決まっていますわ」
「そ、そうかしら。いくら平民嫌いのミリアムでも、クレメンザ商会の商売の一環としておこなったことなら、怒ったりはしなかったんじゃない? そりゃ、まあ、ちょっとは不機嫌になったりしたかもしれないけど」
あっけらかんとした私の言い分に、フランシーヌは苦笑した。
「ふふ、ミリアム様と同じ顔をしたお姉様に言うのも変ですけど、お姉様は、ミリアム様のことを、随分と甘く見ているようですわね。その、『ちょっと不機嫌になる』のが恐ろしいんですのよ。なんたって、とんでもない癇癪持ちですからね。機嫌が悪いと、どんなきっかけで激昂してもおかしくない状態になるのですから、まったく、困ったものですわ」
「う……まあ確かに、そうかも……」
「誇れるようなことではありませんけど、ミリアム様のご機嫌をコントロールすることに関しては、このわたくしが誰よりも優れていると自負しておりますわ。あの激烈短気なお嬢様と上手につき合っていくには、常に先を読んで、少しでも波風が立ちそうな行いは慎まなければ、とてもやっていけないんですのよ」
「そ、そう……あなたも随分苦労したのね……ミリアムの代わりに、私が謝るわ」
ぺこりと頭を下げると、フランシーヌは自身の唇を手で隠し、お上品に「おほほ」と笑った。
「お姉様は、本当に優しいですわね。ミリアム様と同じ顔、同じ声で、そんなふうに神妙に謝られると、不思議な気分ですわ」
そこで私は、今朝、使用人のパトリスが言っていたことを不意に思い出した。
『昔のミリアムお嬢様は、少々短絡的な所はございましたが、快活で、思いやりに溢れ、誰にでも優しい方でした』
……彼は、そう言っていた。
ヒルデガードも、同じようなことを述べていた。
フランシーヌは、パトリスとヒルデガードが言う、『昔のミリアム』のことを知らないのだろう。
えっと、フランシーヌがミリアムと知り合ったのは、確か、今から4年とちょっと前のことだから、ミリアムが12歳の頃ってことになるのかな(ちなみに、ミリアムとフランシーヌは同い年である)。
その頃には、すっかり悪辣極まる非道な悪役令嬢になっていたのだから、やはり、何か、性格がまるっきり変わってしまうほどの、大きなきっかけがあったに違いない。




